四分の一存続
- 2022/06/12
- 11:22
16世紀の末、戦国時代も大詰め、すなわち「群雄格闘期」が終わりに近ずき、日本統一の最終段階を迎えた頃、もう誰もが平和を待望していました。もともと戦争の好きな大名なんていたはずが有りません。「やらなければやられるので、仕方が無いからやる」が本当のところです。
彼らの願望は印章文語にも表れていますね。今川義元「如律令(律令の如くせよ、道教の厄払いの呪文。『天兵、降臨して我を助けよ』の意味」。上杉謙信「地帝妙(お地蔵様、帝釈天様、妙見菩薩様、どうか御加護を)」。北条氏康「碌寿応穏(一生が無事でありますように)」。織田信長「天下布武(全国を平和に。武は本来の意味で戦争を止める)」。だって、勝ちゃあ良いけど、勝ったって自分が死ぬ場合は有るし、もし負けでもしたら悲惨。ナンセ命とか破産が博打のカタだもんね。
ですから、戦国時代も終わりに近い、この時代になると戦争の早期収拾の為に、一つの妥協点みたいなものが存在したようです。つまり、交戦状態に入った後でも、「余力を残して降伏した場合、その領土の4分の1を認める」というものです。
信長が死んで3年、旧織田圏の再構築を果した秀吉は、いよいよ天下統一に乗り出しました。まずは四国を征服した長宗我部元親です。降伏後に四国のうち土佐(高知県)だけ領有を認めました。次いで片ずけたのが織田時代の同僚・佐々成政。降伏後、越中(富山県)のうち新川1郡を認めました。この時代の越中は4郡ですから、これも4分の1です。越中は「大国認定」で、この当時で凡そ50万石。なかで新川は最大の生産力を持っていましたから、本当は三分の一以上になりますが、この時代のGⅮP算定に、あまり厳密な事、たとえば「越中は慶長検地で53万6千37石だ」とか言って、それで何になりますかい。生産力の主体が天候に大きく左右される農産物ですし、それに今みたいな精密測定でもありませんからね。当時のインテリの常識、「大雑把に見て」が正しい判断でしょう。
九州全円をほぼ制圧した島津が降伏後に認められたのは薩摩、大隅と日向(宮崎県)の一部ですから、これも4分の1ですね。例外は北条。伊豆に加えて関東8か国のうち6国を、ほぼ支配下に置いていましたが、降参して何も残らなかった珍しい例です。残存していた最後の巨大勢力で、それが無くなった時点で、もう怖いモノが無くなったので配慮の必要が無かったし、それに北条は降伏の時点の情勢で、鳥取(吉川)や三木(別所)と同じく、開城が落城と同様に受け止められたのでしょう。それなら何も残りませんわ・・・。
このルールは家康にも受け継がれて、例えば毛利は関ケ原後に120万石の領土を防長2州(山口県)30万石にされました。戦前は毛利秀包の久留米、吉川領の出雲半国を加えて150万国を越えていましたが、周防、長門は本当は50万国ですから、それはそれで納得できますよね。だって52万石と算定されたうち、その3分の2(36万9千石)を朱印地として公式に認定し、残りの3分の1を言わば「控除対象」にしてくれたのですから・・・。
そして同じく家康と交戦状態になった上杉120万石。ここも米沢30万石で手打ちです。常陸(茨城県)の佐竹は、交戦こそ無かったものの、敵対したとみなされて54万石が秋田20万石に削られました。それにしても「実際は80万石有った」と言われる佐竹が、土壇場で日和見せずに、根性を入れて上杉に味方していたら、これは家康にとって大変な事態になっていたと思います。何によらず、私達は歴史の結末を知っていますからね。その渦中の人達が迷い、混乱するのは当り前ですって。
この「4分の1」という数字は、「まだ何とかやれる範囲」だったのでしょう。これ以下だと、まだ余力を残しているだけに、自暴自棄になって「窮鼠猫を嚙む」になりかねないし、これ以上残すとシメシが着かないでしょうね。
今は尺八は未曽有の混乱期の真っただ中です。明治期の普化宗廃止、敗戦に次いでの「コロナ禍」です。この渦中にいる尺八のプロ達は「途方に暮れている」と言うのが本当の処です。だって混乱の渦中だもの、先が見えない。私にはオボロゲながら見えていますけどね・・・。
