私が中学1年の時、つまり昭和38年ですが、父が母に訊きました。人気歌手だった島倉千代子の結婚する相手が、在日韓国人のプロ野球選手だったので、島倉千代子も韓国人なのかと、北品川で育ち、島倉とも「近所の顔見知り」だった母に問いただしたわけです。特に母の妹は、島倉と一緒に音楽学校に通った中でした。
母の返事は、「だって、あの人のお父さんて警察官よ。朝鮮人なわけがないじゃない」という様なものでした。私は不思議に思って、「朝鮮人(韓国人と言う言葉が日本人の中に定着したのは、昭和40年代半ば以降です)だと警察官になれないのか」と訊きました。
今では、スポーツや芸能人に在日コリアンが多い事は広く知られています。ですが差別意識の強かった昭和の時代は、大多数の人が出自を隠していたものです。野球の王や金田、張本の様に、在日外国人であることを公言していた人もいましたが、それは野球の様に実力が完全にモノを言う世界であったからで、「人気というアヤフヤなもの」が頼りの芸能人では、明らかにマイナスになった在日コリアンである事は言わなかったですね。私が記憶する範囲では、最初に大っぴらカミングアウトした人は歌手の
にしきのあきらです。
何故芸能人やスポーツ選手に在日コリアンが多かったのか?。周知の事ですが、在日コリアンに日本では「まともに就ける仕事」が少なかったからです。今では地方公務員には門が開かれている場合が有りますが、国家公務員は今でもダメ。その前だと弁護士もダメでしたし、銀行や大会社にも就職できませんでした。
こういう環境だと、「こんな日本社会なら、俺達コリアンは会社勤めをしても、どうせ上には行けねえや。ならイッチョウ実力で勝負しよう、駄目だって元々。それからだと有利な仕事は無いとか言うのは日本人の場合。俺達には始めから無い」。こういう気持ちの人が沢山出たというわけでしょうな。
今の日本では、「韓国人って恰好良い」と受け止める若い人は多いですし、欧米でも、そういう感想を持たれていると聞きます。アニメとか劇画の世界でも、一っ頃は主人公は日本人なのに容貌は欧米人でした。それが何時の間にか「韓国人の顔」に変わってるじゃありませんか。今の世界では、明らかに「アジアンビューティー」のスタンダードの一つは韓国人です。
私は昔から(整形が無かった頃から)、「韓国人の方が相対的に日本人より格好良い人が多い」という感想を持っていましたので、今の状況は不思議でも何でも無いですが、こういう感想は戦前でも欧米人は抱いていたようです。私の若い頃でも、せっかく私が上げた日本人美男子の偏差値を高橋照誠山や永田管堂が決定的に下げて、それは虚しい思いをしたものです。
でも、「韓国人の民族的な美しさ」、それも関係無い。芸能、スポーツに在日コリアンが多い根本の要因は、前記の理由で、それに向かってチャレンジする人が多かったからです。
どういう分野であれ、そこで成功した人って、必ずしも「何百万人に1人の天才」ではなくて、何百人、場合によっては何十人に1人くらいの人もいると思います。だって見てよ、今の相撲。幕内上位にモンゴル人がゴロゴロいるじゃないですか。百万人に1人の才能でしか成功出来ないものなら、仮にモンゴル人民共和国の男子全員が相撲を目指したとしても、1人か2人しか関取になれないはずです。
「お笑い芸人」にしたって、中学高校の同級生だった人達のコンビって、案外多いでしょう。相方の1人は天才だったとしたって、そう都合良く同じ学校の同学年に、もう1人天才がいるはずが無いでしょう。ですから肝心なのはチャレンジする事ですって。成功した人が多いからには、上手く行かなかった人は、その何倍も多いはずです。でも、それでもチャレンジするのは、「仮に失敗しても、結果は無難に送った一生と大して変わらない」と思えばこそですわ。
日本は長い間、終身雇用の年功序列が当たり前の社会でした。ですから、適性の無い者(大多数)には全く身に付かない学校勉強をやらせて、一時的な知識しか必要とされない入試、入社試験を通る事が大切で、とにかく会社員公務員にする事を目指して来ました。ですから子供の発展欲求や才能の開花を、これまで親が「勉強しろ」の一言で阻んできました。
それがどうです。今は「前の時代の約束事」は無くなってしまいました。貧富の格差増大、社会の息苦しさ、派遣の増加、将来の年金の期待薄、こんなのが今の若い人達の嘆きです。
でも私は、こういうのは社会変化の途上の苦しみであって、そのうちに「戸惑いの時代」が終わると、新しい心境になってくると思っています。すなはち「勉強して良い会社に入ったところでストレスは多いだろうし、今の時代は将来に保証なんてネエや。なら自分の望む人生を歩んだ方が良い。失敗したって派遣なら有るだろうから、それじゃ同じゃないの。チャレンジしただけ得だ」という人が多くなり、自営や職人、起業を目指す人が多くなると思います。
そうなると親が勉強優先には考えなくなりますから、中学進学と同時に、好きな事を止めるケースも減るでしょう。今だって野球とかサッカーはそうなったでしょうが。ですから、これからまた、若い子で尺八をやる人も増えると思うのですよ。
今の尺八プロの大半が大学の邦楽クラブ出身者です。50年前は、尺八専業者とは、「尺八を教えて月謝を貰って生活する人」を意味しました。でも大学クラブ出身者で、あえて教習者を目指した人はいなかったと思います。皆コンサートプロが目的でした。ですので、私の前後の年代では、尺八プロになった人の中で、当時の専業教授者より自分の方が下手だと思った人って、1人もいなかったと思います。だからチャレンジ出来たんですよ。
それに当時は、「たとえ駄目でも35までなら正規社員として就職出来る」社会状況が有りました。今は、「勉強一本でやっていたって、会社が潰れるケースも多いし、リストラだってある、だったら自分が楽しいと思う人生にチャレンジした方が良い」に変わりつつあり、それが新たなチャレンジを生むと思います。
大いにチャレンジすれば良い。ただし言って置きます。今は昔と違う。「大学出たての尺八吹きより下手なプロ」などマズいない。当時だって、学生の時は分からなかっただけで、御稽古プロの中にだって凄い人がいる事が、だんだん分かって来て、それがまた、実に楽しかった・・・。
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