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ヘンテコ な 流派式楽譜
後期高齢者の私も含めて、すべての日本人は戦後の「初等教育における器楽演奏」(昭和22年の学習指導要領掲載)の教育を受けています。尺八入門者がこれまでには見たこともないような譜面(?)の前で面喰い『これって違うでしょう!!変でしょう!!』と考えるのは当然のことです。尺八譜の評価はその人の立ち位置が影響していると思います。ある人は「邦楽」の土俵上に立ち、ある人は「洋楽」の土俵に立っているから意見が異なるのです。半世紀以上も尺八界にいる人だから尺八譜評価が正しく、尺八歴2・3年の人だから間違いというわけでもないのです。
西洋音楽の世界においては、五線譜が広く使われ出した頃には既にタブラチュアが存在していました。タブラチュアは数百年の歴史を持つものです。現在でもギター・ベース・ウクレレなどフレット系の弦楽器では普通に使われています。演奏者は調(キー)を意識せずに演奏が出来ます。チューニングを変えれば(尺八で言うならば長さを変える)移調も出来ます。地方のお祭りなんかで使われているお囃子笛の楽譜(楽譜とは呼べないようなものですが)もみんなタブラチュアです。
「都山流表記」は私にとっては「判りずらい」、「汚い」、「不便」・・・、欠点だらけのものです。「ダメな表記法」です。琴古流譜面は江戸時代のものですから歴史的な存在ですが、都山流譜面は明治期になって五線譜の概念をベースに作られたものでしょう。これもこの時代には西洋音楽がまだ普及していないのですからこれはこれでしょうがない事だったとは思います。でも、その後ほとんど改善されないままのようです。不便さを感じなかったんでしょうか。不思議です。ほんの数十曲の古典本曲だけをやるだけだったらまったく不都合はない、我慢できる、と考えたのでしょうか。見直しできないような「戒律」があったのかも。
私は尺八には 五線譜が向いている などとは言いません。奏法譜(タブラチュア)で良いのです。笛ですから。多少音楽をやってきた人が尺八を始めたなら、タブラチュアを前提に尺八譜を改善するアイデアはいろいろと浮かんできます。流派式尺八譜が課す「不合理・無駄な労力」を何とかしたいと考えるのは当然のことなんです。独習も含めて尺八を始めたばっかりの人が感じるこの感覚を大事にすべきですね。幸い尺八譜を見直そうという動きは最近始まったようです。そしてそれが出来るのはおそらく尺八流派・尺八界とは無縁の人だけというのも現実の様です。
お寺の中でマニアだけが吹奏し、「大衆の評価」「聴衆からの試練」を受けなかった尺八、それは歴史上存在したのは事実ですから保存するのはよしとして、その将来を考えるんだったら、古典に収斂する「磁力・不自然な力」を壊さないといけないでしょう。古典・邦楽という「縛り」をなくしないといけないでしょう。保守的なご意見の邦楽関係者は口を出さない方が尺八の将来にいいように感じられます。
西洋音楽の世界においては、五線譜が広く使われ出した頃には既にタブラチュアが存在していました。タブラチュアは数百年の歴史を持つものです。現在でもギター・ベース・ウクレレなどフレット系の弦楽器では普通に使われています。演奏者は調(キー)を意識せずに演奏が出来ます。チューニングを変えれば(尺八で言うならば長さを変える)移調も出来ます。地方のお祭りなんかで使われているお囃子笛の楽譜(楽譜とは呼べないようなものですが)もみんなタブラチュアです。
「都山流表記」は私にとっては「判りずらい」、「汚い」、「不便」・・・、欠点だらけのものです。「ダメな表記法」です。琴古流譜面は江戸時代のものですから歴史的な存在ですが、都山流譜面は明治期になって五線譜の概念をベースに作られたものでしょう。これもこの時代には西洋音楽がまだ普及していないのですからこれはこれでしょうがない事だったとは思います。でも、その後ほとんど改善されないままのようです。不便さを感じなかったんでしょうか。不思議です。ほんの数十曲の古典本曲だけをやるだけだったらまったく不都合はない、我慢できる、と考えたのでしょうか。見直しできないような「戒律」があったのかも。
