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尺八の根の蘇生
『あの楽器で、あの曲を演奏したい…』 、楽器を習おうとするときの動機のひとつですね。大学に入学された学生さんが邦楽部に入部する動機・きっかけはどういうものなんでしょうね。
私は鯛山先生より三つほど年上だと思いますが(団塊の世代、今年後期高齢者となりました)、小学生のころからアメリカンポップスが耳に飛び込んできて、その後ビートルズ、エレキサウンド、フォークソングといった音楽を聴きながら生活してきました。学生時代には、将来「ジャズ評論家」になりたいと思ったこともありました。今の若い人が持っている、「高齢者は音楽的に古臭い世代」という印象とは実態が大きくかけ離れていると日頃感じています。楽器を手にするしないは別にして、「メロディーの宝庫」の時代を通り抜けてきた世代だと思っています。
尺八の現在の限定されたソフト(楽曲例えば鹿・鶴)をはみ出さない限り尺八の将来はないんじゃないでしょうかね。学生さん・学生OBさんがいくら頑張っても打開できないと思いますよ。楽曲で大ヒット(聴く人に共感を呼び起こす音楽)が出ない限り将来的には「保存すべき伝統楽器」としてしか生きられないじゃないでしょうかね。
私は鯛山先生より三つほど年上だと思いますが(団塊の世代、今年後期高齢者となりました)、小学生のころからアメリカンポップスが耳に飛び込んできて、その後ビートルズ、エレキサウンド、フォークソングといった音楽を聴きながら生活してきました。学生時代には、将来「ジャズ評論家」になりたいと思ったこともありました。今の若い人が持っている、「高齢者は音楽的に古臭い世代」という印象とは実態が大きくかけ離れていると日頃感じています。楽器を手にするしないは別にして、「メロディーの宝庫」の時代を通り抜けてきた世代だと思っています。
尺八の現在の限定されたソフト(楽曲例えば鹿・鶴)をはみ出さない限り尺八の将来はないんじゃないでしょうかね。学生さん・学生OBさんがいくら頑張っても打開できないと思いますよ。楽曲で大ヒット(聴く人に共感を呼び起こす音楽)が出ない限り将来的には「保存すべき伝統楽器」としてしか生きられないじゃないでしょうかね。
Re: 尺八の根の蘇生
もう海外での尺八評価は定着しつつあります。私はビジネス面でも、すでに海外の方が大きいと思っています。皆、楽器としての尺八の面白さに魅了されているのです。これはハードの面。ソフトは雑多に多ければ多いほど良い。何を吹くかは、吹く人が決めれば良い事だと思います。でも私は古典本曲を凌駕する尺八曲ってまだ無いと思います。
No title
「尺八曲」という言い方が気になります。古典本曲を「尺八曲」というのでしょうか。尺八用として作られたもの以外は尺八吹奏の対象外ということでしょうか。
私は7孔を使い洋楽だけで尺八を楽しんでいるんですが、そういう立場に立つと尺八の世界は宇宙のように広がります(何百年という音楽の歴史の遺産をすべて手にすることが出来ますから)。古典本曲およびその周辺だけだとまるで「四畳半」の世界みたいに感じられます。
言いすぎだと怒られそうですが、「古典本曲」はすべて駄作、特に都山流本曲は...、最も歌謡曲界の「演歌」もそのようなものが溢れてかえっているのが現状ですから落胆することもないのですが。
私は7孔を使い洋楽だけで尺八を楽しんでいるんですが、そういう立場に立つと尺八の世界は宇宙のように広がります(何百年という音楽の歴史の遺産をすべて手にすることが出来ますから)。古典本曲およびその周辺だけだとまるで「四畳半」の世界みたいに感じられます。
言いすぎだと怒られそうですが、「古典本曲」はすべて駄作、特に都山流本曲は...、最も歌謡曲界の「演歌」もそのようなものが溢れてかえっているのが現状ですから落胆することもないのですが。
Re: No title
まあ言い方はいろいろありますが、初めにに曲ないし「曲想」が有って、そこへ尺八を入れたか、それとも尺八という楽器が先に有って、それを「いじってるうちに曲が出来る」かの違いです。古典本曲の原型は、托鉢の為に尺八を勝手に吹いているうちに出来ました。それが長い時間の間に、少しずつ纏まって「節」から「曲」になっていったのです。だから古典本曲には尺八の機能と個性がたくさん詰まっています。だからこそ、世界で評価され始めているのです。古典本曲は尺八と言う楽器から生まれたので、尺八以外では演奏出来ません。
