文化小国
- 2022/06/04
- 16:01
1974年から83年までの10年間くらいが、私が一番海外に出ていた時です。中で圧倒的に多かったのは、何と言っても韓国でした。1978年頃は、韓国語の語彙や言い回しが日に日に増えて、会話が楽しくて仕方がありませんでした。外国語会話の勉強をした人だと御分りだと思いますが、こういう時期を過ぎて少し経つと、余程に意欲を持たないと、そこで上達はいったん止まります。「もう会話には不自由しない。だけど本格的なマスターには、ほど遠い」の段階に入るわけです。尺八で言うと8割がたの師範・大師範が、この状態でしょう・・・。
まあ、それは置いといて、その頃、韓国人達によく訊かれました。「日本で一番有名な韓国人て誰?」。当時だと朴正熙と金大中ですが、勿論ここ百年間は含みません。あくまで「近代を除いた」です。私の答え、「誰もいませんよ」。
当然彼らは怪訝な顔をしますわな。そこで付け加えます。「大学受験の科目に世界史を含んでいる受験生だと、李成桂は知ってるでしょうね。だけど、それ以外は知りませんよ。でもねえ、じゃあ逆に韓国人は誰か日本人の名前を知ってますか?」。
豊臣秀吉はかなり知られていますね。あと加藤清正、小西如安(行長ではありません。小西飛騨守=内藤ジョアンです)も少し知名度が有ります。要するに「文禄慶長の役」で朝鮮を蹂躙した人達ですよ。
小西飛(ソソビ)で知られる内藤ジョアン(松永久秀の甥)は日本でより韓国で数倍有名です。韓国の昔話に出て来る小西飛は、全身鱗に覆われて刃物を撥ね返し、口から火を噴く「ミニ・ゴジラ」とも言うべき凄い人です。そう言えば『妹背山女庭訓』に出て来る蘇我入鹿も同じだったな。「昔は、こんなスゴイ人がいたんだ」と同じ日本人として誇らしい気持ちになりますが、まあ、それも置いといて、日本人で海外で知られている歴史上の人物なんかいませんよ。
これが中国となったらどうでしょう?。日本で知られている中国人の上位には、秦の始皇帝、孔子、楊貴妃、それと中国人かはともかくジンギスカン等が入るでしょう。次に諸葛孔明、李白、杜甫というところでしょうかね。勿論、孫文、蒋介石、毛沢東といった近代の中国人は当時誰もが知っていました。これ韓国でも全く事情は同じです。
これって、仕方が無いですよね。欧米は世界を支配しましたし、中国は日本、朝鮮、ベトナムにとっての「文化的には親の国」ですもの。文化上の波及地帯は、同じ立場であっても「辺境同士」ですわな。嘘だと思う?。なら「論より証拠」、ホーチミン以前のベトナム人を誰か一人でも挙げてみて・・・。勿論ベトナム人も「日本人の名前?、誰も知らないよ」です。
海外で知られている「現在の日本文化」って何ですか?。アニメ、ゲームソフト。それはそうですけど、電気製品、時計、カメラとかの大人気だった日本製品と同じく、作っている国自体は多い中で、評価されているのは「製品の質」ですよね。なら一時的な競争力の優劣であって、日本文化とは少しニュアンスが違うのではないでしょうか。
では歌舞伎、能、茶道、お花?。そんなの一部の人が知っているだけですて。日本に来た外国人達が歌舞伎や相撲を見たがったり、茶道の席に招かれて、かしこまって茶を啜ったりしたって、それで「知られている」って思うのは早合点です。それに相手は仕事にしろ観光にしろ、ともかく日本に来たんです。ならヒト頃の日本人オヤジみたいに「女目的」ではないから、まさか「飛田新地や尼崎のカンナミに行きたい」とは言いませんでしょうよ。そう、世界屈指の経済大国であっても、日本の文化は世界的に見た場合、ほとんど誰も知らない存在だったんです。私の経験では韓国人もベトナム人も「外国人は自分達の国に興味が有って、それなりに知られている」と思っていますよ。だって、少なくとも国名は知っているからこそ来たんだし、来た以上は社交辞令でダイタイ誉めますもの。まあ確かに行けば、世界屈指のレパートリーを持つベトナム料理や朝鮮焼肉に魅了されますって。でも「水上人形劇」とか「春香伝」は一度見て終わり。むしろ韓国なら、このところ「Kポップ」が世界的に人気を獲得してきていますな。でも、キーセンという言葉がゲイシャほど知られていないのは、どうしてだろう・・・。
何処でも、まず食べ物が突破口になりますが、それを除いた場合、日本の文化で最も世界的に広まったものは柔道だと思います。カラオケというハードは世界で使われていますが、まさか演歌や和製ポップスがカラオケで歌われているとは誰も思わないでしょう。文化ではなく道具でしょうな。その点、柔道が世界普及を果たしたのは、純然たる格闘技というだけでなく、礼儀作法、相手への敬意、「柔よく剛を制す」に代表される、いわゆる「道の精神美」がセットになった文化でもあったからです。
今、インターネットの普及が「中心と辺境」の差を急速に無くしています。なら、私は尺八は「柔道なみの可能性が有る」と思っているんです。
嗤う人なんか初めから相手にしていません。どんな世界に広がったモノにも濫觴は有るんです。なら、ともかく流れに盃を浮かべてみれば良い。私には何ほどの事しか出来ないにせよ、私だけではない。どんどん新しい人が出てきます。
尺八では、古典本曲以外の現行ソフトで世界性を持つものは残念ながら無い、そう私は思っています。でも尺八のハードとしての可能性から見て、チカジカ出て来ると思います。それを作り出すのは日本人とは限りません。そして柔道に通じる尺八の「精神性」です。尺八の楽器上の不合理性も、柔道の格闘技としての前近代性と同様に、それを文化として考えた場合には大きな長所たりえます。
