大詰め
- 2022/11/26
- 12:17
法政大学三曲会で、私の1年上に高井という先輩がいます。若ハゲなのでハゲ井と言われ続けた人です。私がクラブに入って間もないコンパでの事。この人の猥歌を延々と聞かされました。あまりの汚らわしさに、その場に居られないほど恥ずかしく、その品性下劣さを蔑んだものです。。
この人の下宿が早稲田駅から徒歩5分の所に在り、私の代の男達の溜り場になっていました。私もだいたい週に2度は、ここで寝ましたかな。高井さんの代の人は、男も女も、とにかく優しい。口ではボロクソ言うくせに、いつも暖かく接してくれましたし、この代の人達の長所は幾つも有ります。、依怙贔屓を全くしない、誰に対しても親切、でも相手が間違っていると思えば、ちゃんと指摘してくれるし、何を言っても根に持たない。思うに、この代の人7人は、目黒さんと梅沢さんを除いて、弟がいなかった事も大きいと思います。木稲さんは弟さんを幼くして亡くし、唯一残った女性のHさんも弟さんに先立たれています。だから私達後輩を弟の様に思ってくれたのかも知れません。
私達の代はヤンチャでしたね。男子7人のうち5人が言いたいことを言うタイプでした。ですから言い合いは何時もの事でした。
ある時、他に人が居なくなった時、高井さんに注意されました。「大橋、お前の言う事は良く分かる。だけど、相手をトコトン追い詰める様な言い方は良くない。逃げ道も残してやらないとイケナイよ。ヒトはプライドが傷つけられると、相手が正しいと思っても拒否するもんだ」。高井さんて、誰も怒った処を見た事が無い温厚な人です。だから効いたなあ、この一言。
私は青木鈴慕、横山勝也はじめ多くの人に「貴方って怒る事、有るんですか?」と訊かれましたが、無いわけが無いじゃありませんか。でも、自分に2つの大きな縛りをかけています。金と虚栄心の為以外には嘘はつかない。目に見えない事を貶されても怒らない。ですから、私の品性とか知性なんか、いくら貶されても平気です。だが、目に見えるモノ、顔を貶そうものなら本気で怒るぞ・・・。
人には誰しも自尊心というものが有ります。それを踏みにじって良いわけがありません。高井さんのアドヴァイスを今も守っています。
でも、これは私生活の面での事、ビジネスでは時に「蛇の生殺し」は逆に自分にとって痛手となるかも知れません。幸い、この尺八界は「生き馬の目を抜く」ような所では無いので、そこはマア気楽です。
戦国時代に城攻めをすると、1方向だけ開けておいたものらしいです。オイ、鳥取とか三木を持ち出すんじゃねえぞ、あれはまた別の戦略だかんな。何故なら、逃げ道を残しておかないと、絶望のあまり必死で抵抗するからだそうです。
で、袋小路に追いつめるとどうなる?。存外そこから流れが大きく変わる事だって有ります。頼朝の山木襲撃、信長の桶狭間、高杉晋作の功山寺挙兵とか、逃げ道が閉ざされていたから、半分「捨て鉢」で行動して、歴史の流れを変えたわけでしょうが。
では尺八プロや製管師に話を移して、今の状況、これは尺八専業者の生存を許さない段階に入りました。今、私達はまぎれもなく「日本尺八界」という一つの世界の終焉を見ているのです。製管師は、そのほとんどが65歳以上という事もあって、おそらく何もしないで諦めると思います。しかし吹奏プロは若い人を多く含んでいるだけに、諦めて済む話ではないので、生存を賭けて「突破」に賭けてくる人が出ないかと私は期待しています。
「これまでの伝統が培った秩序を守ってやって行く」、そんな人は、もういないとは思いますが、仮に大勢いても良いのです。少数の「突破者」さえいれば。1つの世界なり秩序なりが終わりに近づいた時に、新らたに時代を開いた人は、必ず「突破型」の人です。保守や安全を志向する人が混乱期を大転換させたなんて聞いた事もありません。言葉を変えれば、こういう時代には保守主義、安全志向が一番危ないのです。
昭和40年くらいから、20年に渡って製管師に多大な富をもたらした「民謡ブーム」みたいなモノは、社会状況が違うので今後はもう起きないでしょう。だから、あらゆる扉をノックして、開いた扉の数を多くするしか有りませんよ。製管師にとっての救世主になっている海外市場にしても、かつての日本の尺八吹きと違って、製品のコスパを厳しく判別しますので、その恩恵を誰もが受けられるわけでは無いです。現在で言えば、私と三浦龍畝さんだけじゃないかと思います。
開いた扉の向こうに何が有るのかはわかりませんよ。でも、ドアのコッチ側には何も無いです。もうハッキリ大詰めです。では他人が薄く開けたドアに、遅れずに身を捻じ込むしか無いじゃありませんか。ノックするドア自体は無数に有ります。
(お報せ) 11月18日に桑原仙山さんが亡くなりました。製管業では私と小林一城さん、桑原さんは同じ昭和25年生まれです。この数年闘病していましたが、全盛期は日本で5指に入る一流製管師でした。御冥福をお祈りいたします。
