夢の続き
- 2022/08/18
- 10:42
私は昭和25年生まれ、云うまでもなく戦後世代です。ただ、私達が育った時代の親、教師、世のオトナ達、いずれも戦前戦中に人生の大半を過ごしたので、そこで話されている内容は戦前そのものでした。はい、ですから私達は戦前と戦後、二つの心情世界を生きていました。
私は世田谷の二子玉川で育ったので、近所の松沢病院は周りの誰もが知っていました。非常に有名な精神病院ですが、当時は誰もが「キチガイ病院」と呼んでいました。私の子供時代は、男の話し言葉は今よりズッとアカラサマで、オブラートで包んだような言い方はしなかったものです。「精神病院」と呼んだのは教師とかインテリだけでしょう。
この病院が子供の間でも有名だったのは、昭和12年に死ぬまで半世紀以上も入院していた、「日本で一番有名なキチガイ」葦原将軍がいたからです。戦後には右翼学者の大川周明も入っていましたが、子供は誰も大川周明なんか知りません。でも、葦原将軍は大人達が時おり話題にしていましたので、子供でも、その名を知っていました。私は、と言えば、祖父という小学校しか出ていない超インテリが身内にいましたので、子供達の中では一番、そういう大声で訊けない情報を知っていたでしょう・・・。
葦原将軍は、自分を天皇とか将軍(征夷大将軍と陸軍大将が混在)だと思っていた人で、大礼服を着て、おもちゃの勲章をぶら下げ、御仲間の患者達や時に職員まで家臣として従えて、数々の(病院内の)式典に臨んだ人です。礼式には、木と紙で作った大砲や鉄砲まで備わっていたと言いますから、つまり何というか、病院の側も適当に楽しんでいたんではないですかね。
事実、病院の「名物」と化していて、見物料を払って面会する一般人がたくさんいて、御本人の懐も潤ったと言いますから、思えばおおらかな時代でした。戦後でも昭和30年代までは、精神病院についても割合気楽に話していて、今のように「世間から無い存在にする時代」では無かったように思います。
蘆原将軍は幸福な人生を送ったのでしょうか?。「仮想世界の中」ではあっても、そこの世界では、まぎれもなく将軍でした。87才という当時としては驚異的な長寿も、おそらく民間生活では達成できなかったでしょう。生活の心配も無い、将来を思い悩む事も無い、見方によっては「結構な人生」とも言えるではありませんか。
でも、蘆原将軍の周囲の人を含めて、誰一人として「羨ましい」と思ってはいなかったと思います。何故か?。「あれはキチガイだから」の大前提で、それ以外の判断や思考を遮断するのです。それが人間の生活や社会を成り立たせている知恵というものです。
荘子は夢の中で蝶になり、「夢と覚醒後と、どちらの自分が本当なんだろう」と思ったと言いますが、こういう事を「思考遊戯」と捉え、マトモには考えないのが、世のオトナというものです。「蘆原将軍は一生を壊れた意識中で過ごした人」です。それ以上の意味付けは「そんな暇はないよ。哲学をやっている人に任せたら」で一件落着です。
私が、これまで会った尺八のプロ達には、「強烈な芸術表現の欲求に突き動かされて、発狂状態になってやっている」という人はいなかったように思います。ですから、ここには『山月記』でいう虎もいなければ、芸術との衝突で本当に発狂した人もいません。止むに已まれぬ心情に突き動かされて、全てを犠牲にしてでもと、生活の困窮や周囲の白い目に耐えて尺八活動をしている人もいないと思います。
尺八は結局のところ「やりたくて仕様が無い。何とかなると思ってプロになった」であり、「全てを犠牲にしてもやり遂げなくてはという、芸術欲求に突き動かされて」ではありません。ですから、これまでの概念を大きく覆す尺八音楽も出ませんし、破天荒を絵に描いたような人も存在しません。
そうです、きわめて穏やかな芸術世界なのです。「充足の心境でやる東洋的文人芸術の世界が色濃く残っている」と言って良いかもしれません。ですからプロは収入の道を確保する悩みは有っても、自分の芸術表現が受け入れられなくて髪をかきむしる光景にも出くわしません。尺八界といえども、これまで少数ですが自殺者は出ました。でも、そのいずれも「芸術と自我との葛藤」ではなかったように思います。「親に反対されて」とか「生活に生き詰まって」とかの、冷静に考えれば打開の道は有ったケースであり、時に発狂と同一視される「芸術上の悩み」の様に、周りが解決法を提示できない事柄ではないと思います。
技術上の克服の苦しみは有れど、芸術そのものと正面からぶつかって苦しむという心境では無い。ですから楽なんですよ。穏やかな普通の生活感が支配する世界です。なんと、蘆原将軍と違い、世間の人達からは「良いなあ」と羨まれる事さえ有ります。
でも金銭的には恵まれませんよ。「いいじゃないですか」、それなら貴方もおやりになれば。「いや、私には才能が無いもんで」、世俗における芸術問答は通常ここで終了します。でも、尺八だよ、「才能の有る無い」とか問題化する?。もっとも「有る」と思ってプロの道に踏み出して、極く短時間の専業者で終わった人達は知ってるけどね。だって一番必要なのって、「踏み出す時に一時的狂人になれる才能」だもん。それと考えて努力出来るかだね・・・。
でも、話に聞く「芸術との七転八唐倒の格闘の結果、自殺、あるいは発狂した」なんてことが本当に有るモノなんでしょうか?。私の様な凡人には分かりません。