インターネットが、これまで世紀単位で広げた文化を、これからは短時間で世界に広める。柔道、寿司、ラーメンに続くのは尺八です。
まあ、それは置いといて、その頃、韓国人達によく訊かれました。「日本で一番有名な韓国人て誰?」。当時だと朴正熙と金大中ですが、勿論ここ百年間は含みません。あくまで「近代を除いた」です。私の答え、「誰もいませんよ」。
当然彼らは怪訝な顔をしますわな。そこで付け加えます。「大学受験の科目に世界史を含んでいる受験生だと、李成桂は知ってるでしょうね。だけど、それ以外は知りませんよ。でもねえ、じゃあ逆に韓国人は誰か日本人の名前を知ってますか?」。
豊臣秀吉はかなり知られていますね。あと加藤清正、小西如安(行長ではありません。小西飛騨守=内藤ジョアンです)も少し知名度が有ります。要するに「文禄慶長の役」で朝鮮を蹂躙した人達ですよ。
小西飛(ソソビ)で知られる内藤ジョアン(松永久秀の甥)は日本でより韓国で数倍有名です。韓国の昔話に出て来る小西飛は、全身鱗に覆われて刃物を撥ね返し、口から火を噴く「ミニ・ゴジラ」とも言うべき凄い人です。そう言えば『妹背山女庭訓』に出て来る蘇我入鹿も同じだったな。「昔は、こんなスゴイ人がいたんだ」と同じ日本人として誇らしい気持ちになりますが、まあ、それも置いといて、日本人で海外で知られている歴史上の人物なんかいませんよ。
これが中国となったらどうでしょう?。日本で知られている中国人の上位には、秦の始皇帝、孔子、楊貴妃、それと中国人かはともかくジンギスカン等が入るでしょう。次に諸葛孔明、李白、杜甫というところでしょうかね。勿論、孫文、蒋介石、毛沢東といった近代の中国人は当時誰もが知っていました。これ韓国でも全く事情は同じです。
これって、仕方が無いですよね。欧米は世界を支配しましたし、中国は日本、朝鮮、ベトナムにとっての「文化的には親の国」ですもの。文化上の波及地帯は、同じ立場であっても「辺境同士」ですわな。嘘だと思う?。なら「論より証拠」、ホーチミン以前のベトナム人を誰か一人でも挙げてみて・・・。勿論ベトナム人も「日本人の名前?、誰も知らないよ」です。
海外で知られている「現在の日本文化」って何ですか?。アニメ、ゲームソフト。それはそうですけど、電気製品、時計、カメラとかの大人気だった日本製品と同じく、作っている国自体は多い中で、評価されているのは「製品の質」ですよね。なら一時的な競争力の優劣であって、日本文化とは少しニュアンスが違うのではないでしょうか。
では歌舞伎、能、茶道、お花?。そんなの一部の人が知っているだけですて。日本に来た外国人達が歌舞伎や相撲を見たがったり、茶道の席に招かれて、かしこまって茶を啜ったりしたって、それで「知られている」って思うのは早合点です。それに相手は仕事にしろ観光にしろ、ともかく日本に来たんです。ならヒト頃の日本人オヤジみたいに「女目的」ではないから、まさか「飛田新地や尼崎のカンナミに行きたい」とは言いませんでしょうよ。そう、世界屈指の経済大国であっても、日本の文化は世界的に見た場合、ほとんど誰も知らない存在だったんです。私の経験では韓国人もベトナム人も「外国人は自分達の国に興味が有って、それなりに知られている」と思っていますよ。だって、少なくとも国名は知っているからこそ来たんだし、来た以上は社交辞令でダイタイ誉めますもの。まあ確かに行けば、世界屈指のレパートリーを持つベトナム料理や朝鮮焼肉に魅了されますって。でも「水上人形劇」とか「春香伝」は一度見て終わり。むしろ韓国なら、このところ「Kポップ」が世界的に人気を獲得してきていますな。でも、キーセンという言葉がゲイシャほど知られていないのは、どうしてだろう・・・。
何処でも、まず食べ物が突破口になりますが、それを除いた場合、日本の文化で最も世界的に広まったものは柔道だと思います。カラオケというハードは世界で使われていますが、まさか演歌や和製ポップスがカラオケで歌われているとは誰も思わないでしょう。文化ではなく道具でしょうな。その点、柔道が世界普及を果たしたのは、純然たる格闘技というだけでなく、礼儀作法、相手への敬意、「柔よく剛を制す」に代表される、いわゆる「道の精神美」がセットになった文化でもあったからです。
今、インターネットの普及が「中心と辺境」の差を急速に無くしています。なら、私は尺八は「柔道なみの可能性が有る」と思っているんです。
嗤う人なんか初めから相手にしていません。どんな世界に広がったモノにも濫觴は有るんです。なら、ともかく流れに盃を浮かべてみれば良い。私には何ほどの事しか出来ないにせよ、私だけではない。どんどん新しい人が出てきます。
尺八では、古典本曲以外の現行ソフトで世界性を持つものは残念ながら無い、そう私は思っています。でも尺八のハードとしての可能性から見て、チカジカ出て来ると思います。それを作り出すのは日本人とは限りません。そして柔道に通じる尺八の「精神性」です。尺八の楽器上の不合理性も、柔道の格闘技としての前近代性と同様に、それを文化として考えた場合には大きな長所たりえます。
インターネットが、これまで世紀単位で広げた文化を、これからは短時間で世界に広める。柔道、寿司、ラーメンに続くのは尺八です。
スポンサーサイト