貧しい国へ行った人は「郵便は必ず郵便局かホテルから出して下さい」って注意された経験が有るでしょう、街角のポストに投函すると手紙を引き出されて、切手を剝がされるからです。「たった2百円くらい」と思いなさんな。後進国(後発発展途上国とか言うらしい)では1日2百円で一家が暮らしている家庭が幾らでも有るのです。戦後のニコヨンの日給が240円でしたよね、それで一家が暮らしていたケースが昭和30年代前半までは、日本でも有ったんですわ。
私の若い頃は、日本でも国際文通が盛んでした。私の友人で月に10通以上ものエアメールを出してたヤツがいました。そいつって手紙に貼った切手の部分に糊を塗るんです。乾いてから先方に出し、相手から切手の部分だけ返事に同封して送り返してもらう。それに消しゴムをかけるとスタンプが綺麗に消えるんですわ。そして水に浸して切手を剥がすと、何回でも使えるというわけです。セコイと言えばセコイですが、1通2~3百円の国際郵便でも毎月10通となると、学生にはバカにならないのでしょう。
善良な私だって、毎年7千通の切手代は愉快ではないですよ。フッとヤクザ気質が頭をよぎる時があります。たとえば関西の展示会、ダイレクトメール1500通、それに対する切手代は1通当たり94円、度胸一つで、これを無料に出来るんですわ。「どうするのか?」って。宛名は書かないで、差出人の所に出したい相手の住所と名前を書くんです。勿論切手は貼りません。それなら郵便局も差出人の所に戻すしか有りませんわな。それで無事、無料で相手に届きます。薦めとるんと違いまっせ、普通の神経の人だと、何か悪い事をしたみたいな気分になりかねませんぜ。
安全で確実、速い安い、おまけに離島でも山奥の一軒家でも同じ料金で届く。その世界に誇る日本の郵便も、一歩裏に回ると硬直した既得権益に守られた産業でしたね。2万3、4千有る郵便局のうち、約4分の3が特定郵便局です。これは明治の始め、郵便制度を成り立たせるために、民間篤志家の力を借りる必要があったので、それが世襲権利としての稼業になった事は誰でも知っていますし、それに文句を言う人なんか見当たりませんわ。
でも、もはや郵便制度が危険水域に入った事は誰でも知ってます。今は局員への年賀ハガキや贈答品等の強制ノルマも有りません。簡易保険も競争にさらされています。それに、前は銀行預金を月末に下ろして郵便局預金に入れて、そして月初めに銀行口座に戻す。これで預金利子の2重取りが出来ました。今みたいに金利が安いと骨折り損ですがね。さらに現金書留の「郵政公認の脱税補助機能」も無くなりました。現金書留って税務署が補足出来なかったんですよ。それどころか郵便局そのものが把握不能だったんですぜ。何故ならば記録を保存していなかったのです。「郵便の取柄が皆無くなった」と嘆くのは筋違い。考えてみたら、こういう事が20世紀イッパイまで行われていた事の方が変ですよね。役人の「縄張り根性」に他なりません。
今は電子メールの時代ですからね。これは便利。国際間の通信でも即座に届く。ハガキ、手紙の類も何時まで守れるか?。前々から宅急便業者が参入要求をしています。郵便は法律に守られた利権産業ですが、それを否定して「トコトン自由化するかわりに宅配業者が山奥の一軒家や離島に郵便を同一料金で届けるか?」と言えば、それは疑問でしょうよ。良い処だけ採られたら郵便制度は今以上の赤字垂れ流しになりますわな。「俺達は限界集落の老人を守る為にいるんじゃネエ」と言われます。
でも物事は、やはり一歩一歩自由の度合いを高めて行くものでしょう。郵便制度は遅かれ早かれ劇的な変容の段階を迎えます。でも必要度の高いものなので形を変えて存続します。
一方、社会の必要度が無いに等しい尺八流派はどうでしょうか?。ソフトや技法がゴチャマゼになる事は避けられませんが、それでも主催団体は生き残れないと思います。生活手段である以上、「教授産業」が自ら既得権益を手放すことは無いので、ズルズルと最後まで行くでしょう。でも、もう10年で終わります。
後から考えれば、「こんな事が何故通用してたんだろう?」って例は幾つも有りました。それが一つずつ消えていくんです。そして、そういう事が再び息を吹き返す事は決して有りません。尺八の流や会派は歴史的な使命を終えたのであり、20年後の世界の尺八吹きに「何で免状やソフトの強制なんて有ったんだろう?」と首を捻られます。
どんな制度でも擁護する意見は有ります。でも時代に合わなくなった制度は、遅かれ早かれ崩壊します。国なら革命ですが、組織や団体では人の離脱です。郵便と同じく、尺八の場合も本格的離脱が始まって10年以上経ちました。重要なのは、これからの再構築された世界です。如何なる様相を呈するのでしょうか?。
残念ながら私に見えているのは、ここまでです。
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