今は過渡期ですね。尺八界の「太平の夢を破る」黒い船は、おそらく今度も外から来る。でも、いま今しばらくは夢の続きを見ましょうよ。このまま行けたら、それも幸せ。何も発狂する必要もない・・・。
私は世田谷の二子玉川で育ったので、近所の松沢病院は周りの誰もが知っていました。非常に有名な精神病院ですが、当時は誰もが「キチガイ病院」と呼んでいました。私の子供時代は、男の話し言葉は今よりズッとアカラサマで、オブラートで包んだような言い方はしなかったものです。「精神病院」と呼んだのは教師とかインテリだけでしょう。
この病院が子供の間でも有名だったのは、昭和12年に死ぬまで半世紀以上も入院していた、「日本で一番有名なキチガイ」葦原将軍がいたからです。戦後には右翼学者の大川周明も入っていましたが、子供は誰も大川周明なんか知りません。でも、葦原将軍は大人達が時おり話題にしていましたので、子供でも、その名を知っていました。私は、と言えば、祖父という小学校しか出ていない超インテリが身内にいましたので、子供達の中では一番、そういう大声で訊けない情報を知っていたでしょう・・・。
葦原将軍は、自分を天皇とか将軍(征夷大将軍と陸軍大将が混在)だと思っていた人で、大礼服を着て、おもちゃの勲章をぶら下げ、御仲間の患者達や時に職員まで家臣として従えて、数々の(病院内の)式典に臨んだ人です。礼式には、木と紙で作った大砲や鉄砲まで備わっていたと言いますから、つまり何というか、病院の側も適当に楽しんでいたんではないですかね。
事実、病院の「名物」と化していて、見物料を払って面会する一般人がたくさんいて、御本人の懐も潤ったと言いますから、思えばおおらかな時代でした。戦後でも昭和30年代までは、精神病院についても割合気楽に話していて、今のように「世間から無い存在にする時代」では無かったように思います。
蘆原将軍は幸福な人生を送ったのでしょうか?。「仮想世界の中」ではあっても、そこの世界では、まぎれもなく将軍でした。87才という当時としては驚異的な長寿も、おそらく民間生活では達成できなかったでしょう。生活の心配も無い、将来を思い悩む事も無い、見方によっては「結構な人生」とも言えるではありませんか。
でも、蘆原将軍の周囲の人を含めて、誰一人として「羨ましい」と思ってはいなかったと思います。何故か?。「あれはキチガイだから」の大前提で、それ以外の判断や思考を遮断するのです。それが人間の生活や社会を成り立たせている知恵というものです。
荘子は夢の中で蝶になり、「夢と覚醒後と、どちらの自分が本当なんだろう」と思ったと言いますが、こういう事を「思考遊戯」と捉え、マトモには考えないのが、世のオトナというものです。「蘆原将軍は一生を壊れた意識中で過ごした人」です。それ以上の意味付けは「そんな暇はないよ。哲学をやっている人に任せたら」で一件落着です。
私が、これまで会った尺八のプロ達には、「強烈な芸術表現の欲求に突き動かされて、発狂状態になってやっている」という人はいなかったように思います。ですから、ここには『山月記』でいう虎もいなければ、芸術との衝突で本当に発狂した人もいません。止むに已まれぬ心情に突き動かされて、全てを犠牲にしてでもと、生活の困窮や周囲の白い目に耐えて尺八活動をしている人もいないと思います。
尺八は結局のところ「やりたくて仕様が無い。何とかなると思ってプロになった」であり、「全てを犠牲にしてもやり遂げなくてはという、芸術欲求に突き動かされて」ではありません。ですから、これまでの概念を大きく覆す尺八音楽も出ませんし、破天荒を絵に描いたような人も存在しません。
そうです、きわめて穏やかな芸術世界なのです。「充足の心境でやる東洋的文人芸術の世界が色濃く残っている」と言って良いかもしれません。ですからプロは収入の道を確保する悩みは有っても、自分の芸術表現が受け入れられなくて髪をかきむしる光景にも出くわしません。尺八界といえども、これまで少数ですが自殺者は出ました。でも、そのいずれも「芸術と自我との葛藤」ではなかったように思います。「親に反対されて」とか「生活に生き詰まって」とかの、冷静に考えれば打開の道は有ったケースであり、時に発狂と同一視される「芸術上の悩み」の様に、周りが解決法を提示できない事柄ではないと思います。
技術上の克服の苦しみは有れど、芸術そのものと正面からぶつかって苦しむという心境では無い。ですから楽なんですよ。穏やかな普通の生活感が支配する世界です。なんと、蘆原将軍と違い、世間の人達からは「良いなあ」と羨まれる事さえ有ります。
でも金銭的には恵まれませんよ。「いいじゃないですか」、それなら貴方もおやりになれば。「いや、私には才能が無いもんで」、世俗における芸術問答は通常ここで終了します。でも、尺八だよ、「才能の有る無い」とか問題化する?。もっとも「有る」と思ってプロの道に踏み出して、極く短時間の専業者で終わった人達は知ってるけどね。だって一番必要なのって、「踏み出す時に一時的狂人になれる才能」だもん。それと考えて努力出来るかだね・・・。
でも、話に聞く「芸術との七転八唐倒の格闘の結果、自殺、あるいは発狂した」なんてことが本当に有るモノなんでしょうか?。私の様な凡人には分かりません。
今は過渡期ですね。尺八界の「太平の夢を破る」黒い船は、おそらく今度も外から来る。でも、いま今しばらくは夢の続きを見ましょうよ。このまま行けたら、それも幸せ。何も発狂する必要もない・・・。
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