光明
- 2022/05/23
- 10:41
1976年に今は無い平凡パンチに、法政大学三曲会の小野寺のインタビュー記事が載りました。1985年にも産経新聞に法政三曲の委員長だった渡辺のインタビュー記事が掲載されました。でね、その記事の冒頭ですよ、「『今の状況は決して良くないが』と前置きして○○君は」と始まっていてビックリしました。全く同文の前置きが10年近い歳月を経て、違う発行元のマスコミ媒体に載ったのです。
後で本人達に訊くと、誘導が有ったんでしょうが、それに近い表現では云ったらしいです。当時でも日本人一般の三曲系邦楽(以下は面倒だから単に邦楽とします)に対する印象は、そういうものでした。
「状況の良し悪し」とは多分に比較の問題ですが、翻って「1976年は」と言うと、邦楽のピークでしたよ。よく勘違いされるのですが、邦楽が本当に盛んになったのは戦後です。戦前の邦楽状況とは、「国民全体で見た場合、戦後より人気(他に音楽が少なかったから)は有っても、享受出来る人は少なかった」と言うに尽きるでしょう。
ラジオから音楽が流れ始めたのは昭和の初めです。ラジオ放送自体は大正末に始まりましたが、放送開始と普及は少し違います。だってラジオを買えない人もいましたし、その前にラジオが聞けない地域も有りました。東京でも、全域に電気が届いたのは昭和30年代半ばですよ。
年配の方だと、窪田聡の『母さんの歌』は皆知ってるでしょう、あれって昭和31年の曲なんです。その前年の昭和30年は「もはや戦後ではない」と言われたほどに、戦後復興は進んでいました。それでいて「せめてラジオ聞かせたい」で地方部ではリアリティが有ったのです。ですから戦前の邦楽って、享受出来たのは主として都市部の、それも所得の高い層ですね。
だから私の子供時代でも言われましたよ、「御稽古事は金持ちの道楽」だって。まして戦前の地方では、多くの人にとって音楽とは民謡か口伝への流行歌でしょうね。ですから古い歌ほど少し違う旋律が有るでしょうが。歌って伝わっていくうちに少しずつ変わったのです。
それが戦後の高度経済成長を迎えました。日本人が豊かになって、オカアサン達は、自分の子供の頃は夢だった箏三絃を、自分の娘達には習わせられました。宮城会が、宮城道雄の死後20年で10倍になったのは不思議でも何でも無く、正派はじめ他の社中も、そのくらいに成長しています。イヤですよ、「邦楽の良さが知られてきた」とかマサカ言わないでよね、高度経済成長期が生み出した社会現象だよ、他に何が有る・・・。
邦楽市場も、それなりには拡大しましたが、他のジャンルの音楽はそれ以上です。だって邦楽は面白くないもの。市場拡大とは言っても、それは音楽としてでは無いですね、「御稽古音楽」としてです。
尺八界だって、同様に規模は大きくなりました。でも尺八ってチョット違う特性が有りました。戦前、そう昭和10年代の軍国主義時代にも「国粋楽器」で一大飛躍を果たしていたのです。昭和10年代の後半なんか、都山流だけで毎年2千を越える初伝免状が出ていました。
そして1960年代から80年代まで続いた民謡ブームです。当時はホント、尺八は作れば売れました。当時でも売れなくて、私に相談してきた人はいましたが、いずれも技能未熟の人でした、当時のレベルでの技術未熟ですから、今だと「高校生の工作」です。この時代、程度の差は有っても「プロの技量が有っても売れない」なんて人はいませんでしたね。もちろん例外は有りましたよ。何を勘違いしたのか、「オマエ、尺八をオレに売りたいのか、それとも喧嘩したいのか?」と客に言われる人達です。「職人の気難しさ」を唯一無二の造形美術でもない尺八製作に持ち込んだのですから、まあ自業自得ですわな。
それでも1976年当時、邦楽の全盛期でありながら一般のイメージは「状況は決して良くないが」なんです。どうしてか?。他のジャンルの音楽との比較です。確かに他はもっと良かったです。
今はもっと「音楽選択」がアカラサマになりました。もう古典邦楽は相手にされない。ジャンルすら形成出来ず、「保護区で暮らす天然記念物」になる事は、単に時間の問題で、もう避けられないですね。「状況は決して良くない」ではなく「絶望的」です。
では、どうして私は、今の状況を「明るい」と感じているのか?。当然の疑問です。一口に言って、「古典系邦楽はますます衰退する」だけど、「邦楽に縛られない尺八の未来は明るい」と思うからです。根拠は、自分で体験した、尺八そのものの人気の高さです。
私って、尺八史のなかでは、「初めて地方行政体に尺八講座をやらせた人間」らしいんです。40年前の『季刊邦楽』にそう書いて有ります。それから幾つの尺八講座をやりましたかねえ。何時も驚くのは、「尺八の人気の高さと古典邦楽の人気の無さ」です。尺八に魅かれている人は多い。でも、どんな曲をやっているのか知らない人が大多数です。だから、せっかく人が沢山集まっても、古典邦楽をやった場合、人は瞬間風速的に散ってしまいます。
言っときますけど、古典邦楽は私にとっては魅力的ですよ。でも多くの人には嫌がられる。でも尺八自体の人気は高い。だからこそ、カルチャー講座や外国では人が群がるのです。「人が入らなかった尺八講座」、私には全部その原因が分かりまっせ。
