尺八鑑定
- 2015/01/23
- 22:45
日本刀でありますな、刀身だけを見て銘を当てる鑑定。尺八で私も出来るんです。「日本でオレだけだろう」とささやかな自慢でしたが、この頃、私の弟もかなり判定出来るようになりました。
私の弟は遼山工房という尺八の修理だけを行う会社を26年やっています。そして、手がけた修理尺八が一万本を超えたあたりから、銘を見なくとも尺八の「造り」だけで誰の作か分かるようになりました。
種明かしをしますと、素人の作った尺八は分かりません。「造り」のお粗末さで素人作と分かるだけです。
それと大正以前の、いわゆる古管も分かりません。銘を見てからなら解説は出来ます。
真山と一城は見分けるのが難しい。ただ、この場合は「真山」と言っておけば80パーセント当たります。何故ならば真山は一城の五倍以上出まわっていますから。
同様に初代鈴慕と鈴呂も見分けるのは至難の技ですが、「鈴慕」と言っておけば90パーセント以上は当たります。弟子であっても鳳童は分かります。
仙山、鹿山、容山は、この世界を代表する製管師で、ともに竹仙の弟子ですが、この人達ほど高度な技術を持っていると、逆に個性が固定していて、見ていて何となく分かります。ついでに申しますと、玉井竹仙は一人ですが、竹仙銘尺八の製作は数十人が手掛けています。でも、共通した傾向が有って、かなりの高確率で分かります。真山が作った竹仙でも真山ほど上手くない、鹿山が作った竹仙でも鹿山の特徴が強く出ていない。この辺は言葉にするのが困難です。
玉水と深水は似ていると言う人がいますが、何処見て言ってんの?
岳童や竹勇は分かる人は多いですよね、二人とも「造り」は正直言って「下手」。ですが「本当の意味での下手」ではなくて、いわゆる「下手ウマ」というやつで、実に個性豊かで味の有る「造り」です。特に岳童は本当は上手なのかも知れません。一見雑で下手に見える円空仏みたいな感じです。
泉州は誰でも分かりますが、紫雲と完全に判別することは誰にも出来ません。
ようするに、百発百中では私も当たりません。でも私や弟は持ち込んで来た人と会話して、その方の住んでいる場所、所属している流・会、手に入れた時期などを把握することで正解率を高めているのです。
私の弟は遼山工房という尺八の修理だけを行う会社を26年やっています。そして、手がけた修理尺八が一万本を超えたあたりから、銘を見なくとも尺八の「造り」だけで誰の作か分かるようになりました。
種明かしをしますと、素人の作った尺八は分かりません。「造り」のお粗末さで素人作と分かるだけです。
それと大正以前の、いわゆる古管も分かりません。銘を見てからなら解説は出来ます。
真山と一城は見分けるのが難しい。ただ、この場合は「真山」と言っておけば80パーセント当たります。何故ならば真山は一城の五倍以上出まわっていますから。
同様に初代鈴慕と鈴呂も見分けるのは至難の技ですが、「鈴慕」と言っておけば90パーセント以上は当たります。弟子であっても鳳童は分かります。
仙山、鹿山、容山は、この世界を代表する製管師で、ともに竹仙の弟子ですが、この人達ほど高度な技術を持っていると、逆に個性が固定していて、見ていて何となく分かります。ついでに申しますと、玉井竹仙は一人ですが、竹仙銘尺八の製作は数十人が手掛けています。でも、共通した傾向が有って、かなりの高確率で分かります。真山が作った竹仙でも真山ほど上手くない、鹿山が作った竹仙でも鹿山の特徴が強く出ていない。この辺は言葉にするのが困難です。
玉水と深水は似ていると言う人がいますが、何処見て言ってんの?
岳童や竹勇は分かる人は多いですよね、二人とも「造り」は正直言って「下手」。ですが「本当の意味での下手」ではなくて、いわゆる「下手ウマ」というやつで、実に個性豊かで味の有る「造り」です。特に岳童は本当は上手なのかも知れません。一見雑で下手に見える円空仏みたいな感じです。
泉州は誰でも分かりますが、紫雲と完全に判別することは誰にも出来ません。
ようするに、百発百中では私も当たりません。でも私や弟は持ち込んで来た人と会話して、その方の住んでいる場所、所属している流・会、手に入れた時期などを把握することで正解率を高めているのです。
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