私は尺八には 五線譜が向いている などとは言いません。奏法譜(タブラチュア)で良いのです。笛ですから。多少音楽をやってきた人が尺八を始めたなら、タブラチュアを前提に尺八譜を改善するアイデアはいろいろと浮かんできます。流派式尺八譜が課す「不合理・無駄な労力」を何とかしたいと考えるのは当然のことなんです。独習も含めて尺八を始めたばっかりの人が感じるこの感覚を大事にすべきですね。幸い尺八譜を見直そうという動きは最近始まったようです。そしてそれが出来るのはおそらく尺八流派・尺八界とは無縁の人だけというのも現実の様です。
お寺の中でマニアだけが吹奏し、「大衆の評価」「聴衆からの試練」を受けなかった尺八、それは歴史上存在したのは事実ですから保存するのはよしとして、その将来を考えるんだったら、古典に収斂する「磁力・不自然な力」を壊さないといけないでしょう。古典・邦楽という「縛り」をなくしないといけないでしょう。保守的なご意見の邦楽関係者は口を出さない方が尺八の将来にいいように感じられます。
Re: ヘンテコ な 流派式楽譜
都山譜を不便と感じるならば、見解の相違と言うしか有りません。まして「汚い」とかは論じ合っても無駄です。
私達、大学邦楽の出身者は5線譜を苦にしません。その上で尺八譜としては不便だと思っているのです。
西洋音楽は西洋音楽、世界に普及している分けでも無いし、一つの地域の基準でしか有りません。学ぶべき点も有れば、一度消化、翻訳しなくては邦楽とかの民族音楽に採り入れ難い処も有ります。また、よくカウンターカルチャー派の人達が言う「5線譜やピアノはインドや中近東の音楽では使い物にならなじゃないか」とかの発言も野暮だと思います。同じくらいの広域音楽であっても、インドはインド、西洋は西洋なのですから。
今更言うのも何ですが、「異なる価値体系の中で自己完結したものは、相互に優劣とか価値の上下を論じられない」、これが文化人類学、比較文化学が辿り着いた現在の結論です。邦楽や他の民族音楽は、西洋音楽の発展の途中の段階にあるものではないのです。
私達は50年前にノベンバーステップスの譜面を見ました。図形と言う形です。そして思った事、「なるほど武満徹は、スコアを採用したわけだ。こりゃ5線譜では無理だよ」です。5線譜が及ばない領域は古典本曲だけではないのですよ。
私達、大学邦楽の出身者は5線譜を苦にしません。その上で尺八譜としては不便だと思っているのです。
西洋音楽は西洋音楽、世界に普及している分けでも無いし、一つの地域の基準でしか有りません。学ぶべき点も有れば、一度消化、翻訳しなくては邦楽とかの民族音楽に採り入れ難い処も有ります。また、よくカウンターカルチャー派の人達が言う「5線譜やピアノはインドや中近東の音楽では使い物にならなじゃないか」とかの発言も野暮だと思います。同じくらいの広域音楽であっても、インドはインド、西洋は西洋なのですから。
今更言うのも何ですが、「異なる価値体系の中で自己完結したものは、相互に優劣とか価値の上下を論じられない」、これが文化人類学、比較文化学が辿り着いた現在の結論です。邦楽や他の民族音楽は、西洋音楽の発展の途中の段階にあるものではないのです。
私達は50年前にノベンバーステップスの譜面を見ました。図形と言う形です。そして思った事、「なるほど武満徹は、スコアを採用したわけだ。こりゃ5線譜では無理だよ」です。5線譜が及ばない領域は古典本曲だけではないのですよ。
ヘンテコ な 流派式楽譜~その2~
