弓道
- 2022/07/30
- 20:00
今日は家内の姉が家に来ました。娘夫婦や孫達と沖縄に行ってきたとかで、その土産を届けてくれたわけです。沖縄か、良いなあ、行きてえなあ。
沖縄は豚肉を使った数々の料理が秀逸で、こういう暑い日には、無性に食べたくなります。私も70を過ぎたので、体が脂っこい食品を欲するようになったんですね。焼肉でも若い頃はロース、ミノ、タンなどヒト通り食べましたが、65過ぎてはカルビ専門です。
それはともかくとして、沖縄は歴史の文字記録化が遅かったので、日本で言う鎌倉時代にならないと歴史時代に入りません。最初の王が源為朝の子、舜天です。何ですと、「舜天など実在していない。まして為朝の子などありえない」ですと。イカンですなあ、一っ頃の左翼みたいに歴史記述を、そう何でもかんでも疑っていては話が進みませんよ。
天皇が何故尊ばれるのか?。日本で一番喧嘩が強いわけでも、私より顔が良いからでもありません。偏に「日本最古の記録性の有る家系」と言うに尽きる。出雲大社の千家などと同じく天照大御神の直系子孫だからでしょうが。「オマエは馬鹿か?」だって、うるせえ、黙れ。そりゃ、そんな事、余程の極右翼にしろ狂信的神道家にしろ、本当に信じているヤツなんて日本人の中に1人もいないと断言できる。でも、「そういう事にしておこう、日本人の共通の本家で別に実害は無いじゃないの」で、ある程度の社会的容認が得られているのではないかしら。
舜天だってそうよ。沖縄の正史である『中山世鑑』にチャンと書いて有る。エッ「難しい」ってか、だから俺らの為に『椿説弓張月』が有る。テレビの「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」なんかと同じく、またとない歴史の参考書でっせ。
舜天の父、為朝と言えば弓の名手。那須与一と並んで日本史の、いや世界史的名聲を持つ人です。私の子供の頃は、私と同じく全く学校勉強をしない子供達だって、その名を知らない者などいなかった。彼等に較べたらウイリアム・テルや李広なんてサンシタでしたよ。
私の大阪展示会によく来る西田壬山さん。師匠である星田一山と鹿島千山の字を合体させて壬山とした、都山流の尺八吹きでです。この人の出立がまた泣かせます。着物に袴、丁寧にも編み笠を被って、やってきます。腰に刀こそ差していませんが、浪人の姿そのままです。この格好でウロツカレたら奥さんや家族がたまらんですわね。これが京都なら良いんですよ。「太秦映画村から撮影の合間に出てきたんだろう」、くらいに思いますからね。大阪ですからね・・・。環状線に乗っていて、隣の席が空いたとして、たぶん誰も坐らないと思いますよ。
この方は多彩な趣味を御持ちで、しかも「のめり込むタイプ」なので、そのいずれもが相当のレベルに行きます。弓も、その一つです。だから、私は弓の事、根掘り葉掘り訊きましたよ。これが私のクセみたいなモノです。
私不思議だったんです。どうして世界で一般的だった弩や遊牧民の短弓が日本に無いのか。日本の弓は竹と木を張り合わせて作ります。威力が強い、連射が出来る、騎馬戦で使える等の利点は勿論有りますが、訓練が必要で有る為、朝まで野良仕事をしていた百姓オヤジを急に引っ張って来て兵隊にする事も出来ないし、弩の様に待ち伏せが出来ません。
集団による騎射で世界を征服した蒙古人の弓は、動物の骨を薄く削って貼り合わせるらしいですが、これは日本の弓の長所を持つと同時に、短所をほとんどクリアします。でも日本だって、この弓の作り方は知ってたんですわ。8世紀の「安史の乱」の時に、弓が不足した唐王朝の要請で、弓の材料として大量の牛の角を輸出しようとしてますもの。
西田さんに訊いて氷解しました。武器なのですから勝てば良い様なものですが、やはり武士としての様式美が求められたのですね。つまり勝つ事は大切でも、「卑怯者」の汚名を被らない事も、それに劣らず重要だと考えたわけです。そしてナリフリ構わず勝たなくてはならない戦国時代には、鉄砲が入ってきてしまった。
この「武士の誇り」が様式化したものこそ日本の武道です。すなわち「道」。中でも弓道は完全に本来の用途から離れました。もう弓は武器でも狩猟具でもありません。護身術ですらない。
よく駅や電車の中で、長い弓を袋に納めた着物に袴姿の若い女性達を見ます。カッコ良いですね。思わず見とれちゃう。西田さんによると、「心を集中させて無心にならないと的に当たらない」そうですから、心映えを育むことが重要で、そういう精神の有り方が、凛とした見た目の美しさにもなっているんでしょうね。
弓は機能の極致まで進んだアーチェリーに較べたら、武器としては欠点だらけな事は誰にも分かります。でも、柔道や剣道より、さらに本来の在り方から離れてしまった弓。その反面、礼儀、精神性が表に出た「弓道の精神性」が際立ったからこそ女性にも人気が有るのでしょう。
私は尺八も、この弓が大いに参考になると思うのです。楽器としての性能の追求は勿論大切です。だって依然として実用品としての楽器でもありますからね。でも、この日本の各種の「道」に強く表れる精神性を軽視すれば、尺八の大きな、世界に通用する価値も失ってしまうと思うのですよ。日本独自とか言われる「道」こそ、また国際性でもあると思います。