ビジネスと考えたら、もう道は二つですよね。日本ではシルバー産業。そして海外需要の開拓。他の方法って有ると思いますか?。有ったら教えてくださいよ・・・。
後で本人達に訊くと、誘導が有ったんでしょうが、それに近い表現では云ったらしいです。当時でも日本人一般の三曲系邦楽(以下は面倒だから単に邦楽とします)に対する印象は、そういうものでした。
「状況の良し悪し」とは多分に比較の問題ですが、翻って「1976年は」と言うと、邦楽のピークでしたよ。よく勘違いされるのですが、邦楽が本当に盛んになったのは戦後です。戦前の邦楽状況とは、「国民全体で見た場合、戦後より人気(他に音楽が少なかったから)は有っても、享受出来る人は少なかった」と言うに尽きるでしょう。
ラジオから音楽が流れ始めたのは昭和の初めです。ラジオ放送自体は大正末に始まりましたが、放送開始と普及は少し違います。だってラジオを買えない人もいましたし、その前にラジオが聞けない地域も有りました。東京でも、全域に電気が届いたのは昭和30年代半ばですよ。
年配の方だと、窪田聡の『母さんの歌』は皆知ってるでしょう、あれって昭和31年の曲なんです。その前年の昭和30年は「もはや戦後ではない」と言われたほどに、戦後復興は進んでいました。それでいて「せめてラジオ聞かせたい」で地方部ではリアリティが有ったのです。ですから戦前の邦楽って、享受出来たのは主として都市部の、それも所得の高い層ですね。
だから私の子供時代でも言われましたよ、「御稽古事は金持ちの道楽」だって。まして戦前の地方では、多くの人にとって音楽とは民謡か口伝への流行歌でしょうね。ですから古い歌ほど少し違う旋律が有るでしょうが。歌って伝わっていくうちに少しずつ変わったのです。
それが戦後の高度経済成長を迎えました。日本人が豊かになって、オカアサン達は、自分の子供の頃は夢だった箏三絃を、自分の娘達には習わせられました。宮城会が、宮城道雄の死後20年で10倍になったのは不思議でも何でも無く、正派はじめ他の社中も、そのくらいに成長しています。イヤですよ、「邦楽の良さが知られてきた」とかマサカ言わないでよね、高度経済成長期が生み出した社会現象だよ、他に何が有る・・・。
邦楽市場も、それなりには拡大しましたが、他のジャンルの音楽はそれ以上です。だって邦楽は面白くないもの。市場拡大とは言っても、それは音楽としてでは無いですね、「御稽古音楽」としてです。
尺八界だって、同様に規模は大きくなりました。でも尺八ってチョット違う特性が有りました。戦前、そう昭和10年代の軍国主義時代にも「国粋楽器」で一大飛躍を果たしていたのです。昭和10年代の後半なんか、都山流だけで毎年2千を越える初伝免状が出ていました。
そして1960年代から80年代まで続いた民謡ブームです。当時はホント、尺八は作れば売れました。当時でも売れなくて、私に相談してきた人はいましたが、いずれも技能未熟の人でした、当時のレベルでの技術未熟ですから、今だと「高校生の工作」です。この時代、程度の差は有っても「プロの技量が有っても売れない」なんて人はいませんでしたね。もちろん例外は有りましたよ。何を勘違いしたのか、「オマエ、尺八をオレに売りたいのか、それとも喧嘩したいのか?」と客に言われる人達です。「職人の気難しさ」を唯一無二の造形美術でもない尺八製作に持ち込んだのですから、まあ自業自得ですわな。
それでも1976年当時、邦楽の全盛期でありながら一般のイメージは「状況は決して良くないが」なんです。どうしてか?。他のジャンルの音楽との比較です。確かに他はもっと良かったです。
今はもっと「音楽選択」がアカラサマになりました。もう古典邦楽は相手にされない。ジャンルすら形成出来ず、「保護区で暮らす天然記念物」になる事は、単に時間の問題で、もう避けられないですね。「状況は決して良くない」ではなく「絶望的」です。
では、どうして私は、今の状況を「明るい」と感じているのか?。当然の疑問です。一口に言って、「古典系邦楽はますます衰退する」だけど、「邦楽に縛られない尺八の未来は明るい」と思うからです。根拠は、自分で体験した、尺八そのものの人気の高さです。
私って、尺八史のなかでは、「初めて地方行政体に尺八講座をやらせた人間」らしいんです。40年前の『季刊邦楽』にそう書いて有ります。それから幾つの尺八講座をやりましたかねえ。何時も驚くのは、「尺八の人気の高さと古典邦楽の人気の無さ」です。尺八に魅かれている人は多い。でも、どんな曲をやっているのか知らない人が大多数です。だから、せっかく人が沢山集まっても、古典邦楽をやった場合、人は瞬間風速的に散ってしまいます。
言っときますけど、古典邦楽は私にとっては魅力的ですよ。でも多くの人には嫌がられる。でも尺八自体の人気は高い。だからこそ、カルチャー講座や外国では人が群がるのです。「人が入らなかった尺八講座」、私には全部その原因が分かりまっせ。
ビジネスと考えたら、もう道は二つですよね。日本ではシルバー産業。そして海外需要の開拓。他の方法って有ると思いますか?。有ったら教えてくださいよ・・・。
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