育った言語環境(青森・津軽)の影響が出てしまいましたね。「汚い」という意味は「美しくない」という意味です。「楽譜は美しくあらねばならないというのは音楽の世界の共通認識で、五線譜を読んでいるとこの点で色々な配慮がなされていると強く感じます。まあ、流派式の尺八譜も外観的には琴古流の楽譜の方が美的・デザイン的に都山流よりずっと美しいかなと思ったりもします。
ところで鯛山先生、まるで私が尺八譜として五線譜を推奨しているかのようなコメントですが、よくお読みください。私は尺八譜として5線譜を使った方がよいなどとは一言も言っておりません。私は五線譜とタブラチュアの両方の楽譜を書き、演奏では主としてタブラチュアを使うという生活です(他の楽器ですけど)。タブラチュアが主、五線譜が従です。前に書いたように尺八譜としてはタブラチュアが適していると言っているのです。
鯛山先生の口癖、「それは見解の相違です」、「それは文化です」、「異なる価値体系の中で自己完結したものは、相互に優劣とか価値の上下を論じられません」、う~ん、まいりましたね。木で鼻をくくったとまでは言いませんがもう少し建設的な議論がしたいところですね。「天動説」「地動説」も見解の相違でかたずけてしまっては科学の進歩はありませんでした。
ネット上では尺八愛好家のフリー・トークの場がありません。なので人様のブログ上で意見を述べさせていただいているのです。有難迷惑と言われても仕方ないようなことですが、お仕事の邪魔にならないよう、作業場ではなく軒先をお借りして発言しているつもりですので大目に見てください。勿論軒先使用料はお支払いいたします(した)。
多くの尺八関係者が読んでいるであろうこのプログ、実は私は軒先から通りに向かって話しています。多くの通行人(このブログの愛読者)のご意見を伺いたいのです。尺八を始めた人の悩みです。始めて早い時期に挫折する人の、その挫折の要因としては「楽器」と「楽譜」があると私は自分の体験から感じているのですが、皆さんはどう感じられていますかとお聞きしたいのです。ご幼少・10代・20代と早い時期から尺八をやっている人ではなく、社会人となってから始めた人達の実感を是非とも伺いたいわけなのです。
尺八を始めて1年ほどの頃、挫折・窒息寸前だった私は、あることがきっかけで息を吹き返し、それ以来2年経過しても尺八への興味を保ち続けております。そのきっかけとなったのは、「楽器」は7孔の選択、「楽譜」は自己流の尺八タブラチュア書くということでした。そうしたら、「エアリード楽器の中でも尺八は習得が難しい」という世間一般で信じられている話が「迷信」だったんだということが分かったのです(勿論吹奏能力の個人差はいかんともしがたい、それは他の楽器や歌唱でも同じことです)。この様に 楽譜 が実は尺八生活の「死」と「生」の分かれ道だと実感したからこそ流派式尺八譜について色々と言いたいわけなんです。
通りに向かって通行人に向かって言った途端に、母屋から「悟し」の言葉が下りてくるので通行人はそそくさと足早に通り過ぎます。悲しいです。
ところで鯛山先生、まるで私が尺八譜として五線譜を推奨しているかのようなコメントですが、よくお読みください。私は尺八譜として5線譜を使った方がよいなどとは一言も言っておりません。私は五線譜とタブラチュアの両方の楽譜を書き、演奏では主としてタブラチュアを使うという生活です(他の楽器ですけど)。タブラチュアが主、五線譜が従です。前に書いたように尺八譜としてはタブラチュアが適していると言っているのです。
鯛山先生の口癖、「それは見解の相違です」、「それは文化です」、「異なる価値体系の中で自己完結したものは、相互に優劣とか価値の上下を論じられません」、う~ん、まいりましたね。木で鼻をくくったとまでは言いませんがもう少し建設的な議論がしたいところですね。「天動説」「地動説」も見解の相違でかたずけてしまっては科学の進歩はありませんでした。
