食わず嫌い
- 2022/12/24
- 09:43
法政大学三曲会で私の代の男子は、私、林(嵐山)、粟田と「食いしん坊」が揃いました。大学時代は金が無いくせに、ショッチュウ美味い店を探して出入りしていましたな。ヤツラにクサヤで熱燗をやる楽しみを教えたのは私です。林からはアゴ出汁(トビウオ)の美味さを、粟田からは北海道から持って来たてのホッケは、当時の輸送が御粗末だった時代の東京人が抱いていたイメージとは全く違ったモノだと知らされました。育った地方が違っていたので、大学生活は新しい発見が有って新鮮そのものだったですね。
吉田、山本、岡安の3人は誘えば来るけど、自分からは「どこどこへ行こう」とは言わないタイプでした。でも山本なんかは私達の影響で、卒業時にはイッパシのグルマンになっていましたな。
中でキリギリスみたいな栄養失調ズラの古市だけは、食べる物に興味を示さなかったですね。いつも「何を食っても美味くねえ」と言ってるので、私が「何か美味いと思うモノはネエのかよ?」と訊くと、しばらく考えて「シシャモかな」と答えました。シシャモが不味いってんじゃないですよ、ショッチュウ奢ってくれた気の良い古市だから言います。オメエは明らかに学生時代は「人生上の損」をしていたぞ。でも、食い物に興味の無かった古市も食欲自体は旺盛でした。よく深夜に営業しているラーメン屋に一緒に行ったものです。一度なんか腹は減っても金が無いので、ヤツとだったか高橋とだったか、2人で高井さんの下宿中4,5部屋のコーラ瓶を酒屋に持って行き、金を作りました。早稲田通り沿いの名店、蝦夷菊の味噌ラーメンが150円、二人で300円。コーラのホームサイズ(500cc瓶)引き取り料1本10円。30本を黙って持ち出したのですが、後で誰にも何も言われなかったのは、当時の学生気質です。すなわち「ヒトのモノはオレのモノ、オレのモノもオレのモノ。早い者勝ち」。もしも煩いヤツがいたら、逆に逆捩を喰らわせますよ。「テメエは日頃マルクスがどうのって言ってやがって、ケチな私有財産に拘泥するんじゃネエ」。
大学生ですから皆が食欲は旺盛でした。でも私達3人以外は「食いもの優先」というのでは無かった。板前修業の後、故郷の久留米で魚料理屋を経営した1年上の木稲さんも、学生時代は食べ物に凝ってはいませんでしたね。
私が学生の頃は、男と女では食べるモノが違っていました。より厳密には「女性が食べない男の好物が沢山有った」と言う事でしょう。肉を苦手とする娘は多かったし、内臓はほぼ全員がアウト。ニンニクが入ったものも唐辛子を効かせた料理もダメでしたね。私が4年の時の1年生からですよ、一緒に朝鮮焼肉店に行けたのは。生魚が嫌いな女性も多く、寿司は鮪と蝦、あとはせいぜい玉子焼きと河童巻き。「アンタは何なら食べられるの?」と訊くと、「麺類や野菜は普通に食べられますよ。スパゲッティとかドリアとか好きですし、そんなに偏食でも無いと思うけど」とか言いますから、思えば、まだ日本社会は女性に惨かった。女性には外食の機会が少ない時代でした。1人ではラーメン屋にも定食屋にも入りずらく、ましてバー、赤チョウチンなんかは、はっきりタブーでしたね。カタギの娘はまず1人では暖簾を潜りませんでした。スナックで若い女性が1人でいるのを見る様になったのは、昭和40年代の終わり頃からでしょうかね。その前は、食事をするにも、若い女性が1人で入れる店を探した方が早い状況でした。
こういう食に対する「女性の食性の狭さ、機会不均等」は他の民族でも存在したのでしょうか?。私は見た事も聞いた事も有りませんねえ。特定の食品を宗教上の理由で禁止している国だって、許されている食べ物については男女別は無いでしょう。
「外食は男だけの特権」という事では日本だけでなく、当時まだ貧しい上に男が威張っていた韓国社会もそうでした。外食は男の特権でしたね。でも、韓国の女性は「外食の機会が有れば、カルビやホルモン焼き等、男と同じ物を食べたい」という強い願望を持っていましたから、日本の様に「女性が嫌がる食品が存在する」という事は有りませんでした。
