尺八輸入は有るか?
- 2022/07/07
- 10:38
1980年に私が尺八商売を始めるに当たって、一番参考にしたのが着物業界でした。間違っても同業者なんかを参考にしなかったのが、私の聡明さであり、ひいては今の大(ママ)大橋鯛山を創りあげた淵源でしょうな。
その頃、私の周辺には着物業界の人が沢山いました。なかでも1年先輩の目黒さん、そして4年後輩の舟橋。この2人は法政大学三曲会での先輩後輩なので、何でも言い合える仲でしたので、よく着物業界の内情を訊いたものです。目黒さんは着物最大手企業のひとつ、「着物のやまと」で取締役にまでなったヤリ手ですが、53歳で独立して事業を成功させています。訊けばドンナことでも適格に応えてくれました。
舟橋は、真に尊敬すべき私を散々コケにした天罰で、39という若さで他界してしまいましたが、生きていればヤツも68,今頃は老舗・甲州屋をしくじった挙句、生存の為に、私にイジメてイジメて、イジメぬかれながらも邦星堂で尺八を作っていたと思います。こいつは抜群に人柄が良い上に、慎重な性格で決していい加減な事は言わない。着物業界の事も自分の推測を入れないので、情報の信憑性は抜群でしたね。
着物屋は、この2人以外にも親類に2人、友人にも何人もいました。そう言っては何ですが、30までと70過ぎの男の交際範囲なんて知れたモノです。それでも、これだけ多かったという事は、この時代の着物は一大産業だったのでしょう。私が尺八屋を始めた頃で公称(通産省や税務署が把握している数字。実際はもっと多い)で「1兆8千億円産業」でしたから、尺八製管業と比べると4桁多かったわけです。今は、その六分の一くらいに縮小した様です。「そんなものじゃない。もっとだ」と言う人もいます。ともかく完全な斜陽産業ですね。
その傾向は1980年、着物産業の最盛期にも分かっていました。「もう日本人は着物を着ない」、日本人なら誰でも知っていました。でも同時に、経済発展の結果ですが、女性が20歳になると高額の振袖を新調し、かつては金持ちの道楽だった大島や結城の紬を、普通のサラリーマンが買って楽しんでいた時代だったことも事実です。
そしてまた、この衰退の理由も経緯も驚くほど邦楽業界と似ています。そのピークに在っても「見える人」には将来像が鮮明に見えていました。
急激な衰退の理由なんかは、もう皆が知っている事ですから、此処で新めて言っても仕方が無い。私が当時興味が有ったのは、「着物業界の勝ち組」の成功した秘訣でした。だって尺八とは業界の問題点だけでなく、対象とする顧客も似ていましたもの。ハッキリ言いましょう。趣味産業における顧客とは「良く知っていると自分で思っていて、実は何も知らない状態の人」が大部分を占めるという点です。知識の有無と所謂「目が出来ている状態」とは全く別の事です。骨董や美術品でも同様ですね。
そしてここが成功失敗の分かれ目なのです。「ナンダカンダ言っても、素人は本当は何も分かっちゃいねえ」と思うのは論外ですし、その反対に「御客様は神様」も、こういう趣味産業では駄目だと思います。そういう「商売の呼吸」みたいなものは、経験で段々会得するものでしょうが、着物産業の販売ノウハウこそ私が一番に知りたかった事でした。だって、「もう復活は無い衰退産業」でも、隆々たる勝ち組は現に有るわけで、要は自分が、その勝ち組に入ることでしょう。
実は、着物ビジネスとは、その前も縁が有ったんです。1975年か76年です、親しくしていた韓国の古都・慶州の民芸屋から「韓国産の大島紬を扱わないか。日本に持って帰っただけで3倍になる」と誘われました。その友人は日本語が達者で、岸信介が訪韓した時に、慶州での専属通訳を務めたほどですから、まあ社会的信用も有ったわけです。でも、「たとえ誰であれ、韓国人の言うコノ手の話は疑ってかかる」と、もう分かっていましたので、一応調査しました。その事も話題になりました。