今の事態はコロナと流派の消滅とのダブルパンチです。「せめてコロナが収まれば、リベンジ需要が起こるだろう」との予想も有ります。私も一時的にせよ起こると思います。ただ、ですね、「価格洗脳」が出来た流派が崩壊した今は、コロナが終わっても、需要は高額尺八には向かいません。貯まった金は「個人の購買意欲が欲する商品」に向かうのです。その中での選択です。「1万なら買うけど2万円じゃイヤだ」とかの選別に、尺八だけでなく全てのモノが晒されるわけで、選ばれなければ生き残れません。
気の毒ですが、現在生き残っている20数名のプロ製管師のうち、半分は5年以内に消えると思います。そのひとつの目安が中古相場だと思います。
ヤフーオークションなんかを見ると、中古市場で新管の5割値が付くのがネプチューンと龍畝です。3割以上が真山、沢山、容山、泉州、一城。資料が少なくて確言出来かねますが、おそらく筦山もここに入ると思います。そして2割5分以上、すなわち新管価格の4分の1、此処までに入る人、仙山、竹勇、露秋までが生き残る可能性が有る人達だと言うのが私の見解です。
勿論、中古ですから安いのは当たり前で、ここと新管価格の価格差が小さい人ほど競争力が有るわけです。それに、いざと言う時でも新管を中古として出せば、とりあえず4分の1以上には成るのですから、今みたいにゼロよりは良いでしょう。でも、危険なカンフル剤ですけどね。それをすれば、もう新管を従来の価格では売れません。けど、どっちにしろ従来価格では今後は無理ですよ。だって、そもそもの価格が高いとは思わないですか?。「4分の1価格で生きていけるもんか」と言われたって、そんなの私と関係無いですからね。
出来なくたって知りませんよ。でもアンタ、価格4分の1はイコール収入4分の1ではありません。安価は競争力を高めます。江戸時代に多くの大名家が潰れましたが、ここに関ケ原で敗者の側にまわった家は無いです。苦しい境遇を乗り越えて、緊張感を持った事も一因と違いますかいな。
「ところで海外市場は?」って、それはそうでしょうけど、現在まで海外市場が確保出来ないで、今になってアタフタしている様な人ですと、もうそれだけで生き残りは無理じゃないですかね・・・。
彼らの願望は印章文語にも表れていますね。今川義元「如律令(律令の如くせよ、道教の厄払いの呪文。『天兵、降臨して我を助けよ』の意味」。上杉謙信「地帝妙(お地蔵様、帝釈天様、妙見菩薩様、どうか御加護を)」。北条氏康「碌寿応穏(一生が無事でありますように)」。織田信長「天下布武(全国を平和に。武は本来の意味で戦争を止める)」。だって、勝ちゃあ良いけど、勝ったって自分が死ぬ場合は有るし、もし負けでもしたら悲惨。ナンセ命とか破産が博打のカタだもんね。
ですから、戦国時代も終わりに近い、この時代になると戦争の早期収拾の為に、一つの妥協点みたいなものが存在したようです。つまり、交戦状態に入った後でも、「余力を残して降伏した場合、その領土の4分の1を認める」というものです。
信長が死んで3年、旧織田圏の再構築を果した秀吉は、いよいよ天下統一に乗り出しました。まずは四国を征服した長宗我部元親です。降伏後に四国のうち土佐(高知県)だけ領有を認めました。次いで片ずけたのが織田時代の同僚・佐々成政。降伏後、越中(富山県)のうち新川1郡を認めました。この時代の越中は4郡ですから、これも4分の1です。越中は「大国認定」で、この当時で凡そ50万石。なかで新川は最大の生産力を持っていましたから、本当は三分の一以上になりますが、この時代のGⅮP算定に、あまり厳密な事、たとえば「越中は慶長検地で53万6千37石だ」とか言って、それで何になりますかい。生産力の主体が天候に大きく左右される農産物ですし、それに今みたいな精密測定でもありませんからね。当時のインテリの常識、「大雑把に見て」が正しい判断でしょう。
九州全円をほぼ制圧した島津が降伏後に認められたのは薩摩、大隅と日向(宮崎県)の一部ですから、これも4分の1ですね。例外は北条。伊豆に加えて関東8か国のうち6国を、ほぼ支配下に置いていましたが、降参して何も残らなかった珍しい例です。残存していた最後の巨大勢力で、それが無くなった時点で、もう怖いモノが無くなったので配慮の必要が無かったし、それに北条は降伏の時点の情勢で、鳥取(吉川)や三木(別所)と同じく、開城が落城と同様に受け止められたのでしょう。それなら何も残りませんわ・・・。
