蝦とか蟹は脱皮を繰り返して大きくなりますな。これは様々な事にも言えるのであって、ショービジネスなんか、まさにそうです。私は、よくプロレスを例えにしますが、着物、プロレスは業態として見た場合、参考になるのです。ですから40数年前に私が尺八屋を始めるに当たって、着物業界を研究した事は前にも書きました。でも、今の尺八界のショービジネスとしての趨勢を考えたならば、参考になるのは、むしろプロレスですよ。
プロレスはアメリカでは1950年代、日本では1960年代に一大ピークを迎えました。言うまでもなくテレビの普及が一番の理由です。その後は徐々に衰退傾向が進行しました。だって利口な人は「見ていて芝居だと分かる」もの。さらに利口な人達、つまり全てを分かって楽しんでいる「スマート」と呼ばれる人達は、日本でもアメリカでもファンの5~6パーセントだと言われますから、この手の人達だけを対象にしては商売として成り立ちません。やはり主体となる顧客層は、高名なジャーナリストである立花隆さんが指摘した「知性、感性、判断力が低レベルな人達」なのです。であればこそ立花さんは含めた多くの人が楽しめるのです。「だから」と言ったら失礼ですが、アメリカの大統領、日本の首相、韓国の大統領の中にも熱烈なプロレスファンがいた事は広く知られています。アメリカ大統領の中にはリンカーンみたいに、かつてはプロレスラーだった人もいますしね。でもタダひとつ、筋書きの有るモノを真剣勝負だと主張する事でウサン臭さを伴い続けました。
プロレスの基本構造は全ての地域で「勧善懲悪ドラマ」で、レスラーはアメリカでは善役悪役に分かれ、日本では「アメリカ人」が、韓国では日本人が悪役を務めていただけの事です。でも時代と共に、この通り一遍の構図、つまり立花流で言えば「バカを騙す商売」では通用しなくなりました。ですからアメリカで1980年代の初めにカミングアウト、つまり全ての構図を公表してエンターテイメントとハッキリ位置付けたのです。その結果、1990年代のアメリカではプロレスはメジャースポーツに伸し上がりましたし、社会の認知度も大幅にアップしました。「現在最もギャラの高い俳優」と言われるドウェイン・ジョンソンは有名プロレスラーのロックです。
2000年代初めにはネタバラシを済ませた日本でも、実は大半の人がウスウスには知っていましたから、「危ぶむより産むがやすし」で、結果、最近はプロレスラー総勢600人で、一部の団体では大入り満員が続いています。邦楽も絶対に参考にしなければ。こういう方向でしか日本尺八界のⅤ字回復はありえませんぜ。
古典邦楽は「伝統音楽」という皮を被っているものの、何度かの脱皮を繰り返してきました。18世紀の初めの「律音階から陰旋法への全面変更」、明治中期からの「和律から洋楽音階への全面移行」。普通に考えれば、伝統文化とは「かつての形態が一部保存されている」というだけで、つまりは日本の衣食住の全てが当てはまります。中でも芸能は絶え間なく変わり、そして新たに積み上がったモノです。それを、あたかも「何も変わっていない」という様に顧客に思わせるのは、「プロレスは真剣勝負」と主張するようなもので、すでに無理です。それに多くの人は「変わったって変わっていなくたって別にどうでも良いよ。俺達は面白いか詰まらないかだけだ。それも他の選択肢の中で選ばれるかだ」が本音でしょう。「詰まらなくたって大切なものは有る」は事実ですが、「面白さ」を行き渡らせる前に滅びた「伝統文化」なんて腐るほどありまっせ。
邦楽が今有るのも、時代に合わせて脱皮を繰り返した結果に他なりません。小難しい事は言わなくとも、もし100年前に、当時の伝統邦楽界から白い目で見られた中尾都山、宮城道雄がいなかったら、尺八とか箏なんて、そもそも今存在したんでしょうか?。でも、都山流本曲も宮城曲も私が尺八を始めた50年前には、すでに時代の嗜好に合わなくなっていました。それを既得権益重視の人達が無理に生きさせたのです。賞味期限切れの食品を「今も味は衰えていない」として売った様なものです。だから人が相手にしなくなった。
でも、都山流とか宮城会とかも辛いでしょうね。本当は伝統の中の一過程でしかないのに、それらを「変える必要のない音楽」という事で押し通さないと、芸より伝統より本当は大切(推定)な「自分のオマンマのタネ」が無くなるのですから・・・。
50年前にはアメリカ、カナダには2千とも3千人ともいわれるプロレスラーが存在しました。当時、かなりプロレスを知っている人達の中には、「そんなにいない。団体数が25くらいだろう。だから1団体が多く見積もって20人だとしても、セイゼイが5~6百人だ」と言う人もいました。でも、現在日本のプロレスラーが6百人ですから、当時の北米地域に2,3千人いたのも理解出来ますよね。そう、プロレスラーの多くが他に仕事を持ってたんです。
元々アメリカでは日本よりずっとプロレスは大衆の中に定着していました。正規の団体以外にも、地域で祭りとかが有ると、農夫や木コリとかの肉体労働者がプロレスラーとして参加しましたし、正規の団体でも、かなりの有名レスラーが他にも仕事を持っていました。中には弁護士、教師、警察官、消防士までいました。アメリカでは通常午後8時半からプロレスが始まりますので、仕事が5時に終われば、後は契約にさえ抵触しなければ、それで一向に差しつかえなかったのです。それに昭和までの日本と違って、アメリカのプロレスラーは団体の社員ではなくて、ほぼ全員が個人営業主でしたから何の問題も有りません。でも面白いですね、弁護士が夜になると無法者に変貌したり、高校教師が午後9時には言葉も話せない獣人になったりするんですから・・・。
現在の日本の尺八吹きで「プロ」は何百人もいますが、誰に訊いてみても、そのうちの80パーセントは年収150万円以下です。今の「プロと称する有象無象がウヨウヨいる」。まさにこれこそ発展の前段階であり、必須のものなのです。言わば変革のエネルギーが高まった状態ですね。そう、御稽古産業から実演(ショー)ビジネスへの脱皮です。
もう先生は弟子に仕事を回せないし、都山流楽会の指導員11名にしたところで、それで貰える金なんて、「学生アルバイト並み(まだコンビニの方が良いかな)」です。まして上の言う事を聞いていたら喰えない多くの尺八プロ達は、自分の生活を賭けて様々な事にチャレンジするしか無いのです。しかも、この「伝統」という殻を破る今回の脱皮は、「上の方針」ではなく、個々が自分勝手に生存競争の中で行うものです。尺八の新しい環境を招来するのは全体の4パーセントにも満たない若い人達であるに間違いありません。
見ててごらんなさい、これが尺八界の新しい局面を開くから。
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