ネット上では尺八愛好家のフリー・トークの場がありません。なので人様のブログ上で意見を述べさせていただいているのです。有難迷惑と言われても仕方ないようなことですが、お仕事の邪魔にならないよう、作業場ではなく軒先をお借りして発言しているつもりですので大目に見てください。勿論軒先使用料はお支払いいたします(した)。
多くの尺八関係者が読んでいるであろうこのプログ、実は私は軒先から通りに向かって話しています。多くの通行人(このブログの愛読者)のご意見を伺いたいのです。尺八を始めた人の悩みです。始めて早い時期に挫折する人の、その挫折の要因としては「楽器」と「楽譜」があると私は自分の体験から感じているのですが、皆さんはどう感じられていますかとお聞きしたいのです。ご幼少・10代・20代と早い時期から尺八をやっている人ではなく、社会人となってから始めた人達の実感を是非とも伺いたいわけなのです。
尺八を始めて1年ほどの頃、挫折・窒息寸前だった私は、あることがきっかけで息を吹き返し、それ以来2年経過しても尺八への興味を保ち続けております。そのきっかけとなったのは、「楽器」は7孔の選択、「楽譜」は自己流の尺八タブラチュア書くということでした。そうしたら、「エアリード楽器の中でも尺八は習得が難しい」という世間一般で信じられている話が「迷信」だったんだということが分かったのです(勿論吹奏能力の個人差はいかんともしがたい、それは他の楽器や歌唱でも同じことです)。この様に 楽譜 が実は尺八生活の「死」と「生」の分かれ道だと実感したからこそ流派式尺八譜について色々と言いたいわけなんです。
通りに向かって通行人に向かって言った途端に、母屋から「悟し」の言葉が下りてくるので通行人はそそくさと足早に通り過ぎます。悲しいです。
読者の一人として
読者の一人として、つい書き込んでしました。
「都山流表記」は私にとっては「判りやすい」、「美しい」、「便利」「合理的表記法」・・・となります。スタートの視点が違いすぎました。これ以上は申し上げません。他の見方を否定する者でもありません。失礼。
「都山流表記」は私にとっては「判りやすい」、「美しい」、「便利」「合理的表記法」・・・となります。スタートの視点が違いすぎました。これ以上は申し上げません。他の見方を否定する者でもありません。失礼。
Re: 読者の一人として
私も全く同意見です。でも「美しい」は人によりますよね。マイセンやセーブル磁器を「醜い」と思う人はいないでしょうが、備前焼だと、そこに底知れぬ美しさを見出す人もいれば、一方で「汚らしい」と感じる人もいます。こういう芸術における不思議な「美」に若い時に捉われさえしなければ、私にも別の人生が有ったと思います。
Re: ヘンテコ な 流派式楽譜~その2~
山屋さんの2度目のコメントにお応えしますと、私は大学邦楽出身ですから、5線譜も数有る流派の譜面も苦にしません。初めて尺八譜を見た時に、どう思うかは個人によって違いましょう。私で言えば「ああ、そう言うモノか」程度でしたね。初めてアルファベットを見た感じに似ていた様に思います。私は個人的な事を言えば、面白かった。
尺八という楽器と、その周辺のソフトを含めた事情とは別の話で、私は譜面が普及の障害になっているとしても、それを簡単な努力でマスターすれば、そこには日本の先人たちが編んだ、豊かな芸術世界が広がっていると思いますがね。どういう音楽が好きかとか、どういう尺八の形態が好きか、そう言うのは個人の自由で、私は決して、そこに立ち入りません。私は昔から、「他人の好きな趣味は貶さない」のです。
尺八という楽器と、その周辺のソフトを含めた事情とは別の話で、私は譜面が普及の障害になっているとしても、それを簡単な努力でマスターすれば、そこには日本の先人たちが編んだ、豊かな芸術世界が広がっていると思いますがね。どういう音楽が好きかとか、どういう尺八の形態が好きか、そう言うのは個人の自由で、私は決して、そこに立ち入りません。私は昔から、「他人の好きな趣味は貶さない」のです。