好き嫌いは個人の自由ですから、別に良いですわな。好きな人達が勝手にやります。ただ古典本曲と言った場合は、都山流本曲はどんな場合も除外されます。あれは「都山流本曲」という別の独立した区分けです。
好き嫌いは個人の自由ですから、別に良いですわな。好きな人達が勝手にやります。ただ古典本曲と言った場合は、都山流本曲はどんな場合も除外されます。あれは「都山流本曲」という別の独立した区分けです。
No title
大橋さん、
大学法学サークルへの応援、熱い気持ちで拝見しました。
私は落ちこぼれた人間(途中で尺八から離れた)ですが、現役の頃の熱意は誰にも負けない自負が(生意気にも)ありましたし、当時芸大の事は知らなくて、NHK育成会何するものぞ!の心意気で生活を尺八にかけすぎて留年しました。
確かに、あの頃流派の偉い人かどうかよりも、出てくる音と音楽が全てでした。機会は少なかったけど、山口五郎、横山勝也、山本邦山には驚嘆したものです。日本音楽集団の野坂恵子さんを京都学生三脚連盟で招いて講演と指導をしていただいたりもしました。目の前の野坂先生がさりげなく鳴らす30弦の音色ったら。もっとも卒業した先輩の芳賀さんと言う方の方が音色自体は美しかったですが。こういう方が地方で教員として一生を過ごされたりしてました。市井の達人恐るべしです。(ここだけの話、音色だけなら私は石川さんより上だと当時は思いました。)
なお、東北大の連中が尺八音がどでかいのもよく理解できます。私らも、少なくとも音量と音が通ることでは街の師匠など敵ではありませんでした。若い頃は指も回るし五線譜直読で初見でそこそこ演奏できたり。フィジカルな能力で若い人の成長は目覚ましいものです。(山口五郎師と横山勝也師の柔らかくて大音に聞こえないのに隅々まで通る音は別世界のものでしたが。そして聴かせる音楽がどうかもまた別の話)
若い人たちはそれぞれ工夫して頑張ってるので、せめて演奏家に聴きに行って応援しようと思います。
私の出身の叡風会は、幸い今年の定期演奏会は普通に開催できたようです。残念ながら参加できませんでしたが。
大学法学サークルへの応援、熱い気持ちで拝見しました。
私は落ちこぼれた人間(途中で尺八から離れた)ですが、現役の頃の熱意は誰にも負けない自負が(生意気にも)ありましたし、当時芸大の事は知らなくて、NHK育成会何するものぞ!の心意気で生活を尺八にかけすぎて留年しました。
確かに、あの頃流派の偉い人かどうかよりも、出てくる音と音楽が全てでした。機会は少なかったけど、山口五郎、横山勝也、山本邦山には驚嘆したものです。日本音楽集団の野坂恵子さんを京都学生三脚連盟で招いて講演と指導をしていただいたりもしました。目の前の野坂先生がさりげなく鳴らす30弦の音色ったら。もっとも卒業した先輩の芳賀さんと言う方の方が音色自体は美しかったですが。こういう方が地方で教員として一生を過ごされたりしてました。市井の達人恐るべしです。(ここだけの話、音色だけなら私は石川さんより上だと当時は思いました。)
なお、東北大の連中が尺八音がどでかいのもよく理解できます。私らも、少なくとも音量と音が通ることでは街の師匠など敵ではありませんでした。若い頃は指も回るし五線譜直読で初見でそこそこ演奏できたり。フィジカルな能力で若い人の成長は目覚ましいものです。(山口五郎師と横山勝也師の柔らかくて大音に聞こえないのに隅々まで通る音は別世界のものでしたが。そして聴かせる音楽がどうかもまた別の話)
若い人たちはそれぞれ工夫して頑張ってるので、せめて演奏家に聴きに行って応援しようと思います。
私の出身の叡風会は、幸い今年の定期演奏会は普通に開催できたようです。残念ながら参加できませんでしたが。
Re: No title
大学クラブを指導下に置いていない流や会派で生き残れる所は有りません。大学クラブでも関東圏は昭和42年頃に体質改革が有りました。それまでの師匠との柵を断って、青木、山本、横山、宮田、坂田と言った新しい師匠を迎え入れたのです。これが無かった関西圏の学生は、熱意では関東以上だったかも知れないですが、プロの道は難しかったですね。関西の学生の先鋭的なまでの熱気は私はよく憶えています。1972年の全国学三結成なんて、関邦連と京学三が創ったのです。関東学三は青山学院を除いては積極的な協力をしなかったですものね。でも私達法政は「旗揚げ演奏会」には6人行きましたよ。同志社の森の下宿で皆が雑魚寝しました。
でも関西は周囲が保守的過ぎましたよ。師匠と大学クラブ出身者との相互協力が成立しませんでしたね。
でも関西は周囲が保守的過ぎましたよ。師匠と大学クラブ出身者との相互協力が成立しませんでしたね。