尺八に関してですが、これまで2冊の本を書き、その他にインタビューや記事の寄稿等、一般紙を含めて随分多くやらせていただきました。で、その中で自分では、一番の出来だと思っているのが 1996年に『邦楽ジャーナル』に書いた「都山流百年」です。
これは、創流百年を迎えた都山流の記念特集を邦楽ジャーナル誌が企画した記事の一部です。最初に原稿依頼の話が有った時に、私は「もっと適当な人達がいます」と、何人かの人の名を挙げて断りました。別に謙遜して辞退したわけでも無く、「都山流の歴史」と限定すれば、もっと詳しい方達がいました。
すると1週間ほどたって、また田中社長から電話が有りました。どうも皆に断られたらしいのです。それで、「他にいない。是非お願いします」と再度依頼されてひきうけました。どうして断られたかは、あくまで想像の範囲ですが、その20年前から3派に分かれていた都山流史を書く上で、どうしても分裂の経緯は書かざるを得ない、その上で、何処か一方に加担したと採られたくない、そういう事ではないかと思います。
幸い記事は好評で、抗議も無く、何処の派閥の大幹部達からも褒めていただきました。こういう事に一番敏感な、都山流楽会の支配者であった高平艟山さんも、皮肉交じりですが肯定してくれた様です。
では執筆にあたって十分の注意を払ったのか?、そう言われれば「そうでもない」と答えます。だって、私の立場は気楽ですもの。都山3派の何処にも尺八の顧客層を持っている私は、当り前ですが、何処の大幹部にも親しい人達がいました。けど、特定の団体に密着した売り方はしていないので、フリーハンドであった事は大きいですね。
でも、トラブルを敢えて起こす事はないですが、「飛ばされた火の粉」は払います。。その少し前ですが、皆が恐れたコワモテの高平艟山さんさえ、私が買った喧嘩に沈黙で答えたくらいです。でも、その前も後も高平さんには個人的なマイナス感情なんて有りません。それよりも、都山の何処の派閥であれ、内部は一枚岩ではないと知っていました。和代さん美都子さん母子に対する同情心が大きな結束の核になっていた新都山流でさえ、児島(和代さんの父)さんに対しての不満は頻繫に聞いたものです。
「何処の誰を怒らしたって、横車を押すのでなければ、それで喝采してくれる人達も多い」、これがオトナの集団である尺八界の素晴らしいところです。仮定の話ですが、高平さんと全面衝突の関係になったとすれば、都山流楽会員からさえ注文は増えたでしょうね。これが団体に食い込まずに、個人を相手にしてきた尺八屋の利点です。だからと言って、紛争とかを出来るだけ避ける努力をしない人も段々と世間が狭くなるはずです。
繰り返しになりますが、都山流の百年史を書く上で、避けて通れないのが1976年に起きた大分裂です。この時代は、まだ記憶に新しく、私は尺八屋ですから、その経緯はショッチュウ聞いていました。それに、分裂前後の怪文書が飛び交っていた時の事は、私自身も良く憶えています。中には「こんなモノをバラまいて、他の世界に対して恥ずかしくないのか」と思う下品な内容のものも有りました。そして、分裂後も3派それぞれ、多くの人の、時には真っ向から相反する見解を聞いていますので(間違いない。私より聞いた人はいない)、自然と中立的な意見になります。その上で事実関係だけを書いたのですから、抗議が無いのが当たり前です。
対抗団体が問題にする「高平および楽会の違法性」にしたって、そんなの大会社であっても時には行われていた事ですし、積極的にせよ消極的にせよ、それを支持した人達が存在したから通たんでしょうよ。私も個人的には「クロ」だと思いますが、それはあくまで「個人的な印象」でしかありません。
さて、この分裂というヤツ、これが起きるのは流派にとって大打撃でしょうが、また別の面から見ると「良い時代だったなあ」とも言えます。だって、「泥試合」を繰り返し、互いの汚らしい面を暴きあって、双方が面目を潰し合っても、金銭的に利が有るからこそ、分裂抗争に踏み切るわけですよね。団体が、今みたいなテイタラクになったら離脱は有っても、分裂は無いでしょうよ。だって、何の得もないもの・・・。
思えば、その頃は尺八の団体経営が大きな利権になる良い時代でした。ちなみに申しますと、私が「都山流百年」を書いた1996年時点でも、理事長・高平艟山(流人理事長は高平さんから始まりました)の実際の年収は3千万円を越えていたようです。対抗団体の人などは「もっと多いはず」と皮肉交じりに言っていました。
分裂の主たる要因は金がらみか支配欲であって、「芸の正当性」あるいは「正義」、「伝統」なんて抽象的なモノであったことって、他のドンナ芸術団体であろうと、はたして一度でも有ったんでしょうかね?。「有った」とおっしゃる方がもしいたら、是非私に教えてください。
貶しているのとチャイまっせ。「ナントカの正当性」というのは、おうおうにして「金銭欲より醜悪であったケースが多い」。私くらいの年になると、ダイタイそう思うのと違いますかいな・・・。
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