私の大学時代は、明けても暮れても尺八で、そんなにアルバイトはしなかったものです。でも、やはり金が要る大学生でしたから、10や20はやりましたよ。中で最も「悪かった」のが羽田空港国際線での貨物のコンテナ積みでした。大学2年の時に、夏休みのバイトを探していて、部室で『アルバイトニュース』を見て目にとまったのです。8時間拘束で、うち1時間が休憩。それでなんと日給が2千5百円くらい(正確には憶えていません)。ともかく他の処より4割くらい高いのです。「それなら俺もやる」てんで、1年先輩の村上さんと同期の山本も一緒にやる事になりました。
やってみたは良いが、結果10日足らずでギブアップ。仕事はたいしてきつくは無かったんですが、勤務時間がね。午後3時から11時までです。まとまった金を稼ぐためですから、当時の学生は夏休みのバイトは6月半ばから7月イッパイを休日無しで働いて稼ぎ、8月にその金で遊ぶのが普通でした。そして気が付かなかった事は風呂に入れない事でした。当たり前でしたが、当時の学生下宿には風呂が有りません。それで銭湯は、と言えば開くのが3時、終いが11時ですから、これは絶望的。真夏にドカタ並みの「力仕事」をこなして、それで風呂に入れないってんですから、まあハン場の下、タコ部屋の上の相場でしょうな。私はまだ良い、3日に1度、終電で家に帰って風呂に入れましたが、下宿暮らしの村上さん、山本はブチギレました。
当時の男子大学生って、普通は風呂に入るのは3日に1度くらいです。当時では異例だった、「朝と晩、1日に2回歯磨き」をしていた綺麗好きの村上さんでさえ、銭湯には毎日行きませんでした。それだからこそ、バイトを始める時点でうっかりしたわけです。真夏の汗だくの体で、10日間風呂に入らないのは流石にきついですね。
これが「ダラシネエ」と心から思えたのは大学3年になってです。3年になって、1年上の梅沢先輩がドカタのバイトを見つけてきました。ドカタと言ってもニッカポッカに地下足袋で道路を掘り返す本職ではなく、「汚いのさえ我慢できれば」の軽労働です。金は1日千五、六百円でケッシテ良くはありませんが、9時から11時半まで働き1時まで昼休み、4時前には逃げる、という労働管理の緩さが取り柄でしたな。それと最大の魅力が、思い立って、その日の朝8時に中野に在った事務所に行けば、必ず仕事が貰え、しかもドカタ仕事ですから現金日払いです。3時ころに、その日の賃金が渡されると、後は皆逃げるスキを見計らってソワソワしていました。
その対極が大学の近くに在った大日本印刷の仕事。『少年マガジン』を作る木曜日だけのバイトですが、行けば誰でも仕事にありつけましたし、3千円と言う異例な高給を日払いしてくれました。でも辛いですよ。ナンセ発刊日に間に合わせなければならない仕事なので、徹夜で戦争状態での職場ですから休み無し。徹底した監視下での過酷な労働に、ボヤキ屋の高橋照誠山なんか「地獄ですねえ、地獄ですねえ」と朝まで泣きっぱなしで1度きり、2度とやりませんでした。でも、前記の中野のドカタ仕事は高橋でさえ長くやりました。それほど楽だったんです。
そのドカタバイトですが、終わって「兄さん、一杯やって帰ろうよ」とドカタに誘われたのも再三です。一緒に、今は見つけるのも難しいドカタ飲屋に入って、モツ焼きなんかで酒を飲み、仕上げにドンブリメシに唐辛子を振ったモツ煮込みをぶっかけて腹に掻っ込むんですわ。冬でもまだ明るい5時の大分前、ドカタ飲屋で酒をカックラウってカッコイイぞう、是非お勧めします・・・。
ドカタ飲屋は真冬でも汗臭いんです。みんなニッカポッカ、地下足袋、腹巻のドカタ服(労働着、普段着、おまけに時にはパジャマを兼ねていた)の一張羅で着替え無し、その上にあまり風呂なんて行きませんからね。そんな金が有れば酒や馬券にした方が良い。10日間風呂に入らないで嘆くようなヤカラとは、どだい人間の出来が違いますわ。そこでの「綺麗とか清潔は問題にしない無神経の勧め」や根拠なしの大言壮語を聞いていると、「自分ばかり哲学とか形而上学とかに捉われて恥ずかしい、この人達の仲間にふさわしい人間にならなくては」という妙な向上心を抱くから不思議です。
大学を出てからの50年、日本経済は、それなりの紆余曲折は有ったものの、一貫して安定した繁栄の時代を過ごしました。でも今は客観的に見たら大した落ち込みでも無いのに、このところ日本の先行きを過度に悲観する論調が目立ちます。
良いですか、私が大学に入る前年1968年、「日本は世界第3位の経済大国になった」と浮かれていました。そして「一人当たりでは、ようやく先進国の下位、まだベネズエラの下」と認識もしていました。今の日本は「落ちてきた」と言われますが、より正確には「近隣諸国が軒並み肩を並べた」です。当り前ですよ、近隣の民族に比べて日本人が特に優秀な分けでも何でもない。そりゃ追いつかれますわ。私はむしろ嬉しいし、今でもアジア人を見下す人のいる白人国家に対して誇らしいですけどね。
50年前に日本の上にいたベネズエラ。言うまでも無く世界最大の石油確認埋蔵量を持つ国家で、かつては南米の経済大国でした。それが今では「誰も住みたいとは思わない、危険で国民が逃げ出す破産国家」になってしまいました。どうしてそうなったか?。それは尺八屋の私なんかより皆さんの方が良く御存知でしょうよ。
私は日本と東アジアが西ヨーロッパみたいな感じになれば良いと思っています。社会資産の蓄積こそ未だ及びませんが、今の経済力は何年も前に西欧を追い越しています。資源が無いかわりに、油断すると餓死する東アジア社会の農作業で培った勤労意欲と工夫する知恵が有りますから、この先も間違ってもベネズエラにはなりませんな。
もう日本は、かつての様に「公務員やサラリーマンになれば、無事で安定した一生を送れる」と言う社会ではなくなりました。で、なお大日本印刷型の労働で、厳しい管理に耐えて、一時的にでも高い賃金を受け取るか、それともドカタ型労働を選ぶか、自分で決めたら良い事です。言っときますけど、かつての本職ドカタって、別に低所得者ではないですよ。ただ生活が行き当たりばったりなだけです。将来の保証(雨が降ったって作業現場は有ったんです)も無いかわりに、働きたくなければ仕事に出なければ良いし、小うるさい管理はこちらで拒否します。良い点だけ挙げたら、まさに「ドカタと乞食は3日やったら止められねえ」だわ。それに、やり様では宝の山で、私達の中野の親方、母子家庭でドカタをやって大学を出て、それで経験からドカタ派遣業に目をつけて、まだ30前なのに中野駅(裏駅だけどね)から徒歩3分に戸建ての自宅を持ってましたわ。賃貸かも知れないけど、いずれにしたって「大した者」でしょうが・・・。
尺八のプロって、アンタ本当はドカタと同じなんだよ。基本は「その日暮らし」だもんな。でも、1度ヤッタラ止められないよな。なら生活や将来は自分で工夫して守るしかねえだろうよ。仮に10日くらい風呂に入れなくたって、それがなんだ。かつての托鉢型虚無僧が風呂に入れたと思ってんのかね。ヤクザと似た収入経路を持つ定住型虚無僧の多くが、別に風呂屋を営業したのは、生活の安定の為ばかりじゃないとオレは思うぜ・・・。
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