ソウルフード
- 2022/08/30
- 15:59
「鯨は日本の食文だから外国人に干渉させるな」という様な事を主張する人達がいますね。そうかも知れないですけど、それだと誰にせよ納得させるのは難しいですよ。「鯨が日本の食文化か」はともかく、私ら戦後生まれの人間は飽きるほど鯨を食べてきました。安かったですもの。
私の祖父も祖母も新潟で中年まで過ごしてきた人達で、祖母が死んだ昭和35年までは、我が家の食卓は新潟、それも下越地方の影響が濃厚でしたね。寒い時期、そう11月下旬には報恩講(親鸞の誕生を祝う)で必ず小豆(あずき)が炊かれました。それと12月の暮れも押し詰まった頃、家族総出での大掃除が有ります。まだ家にいた2人のオジも含めた大人7人で、3部屋しかない家の畳まで上げて、隅々まで掃除するのです。掃除機の無い時代ですから、凄い量の埃が出たので、私と弟は外で遊んでいました。それが終わると障子の張り替え、それから家族全員で銭湯に行きます。冬なのに、いつもまだ明るかったから午後3時ころには終わったのでしょう。
それから夕食の支度。決まって鯨汁です。鯨の皮つき脂身の塩漬けを大根と一緒に味噌汁にしたもので、下越地方の「煤払い後の定番食」です。動物性タンパクの乏しかった時代の貴重な蛋白源(油身だけなのでタンパク質の有無は知りません)でしたし、冬の夜の冷えた体も温まります。
昭和32年頃、私は祖母に言われて大きな鍋を持って、その塩鯨を二子玉川駅に続く戦前そのままのマーケットまで買いに行きました。20円握って行って、鍋に2キロくらいも有る塩鯨の塊を入れて帰りました。20円は今の3百円くらでしょうかね。だから途方も無く安かったんです。
「それで美味かったか?」ですと、昭和30年代前半の日本の食卓には、子供が美味しいと思う物などメッタニ載りませんでしたよ。
鯨は大学時代までは安かった。1971年頃、新宿西口の「ションベン横丁(今の思い出横丁)」に在った鯨カツ屋には林嵐山、高橋照誠山、木稲さん等の新宿乗り換え組の連中とよく行きました。値段はさすがに憶えていませんが、トンカツ屋よりダイブ安かったのです。ラーメンが100円前後の時代でしたから、山盛りのドンブリメシと味噌汁、鯨カツの定食で150円くらいではなかったかと思います。ですから客層が悪く、大学生、工員、ドカタ、安サラリーマンなんかで、本当は私の様な上流階級の者が出入りしてはいけないんです。だから新宿乗り換えでも、「汚い処が大嫌いな」村上さんとは御一緒していないと思います。カウンターも油でべトついていて、女性客なんか何処にもいませんよ。でも美味かった。情けないけど青春の思い出の味です。
不思議なモノで、今でも新潟に行くと、美味くなかった思いでしかない塩鯨を買って帰ります。そして、ヤッパリ美味いとは思わなくて、今では高価なのに1杯食べると「後はイイや」となります。でも毎回、懲りずに買うんです。反対に鯨カツ。今でも食べられますよ。でも、もう食べたいとは思わない。どうしてですかね。学生時代に食べた鯨カツ定食は、当時の学生の手に入る範囲での「美味い物」だったのですかね。懐かしい思い出を食べてるという事では一緒だと思いますのに・・・。
こういうのがソウルフードでしょうか。どんな民族でも幼い時から馴染んだ味って有るみたいです。コリアンのキムチとかドイツ人のライ麦黒パン。ベトナムの魚醤(ニョクマム)、アラブ人のナツメヤシ、地中海沿岸の人のオリーブオイルetc、他の地域ではともかく、その人達にとっては、他にかけがえが無いみたいですよ。では鯨は?。「文化だ」とか言ったって、子供時代に散々食べた私達世代がいなくなったら、誰も振り返らないでしょうよ。
鯨料理って、「南蛮焼き、鯨カツ」って言うけど後は何か出てきますか?。「鯨の尾の身の刺身」なんか絶品ですけど、高すぎるし、それ以前に何処で食べられるのか悩みますよね。ハリハリ鍋だってそうでしょうが。オレ達だって高い金を出してまで食わねえよ。「鯨料理の名品」て持ち上げる人もいるけど、鯨が安かった時だって、周りで喰っているヤツって見た事ネエもんな。