沖縄は豚肉を使った数々の料理が秀逸で、こういう暑い日には、無性に食べたくなります。私も70を過ぎたので、体が脂っこい食品を欲するようになったんですね。焼肉でも若い頃はロース、ミノ、タンなどヒト通り食べましたが、65過ぎてはカルビ専門です。
それはともかくとして、沖縄は歴史の文字記録化が遅かったので、日本で言う鎌倉時代にならないと歴史時代に入りません。最初の王が源為朝の子、舜天です。何ですと、「舜天など実在していない。まして為朝の子などありえない」ですと。イカンですなあ、一っ頃の左翼みたいに歴史記述を、そう何でもかんでも疑っていては話が進みませんよ。
天皇が何故尊ばれるのか?。日本で一番喧嘩が強いわけでも、私より顔が良いからでもありません。偏に「日本最古の記録性の有る家系」と言うに尽きる。出雲大社の千家などと同じく天照大御神の直系子孫だからでしょうが。「オマエは馬鹿か?」だって、うるせえ、黙れ。そりゃ、そんな事、余程の極右翼にしろ狂信的神道家にしろ、本当に信じているヤツなんて日本人の中に1人もいないと断言できる。でも、「そういう事にしておこう、日本人の共通の本家で別に実害は無いじゃないの」で、ある程度の社会的容認が得られているのではないかしら。
舜天だってそうよ。沖縄の正史である『中山世鑑』にチャンと書いて有る。エッ「難しい」ってか、だから俺らの為に『椿説弓張月』が有る。テレビの「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」なんかと同じく、またとない歴史の参考書でっせ。
舜天の父、為朝と言えば弓の名手。那須与一と並んで日本史の、いや世界史的名聲を持つ人です。私の子供の頃は、私と同じく全く学校勉強をしない子供達だって、その名を知らない者などいなかった。彼等に較べたらウイリアム・テルや李広なんてサンシタでしたよ。
私の大阪展示会によく来る西田壬山さん。師匠である星田一山と鹿島千山の字を合体させて壬山とした、都山流の尺八吹きでです。この人の出立がまた泣かせます。着物に袴、丁寧にも編み笠を被って、やってきます。腰に刀こそ差していませんが、浪人の姿そのままです。この格好でウロツカレたら奥さんや家族がたまらんですわね。これが京都なら良いんですよ。「太秦映画村から撮影の合間に出てきたんだろう」、くらいに思いますからね。大阪ですからね・・・。環状線に乗っていて、隣の席が空いたとして、たぶん誰も坐らないと思いますよ。
この方は多彩な趣味を御持ちで、しかも「のめり込むタイプ」なので、そのいずれもが相当のレベルに行きます。弓も、その一つです。だから、私は弓の事、根掘り葉掘り訊きましたよ。これが私のクセみたいなモノです。
私不思議だったんです。どうして世界で一般的だった弩や遊牧民の短弓が日本に無いのか。日本の弓は竹と木を張り合わせて作ります。威力が強い、連射が出来る、騎馬戦で使える等の利点は勿論有りますが、訓練が必要で有る為、朝まで野良仕事をしていた百姓オヤジを急に引っ張って来て兵隊にする事も出来ないし、弩の様に待ち伏せが出来ません。
集団による騎射で世界を征服した蒙古人の弓は、動物の骨を薄く削って貼り合わせるらしいですが、これは日本の弓の長所を持つと同時に、短所をほとんどクリアします。でも日本だって、この弓の作り方は知ってたんですわ。8世紀の「安史の乱」の時に、弓が不足した唐王朝の要請で、弓の材料として大量の牛の角を輸出しようとしてますもの。
西田さんに訊いて氷解しました。武器なのですから勝てば良い様なものですが、やはり武士としての様式美が求められたのですね。つまり勝つ事は大切でも、「卑怯者」の汚名を被らない事も、それに劣らず重要だと考えたわけです。そしてナリフリ構わず勝たなくてはならない戦国時代には、鉄砲が入ってきてしまった。
この「武士の誇り」が様式化したものこそ日本の武道です。すなわち「道」。中でも弓道は完全に本来の用途から離れました。もう弓は武器でも狩猟具でもありません。護身術ですらない。
よく駅や電車の中で、長い弓を袋に納めた着物に袴姿の若い女性達を見ます。カッコ良いですね。思わず見とれちゃう。西田さんによると、「心を集中させて無心にならないと的に当たらない」そうですから、心映えを育むことが重要で、そういう精神の有り方が、凛とした見た目の美しさにもなっているんでしょうね。
弓は機能の極致まで進んだアーチェリーに較べたら、武器としては欠点だらけな事は誰にも分かります。でも、柔道や剣道より、さらに本来の在り方から離れてしまった弓。その反面、礼儀、精神性が表に出た「弓道の精神性」が際立ったからこそ女性にも人気が有るのでしょう。
私は尺八も、この弓が大いに参考になると思うのです。楽器としての性能の追求は勿論大切です。だって依然として実用品としての楽器でもありますからね。でも、この日本の各種の「道」に強く表れる精神性を軽視すれば、尺八の大きな、世界に通用する価値も失ってしまうと思うのですよ。日本独自とか言われる「道」こそ、また国際性でもあると思います。
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