昨夜遅くに北海道展示会から帰宅しました。夕方4時まで札幌で展示会をやっていて、深夜には家にいるのですから、思えば便利になったものです。
午後3時半、「もう客は来ないな、そろそろ仕舞にしようか」、と思っていたら、法政大学三曲会での先輩、浜田鶯童さんがいらっしゃいました。浜田さんは童門会の理事です。童門会は理事に法政大学三曲会出身者が多い。どこでもそうですが、今や名門と言われる社中を実質的に動かしているのは大学邦楽部のОB達です。浜田さんは札幌在住ですから、先輩とは言うものの、今度が初対面です。でも、勿論共通のクラブ仲間達も多く、おしゃべりに夢中で、すぐ終了時間4時になってしまいました。
北海道は尺八壊滅地域ですが、琴古も御多分に漏れず壊滅しています。浜田さんが言うには、北海道琴古会は現在18名、童門会所属は1名だそうです。
浜田さんとお会いできた事が、今度の展示会の収穫の一つです。尺八もお買い上げいただけましたしね・・・。
北海道土産に何を買うか迷いました。北海道と言えば鮭ですが、実は少し前に、鮭と筋子を多量に戴いており、ダブっても仕方が無いので、菓子とラーメンを買って帰りました。
私の祖父母は40くらいまで新潟にいたので、鮭や筋子は私の子供の時から食卓に上っていました。塩鮭は戦前から東京では普通の食材で、大工や工員、ドカタ等の肉体労働者が、アルマイト弁当箱を開くと、よく5センチ角くらいの塩鮭が御飯の上に乗っていたそうです。私の子供時代までは、塩鮭は口が曲がるほど塩が効いているのが普通で、それなればこそ小さな一切れで多量の飯が掻き込めたのです。
鮭も日本産は食材としては評価が低いと思います。アメリカ人に言わせると、「日本で採れる種類の鮭はドッグサーモンと言って、美味くないから人間は食べない。ペットフードの材料」だそうです。確かに、欧米人の好むサーモンフライやサーモンステーキなんかは、人気が無いだけあって日本で食べるとイマイチですね。やはりこれは、日本では採れないキングサーモンなのでしょう。でも、その日本(採った船が何国であれ)の鮭も塩鮭にすると、これ以上無いという「メシの友、酒の妻」になります。
塩鮭は、日本の支配者・源頼朝が贈られて、「念願だったスハヤり(カチンかチンの塩鮭)を送ってくれて有難う。貴方の情けが身に沁みる」と真情溢れる返礼の歌を送っていますし、毛利秀元(毛利元就の孫)の弁当に入っていた塩鮭を、他の大名たちが珍しがって見に来たというエピソードが有るくらいですから、その昔は大変な貴重品だったのでしょう。
でも、その時代だって鮭は採れる地域では、「珍しくも何とも無い。捕れすぎて保存に困るから、塩漬けにしよう」だったに違いありません。「鮭はほんの40年前には利根川でも採れた」と茨城の御客から聞いた事が有ります。祖父の新潟時代は「魚と言えば塩鮭」だったそうです。新潟県では「村上の鮭の子」は有名ですね。江戸時代、村上、新発田などの下越後では、鮭は藩の財政を支えるほど重要な産物だったのでしょう。
この塩鮭も今では人気が無い。次の世代に生き残るかさえ微妙です。だってマズイんだもん。健康志向で、塩を効かしていない塩鮭が主流だと言う事もありますが、それ以上に熟成させていない「速成塩鮭」が出回っている事が大きいですね。「安く売る為には仕方がないだろう。それがイヤなら高い本格的な塩鮭を買えば良いだろう」。こいいうセリフで、幾多の文化破壊が起きました。鯵の干物であれ佃煮であれ福神漬けであれ、本来はあんなマズイモノではなかった。速成商品でも上手に作られたモノって有るんですぜ。要は、どういう気持ちで作るかですよ。単に売る為か、それとも存在を問うか、でしょう。
私の子供時代は、戦後の渇望期が過ぎて、再びモノが出てきた時代です。そしてだんだん豊かになって「過去の記憶の取戻し」が起こり、まず「質より量」でした。ですから戦中戦後の甘味渇望の結果、和菓子(洋菓子はまだ高価でした)は「バカみたいに甘いだけのもの」、日本酒は「酔っ払ってしまえば同じ」で、私の学生時代でも、「大学生様、ドカタ様御用達」の劣悪な安酒が出回っていました。
でも、今はまた時代が変わってきました。値段と関係無くちゃんと作られたモノと、そうでないモノとが有る。そういう認識が広まっています。ですから、もう「それでありさえすれば良い」ではなく、高くても安くても、しっかり作られた商品を求めるのです。御覧なさいな、尺八でも劣悪な品を高額で売っている所は壊滅したでしょうが。
30年前でも、尺八ほど値段と品質が一致していない商品は珍しかったですからね。鮭の場合は流通事情ですが、尺八の場合は情報事情でした。
それが過ぎたところで、品質と共に価格の合理性が問われる、本当の意味での「競争力の時代」が尺八にも来ました。
スポンサーサイト