鯨食を世界に理解してもらいたいと言うのは、韓国人や広東人が「犬を食べるのは文化だ」と主張するのと同じで難しいと思います。だって、その民族にしたって、食い物として「オンリーワン」じゃないもの。では、せめて日本人の中でだけでも次世代に繋げたいと思うのなら、「伝統食文化」と言う前に、料理法を工夫して「こりゃ美味い」と唸らせなさいよ。「新しい工夫が出ない」ってんなら、それが「行き止まり」ってものです。
邦楽と一緒だよ。「伝統文化」って言うばかりで、これからの世の中で通用すると思ったら大間違い。そこへ行くと尺八界は流石に大人、それも社会人が構成員の大多数だけあって、「素晴らしい伝統音楽だから理解されるはず」とマジで言う人は流石にいませんな。私は楽器としても音楽としても尺八が、やり方次第で、もっと愛好者を増やせると考えているのであって、古典本曲を除いた古典邦楽や現代邦楽が日本でも人気が出るとは思っていません。それを言ったら、まだ新曲の方が可能性が有りますよ。今後も古典や現代邦楽は「聞いてツマラナイ」の感想を持たれる以上は、「関わった人だけの音楽」の範囲を出る事はないでしょう。
日本人全体のソウルフードは米の飯でしょうが、米が流通統制下に在った私の若い頃の米は、今みたいに美味くなかった。地産地消の戦前は同じようなものだったでしょう。でも「身に沁みついてしまった味」なのです。ですから「思い出の味」は「美味かった記憶」と同義語ではないのですわ。でも、とりあえず他に代わるものが無いのです。
私の世代のソウルフードに当てはまる音楽は「ヨナ抜き(ファとシが無い)音楽」です。それが濃厚な下敷きになっている古典邦楽は、面白くなくても心惹かれる音楽でもあります。たとえ少数だって、若い層にも受け入れ人はいます。ですから、もっと美味くなる工夫をしましょうよ。鯨と同じでっせ。他に山ほど有る競争相手の中から選んでもらうんですからね・・・。
私の祖父も祖母も新潟で中年まで過ごしてきた人達で、祖母が死んだ昭和35年までは、我が家の食卓は新潟、それも下越地方の影響が濃厚でしたね。寒い時期、そう11月下旬には報恩講(親鸞の誕生を祝う)で必ず小豆(あずき)が炊かれました。それと12月の暮れも押し詰まった頃、家族総出での大掃除が有ります。まだ家にいた2人のオジも含めた大人7人で、3部屋しかない家の畳まで上げて、隅々まで掃除するのです。掃除機の無い時代ですから、凄い量の埃が出たので、私と弟は外で遊んでいました。それが終わると障子の張り替え、それから家族全員で銭湯に行きます。冬なのに、いつもまだ明るかったから午後3時ころには終わったのでしょう。
それから夕食の支度。決まって鯨汁です。鯨の皮つき脂身の塩漬けを大根と一緒に味噌汁にしたもので、下越地方の「煤払い後の定番食」です。動物性タンパクの乏しかった時代の貴重な蛋白源(油身だけなのでタンパク質の有無は知りません)でしたし、冬の夜の冷えた体も温まります。
昭和32年頃、私は祖母に言われて大きな鍋を持って、その塩鯨を二子玉川駅に続く戦前そのままのマーケットまで買いに行きました。20円握って行って、鍋に2キロくらいも有る塩鯨の塊を入れて帰りました。20円は今の3百円くらでしょうかね。だから途方も無く安かったんです。
「それで美味かったか?」ですと、昭和30年代前半の日本の食卓には、子供が美味しいと思う物などメッタニ載りませんでしたよ。