このルールは家康にも受け継がれて、例えば毛利は関ケ原後に120万石の領土を防長2州(山口県)30万石にされました。戦前は毛利秀包の久留米、吉川領の出雲半国を加えて150万国を越えていましたが、周防、長門は本当は50万国ですから、それはそれで納得できますよね。だって52万石と算定されたうち、その3分の2(36万9千石)を朱印地として公式に認定し、残りの3分の1を言わば「控除対象」にしてくれたのですから・・・。
そして同じく家康と交戦状態になった上杉120万石。ここも米沢30万石で手打ちです。常陸(茨城県)の佐竹は、交戦こそ無かったものの、敵対したとみなされて54万石が秋田20万石に削られました。それにしても「実際は80万石有った」と言われる佐竹が、土壇場で日和見せずに、根性を入れて上杉に味方していたら、これは家康にとって大変な事態になっていたと思います。何によらず、私達は歴史の結末を知っていますからね。その渦中の人達が迷い、混乱するのは当り前ですって。
この「4分の1」という数字は、「まだ何とかやれる範囲」だったのでしょう。これ以下だと、まだ余力を残しているだけに、自暴自棄になって「窮鼠猫を嚙む」になりかねないし、これ以上残すとシメシが着かないでしょうね。
今は尺八は未曽有の混乱期の真っただ中です。明治期の普化宗廃止、敗戦に次いでの「コロナ禍」です。この渦中にいる尺八のプロ達は「途方に暮れている」と言うのが本当の処です。だって混乱の渦中だもの、先が見えない。私にはオボロゲながら見えていますけどね・・・。
今の事態はコロナと流派の消滅とのダブルパンチです。「せめてコロナが収まれば、リベンジ需要が起こるだろう」との予想も有ります。私も一時的にせよ起こると思います。ただ、ですね、「価格洗脳」が出来た流派が崩壊した今は、コロナが終わっても、需要は高額尺八には向かいません。貯まった金は「個人の購買意欲が欲する商品」に向かうのです。その中での選択です。「1万なら買うけど2万円じゃイヤだ」とかの選別に、尺八だけでなく全てのモノが晒されるわけで、選ばれなければ生き残れません。
気の毒ですが、現在生き残っている20数名のプロ製管師のうち、半分は5年以内に消えると思います。そのひとつの目安が中古相場だと思います。
ヤフーオークションなんかを見ると、中古市場で新管の5割値が付くのがネプチューンと龍畝です。3割以上が真山、沢山、容山、泉州、一城。資料が少なくて確言出来かねますが、おそらく筦山もここに入ると思います。そして2割5分以上、すなわち新管価格の4分の1、此処までに入る人、仙山、竹勇、露秋までが生き残る可能性が有る人達だと言うのが私の見解です。
勿論、中古ですから安いのは当たり前で、ここと新管価格の価格差が小さい人ほど競争力が有るわけです。それに、いざと言う時でも新管を中古として出せば、とりあえず4分の1以上には成るのですから、今みたいにゼロよりは良いでしょう。でも、危険なカンフル剤ですけどね。それをすれば、もう新管を従来の価格では売れません。けど、どっちにしろ従来価格では今後は無理ですよ。だって、そもそもの価格が高いとは思わないですか?。「4分の1価格で生きていけるもんか」と言われたって、そんなの私と関係無いですからね。
出来なくたって知りませんよ。でもアンタ、価格4分の1はイコール収入4分の1ではありません。安価は競争力を高めます。江戸時代に多くの大名家が潰れましたが、ここに関ケ原で敗者の側にまわった家は無いです。苦しい境遇を乗り越えて、緊張感を持った事も一因と違いますかいな。
「ところで海外市場は?」って、それはそうでしょうけど、現在まで海外市場が確保出来ないで、今になってアタフタしている様な人ですと、もうそれだけで生き残りは無理じゃないですかね・・・。
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