目黒さん、「大橋が韓国人に言われた頃だと、正直言って韓国大島は品質がイマイチだったよね。でも今(1980年頃)だと品質は追いついてきたよ。そうか、その当時は誰もが大橋に『韓国産大島なんて商品にならない』と言ったわけか。そうだろうな、だけどよ向こうも商売だ。、やがて品質は追いつく。問題を先送りにするのが一番楽なんだ。現実を見ないで、口だけで否定した業界にも問題が有るよな」
舟橋、「韓国大島ですか、染めたらプロでも見分けられないですよ。この世界の人は絶対に本当の事は言わないけど」。
こういう業態は70年代の普通の状態でした。80年代に入って、見る影も無く落ちぶれた産業は、ほぼ同一パターン。「○○人に日本人と同等品質の商品を作れるわけない」で、安易な言葉で問題から目を逸らし、「見えていた欠陥」をも先送りした結果です。
さて尺八でも、すでに2年半前から中国企業からメタル尺八やプラスチック尺八の輸入が始まっています。一音無心のプラ管はアマゾンで買えますし、猛林(モーリン、月泉組)はメタル尺八とプラ管で続々と新しい商品を出しています。いずれも恐るべき性能であり、私も勉強になります。でも、竹の尺八はまだ日本に入っていません。もう中国には何人とも知れないプロ製管師がいますし、おそらく品質も、もう追いついたか時間の問題で完全に追いつくでしょう。
では、日本産はヤバいのか?。私は、そうではないと思います。そうではないからこそ残念なのです。かつて日本の着物市場を席巻した韓国大島は今は見る事がありません。1980年頃でも韓国人の給与は日本人の3分の1くらいでしたから、労働力集約型の手工業は、人件費が安くて、日本と同等の質の高い労働力を持つ韓国、または台湾、香港で生産した方が有利でした。でも今や韓国、台湾も賃金は日本に追いつき、香港にいたっては日本より高いです。
それと、より大きいのは日本における着物市場の縮小です。「何もそんな苦労が多くて儲からない市場に参入する必要は無い」ですもんね。尺八と全く同じですよ。着物と同じく「日本産」はブランド力が有ります。でも、それも、この先何年という話でしょうが・・・。
その頃、私の周辺には着物業界の人が沢山いました。なかでも1年先輩の目黒さん、そして4年後輩の舟橋。この2人は法政大学三曲会での先輩後輩なので、何でも言い合える仲でしたので、よく着物業界の内情を訊いたものです。目黒さんは着物最大手企業のひとつ、「着物のやまと」で取締役にまでなったヤリ手ですが、53歳で独立して事業を成功させています。訊けばドンナことでも適格に応えてくれました。
舟橋は、真に尊敬すべき私を散々コケにした天罰で、39という若さで他界してしまいましたが、生きていればヤツも68,今頃は老舗・甲州屋をしくじった挙句、生存の為に、私にイジメてイジメて、イジメぬかれながらも邦星堂で尺八を作っていたと思います。こいつは抜群に人柄が良い上に、慎重な性格で決していい加減な事は言わない。着物業界の事も自分の推測を入れないので、情報の信憑性は抜群でしたね。
着物屋は、この2人以外にも親類に2人、友人にも何人もいました。そう言っては何ですが、30までと70過ぎの男の交際範囲なんて知れたモノです。それでも、これだけ多かったという事は、この時代の着物は一大産業だったのでしょう。私が尺八屋を始めた頃で公称(通産省や税務署が把握している数字。実際はもっと多い)で「1兆8千億円産業」でしたから、尺八製管業と比べると4桁多かったわけです。今は、その六分の一くらいに縮小した様です。「そんなものじゃない。もっとだ」と言う人もいます。ともかく完全な斜陽産業ですね。
その傾向は1980年、着物産業の最盛期にも分かっていました。「もう日本人は着物を着ない」、日本人なら誰でも知っていました。でも同時に、経済発展の結果ですが、女性が20歳になると高額の振袖を新調し、かつては金持ちの道楽だった大島や結城の紬を、普通のサラリーマンが買って楽しんでいた時代だったことも事実です。