この人の下宿が早稲田駅から徒歩5分の所に在り、私の代の男達の溜り場になっていました。私もだいたい週に2度は、ここで寝ましたかな。高井さんの代の人は、男も女も、とにかく優しい。口ではボロクソ言うくせに、いつも暖かく接してくれましたし、この代の人達の長所は幾つも有ります。、依怙贔屓を全くしない、誰に対しても親切、でも相手が間違っていると思えば、ちゃんと指摘してくれるし、何を言っても根に持たない。思うに、この代の人7人は、目黒さんと梅沢さんを除いて、弟がいなかった事も大きいと思います。木稲さんは弟さんを幼くして亡くし、唯一残った女性のHさんも弟さんに先立たれています。だから私達後輩を弟の様に思ってくれたのかも知れません。
私達の代はヤンチャでしたね。男子7人のうち5人が言いたいことを言うタイプでした。ですから言い合いは何時もの事でした。
ある時、他に人が居なくなった時、高井さんに注意されました。「大橋、お前の言う事は良く分かる。だけど、相手をトコトン追い詰める様な言い方は良くない。逃げ道も残してやらないとイケナイよ。ヒトはプライドが傷つけられると、相手が正しいと思っても拒否するもんだ」。高井さんて、誰も怒った処を見た事が無い温厚な人です。だから効いたなあ、この一言。
私は青木鈴慕、横山勝也はじめ多くの人に「貴方って怒る事、有るんですか?」と訊かれましたが、無いわけが無いじゃありませんか。でも、自分に2つの大きな縛りをかけています。金と虚栄心の為以外には嘘はつかない。目に見えない事を貶されても怒らない。ですから、私の品性とか知性なんか、いくら貶されても平気です。だが、目に見えるモノ、顔を貶そうものなら本気で怒るぞ・・・。
人には誰しも自尊心というものが有ります。それを踏みにじって良いわけがありません。高井さんのアドヴァイスを今も守っています。
でも、これは私生活の面での事、ビジネスでは時に「蛇の生殺し」は逆に自分にとって痛手となるかも知れません。幸い、この尺八界は「生き馬の目を抜く」ような所では無いので、そこはマア気楽です。
戦国時代に城攻めをすると、1方向だけ開けておいたものらしいです。オイ、鳥取とか三木を持ち出すんじゃねえぞ、あれはまた別の戦略だかんな。何故なら、逃げ道を残しておかないと、絶望のあまり必死で抵抗するからだそうです。
で、袋小路に追いつめるとどうなる?。存外そこから流れが大きく変わる事だって有ります。頼朝の山木襲撃、信長の桶狭間、高杉晋作の功山寺挙兵とか、逃げ道が閉ざされていたから、半分「捨て鉢」で行動して、歴史の流れを変えたわけでしょうが。
では尺八プロや製管師に話を移して、今の状況、これは尺八専業者の生存を許さない段階に入りました。今、私達はまぎれもなく「日本尺八界」という一つの世界の終焉を見ているのです。製管師は、そのほとんどが65歳以上という事もあって、おそらく何もしないで諦めると思います。しかし吹奏プロは若い人を多く含んでいるだけに、諦めて済む話ではないので、生存を賭けて「突破」に賭けてくる人が出ないかと私は期待しています。
「これまでの伝統が培った秩序を守ってやって行く」、そんな人は、もういないとは思いますが、仮に大勢いても良いのです。少数の「突破者」さえいれば。1つの世界なり秩序なりが終わりに近づいた時に、新らたに時代を開いた人は、必ず「突破型」の人です。保守や安全を志向する人が混乱期を大転換させたなんて聞いた事もありません。言葉を変えれば、こういう時代には保守主義、安全志向が一番危ないのです。
昭和40年くらいから、20年に渡って製管師に多大な富をもたらした「民謡ブーム」みたいなモノは、社会状況が違うので今後はもう起きないでしょう。だから、あらゆる扉をノックして、開いた扉の数を多くするしか有りませんよ。製管師にとっての救世主になっている海外市場にしても、かつての日本の尺八吹きと違って、製品のコスパを厳しく判別しますので、その恩恵を誰もが受けられるわけでは無いです。現在で言えば、私と三浦龍畝さんだけじゃないかと思います。
開いた扉の向こうに何が有るのかはわかりませんよ。でも、ドアのコッチ側には何も無いです。もうハッキリ大詰めです。では他人が薄く開けたドアに、遅れずに身を捻じ込むしか無いじゃありませんか。ノックするドア自体は無数に有ります。
(お報せ) 11月18日に桑原仙山さんが亡くなりました。製管業では私と小林一城さん、桑原さんは同じ昭和25年生まれです。この数年闘病していましたが、全盛期は日本で5指に入る一流製管師でした。御冥福をお祈りいたします。
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