鯨は大学時代までは安かった。1971年頃、新宿西口の「ションベン横丁(今の思い出横丁)」に在った鯨カツ屋には林嵐山、高橋照誠山、木稲さん等の新宿乗り換え組の連中とよく行きました。値段はさすがに憶えていませんが、トンカツ屋よりダイブ安かったのです。ラーメンが100円前後の時代でしたから、山盛りのドンブリメシと味噌汁、鯨カツの定食で150円くらいではなかったかと思います。ですから客層が悪く、大学生、工員、ドカタ、安サラリーマンなんかで、本当は私の様な上流階級の者が出入りしてはいけないんです。だから新宿乗り換えでも、「汚い処が大嫌いな」村上さんとは御一緒していないと思います。カウンターも油でべトついていて、女性客なんか何処にもいませんよ。でも美味かった。情けないけど青春の思い出の味です。
不思議なモノで、今でも新潟に行くと、美味くなかった思いでしかない塩鯨を買って帰ります。そして、ヤッパリ美味いとは思わなくて、今では高価なのに1杯食べると「後はイイや」となります。でも毎回、懲りずに買うんです。反対に鯨カツ。今でも食べられますよ。でも、もう食べたいとは思わない。どうしてですかね。学生時代に食べた鯨カツ定食は、当時の学生の手に入る範囲での「美味い物」だったのですかね。懐かしい思い出を食べてるという事では一緒だと思いますのに・・・。
こういうのがソウルフードでしょうか。どんな民族でも幼い時から馴染んだ味って有るみたいです。コリアンのキムチとかドイツ人のライ麦黒パン。ベトナムの魚醤(ニョクマム)、アラブ人のナツメヤシ、地中海沿岸の人のオリーブオイルetc、他の地域ではともかく、その人達にとっては、他にかけがえが無いみたいですよ。では鯨は?。「文化だ」とか言ったって、子供時代に散々食べた私達世代がいなくなったら、誰も振り返らないでしょうよ。
鯨料理って、「南蛮焼き、鯨カツ」って言うけど後は何か出てきますか?。「鯨の尾の身の刺身」なんか絶品ですけど、高すぎるし、それ以前に何処で食べられるのか悩みますよね。ハリハリ鍋だってそうでしょうが。オレ達だって高い金を出してまで食わねえよ。「鯨料理の名品」て持ち上げる人もいるけど、鯨が安かった時だって、周りで喰っているヤツって見た事ネエもんな。
鯨食を世界に理解してもらいたいと言うのは、韓国人や広東人が「犬を食べるのは文化だ」と主張するのと同じで難しいと思います。だって、その民族にしたって、食い物として「オンリーワン」じゃないもの。では、せめて日本人の中でだけでも次世代に繋げたいと思うのなら、「伝統食文化」と言う前に、料理法を工夫して「こりゃ美味い」と唸らせなさいよ。「新しい工夫が出ない」ってんなら、それが「行き止まり」ってものです。
邦楽と一緒だよ。「伝統文化」って言うばかりで、これからの世の中で通用すると思ったら大間違い。そこへ行くと尺八界は流石に大人、それも社会人が構成員の大多数だけあって、「素晴らしい伝統音楽だから理解されるはず」とマジで言う人は流石にいませんな。私は楽器としても音楽としても尺八が、やり方次第で、もっと愛好者を増やせると考えているのであって、古典本曲を除いた古典邦楽や現代邦楽が日本でも人気が出るとは思っていません。それを言ったら、まだ新曲の方が可能性が有りますよ。今後も古典や現代邦楽は「聞いてツマラナイ」の感想を持たれる以上は、「関わった人だけの音楽」の範囲を出る事はないでしょう。
日本人全体のソウルフードは米の飯でしょうが、米が流通統制下に在った私の若い頃の米は、今みたいに美味くなかった。地産地消の戦前は同じようなものだったでしょう。でも「身に沁みついてしまった味」なのです。ですから「思い出の味」は「美味かった記憶」と同義語ではないのですわ。でも、とりあえず他に代わるものが無いのです。
私の世代のソウルフードに当てはまる音楽は「ヨナ抜き(ファとシが無い)音楽」です。それが濃厚な下敷きになっている古典邦楽は、面白くなくても心惹かれる音楽でもあります。たとえ少数だって、若い層にも受け入れ人はいます。ですから、もっと美味くなる工夫をしましょうよ。鯨と同じでっせ。他に山ほど有る競争相手の中から選んでもらうんですからね・・・。
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