そしてまた、この衰退の理由も経緯も驚くほど邦楽業界と似ています。そのピークに在っても「見える人」には将来像が鮮明に見えていました。
急激な衰退の理由なんかは、もう皆が知っている事ですから、此処で新めて言っても仕方が無い。私が当時興味が有ったのは、「着物業界の勝ち組」の成功した秘訣でした。だって尺八とは業界の問題点だけでなく、対象とする顧客も似ていましたもの。ハッキリ言いましょう。趣味産業における顧客とは「良く知っていると自分で思っていて、実は何も知らない状態の人」が大部分を占めるという点です。知識の有無と所謂「目が出来ている状態」とは全く別の事です。骨董や美術品でも同様ですね。
そしてここが成功失敗の分かれ目なのです。「ナンダカンダ言っても、素人は本当は何も分かっちゃいねえ」と思うのは論外ですし、その反対に「御客様は神様」も、こういう趣味産業では駄目だと思います。そういう「商売の呼吸」みたいなものは、経験で段々会得するものでしょうが、着物産業の販売ノウハウこそ私が一番に知りたかった事でした。だって、「もう復活は無い衰退産業」でも、隆々たる勝ち組は現に有るわけで、要は自分が、その勝ち組に入ることでしょう。
実は、着物ビジネスとは、その前も縁が有ったんです。1975年か76年です、親しくしていた韓国の古都・慶州の民芸屋から「韓国産の大島紬を扱わないか。日本に持って帰っただけで3倍になる」と誘われました。その友人は日本語が達者で、岸信介が訪韓した時に、慶州での専属通訳を務めたほどですから、まあ社会的信用も有ったわけです。でも、「たとえ誰であれ、韓国人の言うコノ手の話は疑ってかかる」と、もう分かっていましたので、一応調査しました。その事も話題になりました。
目黒さん、「大橋が韓国人に言われた頃だと、正直言って韓国大島は品質がイマイチだったよね。でも今(1980年頃)だと品質は追いついてきたよ。そうか、その当時は誰もが大橋に『韓国産大島なんて商品にならない』と言ったわけか。そうだろうな、だけどよ向こうも商売だ。、やがて品質は追いつく。問題を先送りにするのが一番楽なんだ。現実を見ないで、口だけで否定した業界にも問題が有るよな」
舟橋、「韓国大島ですか、染めたらプロでも見分けられないですよ。この世界の人は絶対に本当の事は言わないけど」。
こういう業態は70年代の普通の状態でした。80年代に入って、見る影も無く落ちぶれた産業は、ほぼ同一パターン。「○○人に日本人と同等品質の商品を作れるわけない」で、安易な言葉で問題から目を逸らし、「見えていた欠陥」をも先送りした結果です。
さて尺八でも、すでに2年半前から中国企業からメタル尺八やプラスチック尺八の輸入が始まっています。一音無心のプラ管はアマゾンで買えますし、猛林(モーリン、月泉組)はメタル尺八とプラ管で続々と新しい商品を出しています。いずれも恐るべき性能であり、私も勉強になります。でも、竹の尺八はまだ日本に入っていません。もう中国には何人とも知れないプロ製管師がいますし、おそらく品質も、もう追いついたか時間の問題で完全に追いつくでしょう。
では、日本産はヤバいのか?。私は、そうではないと思います。そうではないからこそ残念なのです。かつて日本の着物市場を席巻した韓国大島は今は見る事がありません。1980年頃でも韓国人の給与は日本人の3分の1くらいでしたから、労働力集約型の手工業は、人件費が安くて、日本と同等の質の高い労働力を持つ韓国、または台湾、香港で生産した方が有利でした。でも今や韓国、台湾も賃金は日本に追いつき、香港にいたっては日本より高いです。
それと、より大きいのは日本における着物市場の縮小です。「何もそんな苦労が多くて儲からない市場に参入する必要は無い」ですもんね。尺八と全く同じですよ。着物と同じく「日本産」はブランド力が有ります。でも、それも、この先何年という話でしょうが・・・。
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