この時代までの女性は「食欲イコール意地汚い」と躾けられていたんでしょう、何か食べ物をアレコレ言うのは「はしたない」みたいで、食べ物について、あまり話題にしませんでした。それとプラスして、日本には、まだ本当の意味での「肉食文化」が根着いていなかった事もあるでしょう。今だって日本は「肉食文化後進国」ですよ。その証拠に肉料理のレパートリーの少なさ、内臓や血、脳、骨髄、ヒズメなんか美味いのに誰も食べないですものね。明治からの肉食解禁、ここもまず外食、男から始まりました。それが女性にも及んだのは、ほんの50年前からですよ。
今の女性には考えられないでしょう、でも、ほんの半世紀前までの日本の現実です。
好き嫌いは結局のところ単なる習慣です。食べ物の好みに先天的に男女や民族の違いが有ると言うなら証明してみなよ。ですから私や林、粟田みたいに「何でも好き」が一番幸せなのです。でも私達にも苦手は有ります。粟田は皆無かも知れませんが、私が一番イヤだったのは韓国のエイを発酵させたヤツ、林はスクガラス(アイゴの稚魚の塩漬け=沖縄料理)とかです。でも、これだって所詮は慣れ。何度か食べているうちに美味さが分るかも知れません。
言わなくたって分ると思いますが、尺八の流派が行う「ソフトの強制または禁止」なんか、今の世で人が相手にしないのは当たり前なのです。所詮は芸術上の理由では無く、団体維持の為の方便ですから、理由を訊くと「幼児並みの答え」しか返って来ません。
でも、もうどうでも良い。もはや誰も相手にしていない、言わば「壊れた仕組み」ですから、今更どうこう言うつもりは有りません。何でも有り、何でも好きが一番です。もうそうなりました。私の予想では、この先15年で完全にそうなります。
その上で、なお個人の嗜好が出ますが、これは不変ではない。単なる「慣れ」も大きいですから、そのうち、あるいは何かの切っ掛けで突然好きになるかも知れませんね。でも一度好きになったものが、逆に嫌いになる事は滅多に無いですね。みんな取柄が有るんですよ。そこを見出せた人は、その分だけ得をしています。
ともかく「食わず嫌い」で初めからシャットアウトするのが一番損ですわ。しかも、それが強制とかであったら、それこそ目も当てられませんね。
人間には「個人の好み」とまた別に、大きな嗜好の枠も有ります。普通に入手できる環境なら、人間は米を選び高粱は食べない。牛肉を食べミミズは避ける。人類1人の例外も無く渋柿ではなく甘柿を選ぶ。そういう事の発見は、慢性的な飢えと共存した人類の長い歴史有っての事です。ですから文化的な選択も、選ぶ対象は多ければ多いほど良い。そこから個人の嗜好を見つければ良いと思います。食わず嫌いが一番損ですわ。
吉田、山本、岡安の3人は誘えば来るけど、自分からは「どこどこへ行こう」とは言わないタイプでした。でも山本なんかは私達の影響で、卒業時にはイッパシのグルマンになっていましたな。
中でキリギリスみたいな栄養失調ズラの古市だけは、食べる物に興味を示さなかったですね。いつも「何を食っても美味くねえ」と言ってるので、私が「何か美味いと思うモノはネエのかよ?」と訊くと、しばらく考えて「シシャモかな」と答えました。シシャモが不味いってんじゃないですよ、ショッチュウ奢ってくれた気の良い古市だから言います。オメエは明らかに学生時代は「人生上の損」をしていたぞ。でも、食い物に興味の無かった古市も食欲自体は旺盛でした。よく深夜に営業しているラーメン屋に一緒に行ったものです。一度なんか腹は減っても金が無いので、ヤツとだったか高橋とだったか、2人で高井さんの下宿中4,5部屋のコーラ瓶を酒屋に持って行き、金を作りました。早稲田通り沿いの名店、蝦夷菊の味噌ラーメンが150円、二人で300円。コーラのホームサイズ(500cc瓶)引き取り料1本10円。30本を黙って持ち出したのですが、後で誰にも何も言われなかったのは、当時の学生気質です。すなわち「ヒトのモノはオレのモノ、オレのモノもオレのモノ。早い者勝ち」。もしも煩いヤツがいたら、逆に逆捩を喰らわせますよ。「テメエは日頃マルクスがどうのって言ってやがって、ケチな私有財産に拘泥するんじゃネエ」。
大学生ですから皆が食欲は旺盛でした。でも私達3人以外は「食いもの優先」というのでは無かった。板前修業の後、故郷の久留米で魚料理屋を経営した1年上の木稲さんも、学生時代は食べ物に凝ってはいませんでしたね。
私が学生の頃は、男と女では食べるモノが違っていました。より厳密には「女性が食べない男の好物が沢山有った」と言う事でしょう。肉を苦手とする娘は多かったし、内臓はほぼ全員がアウト。ニンニクが入ったものも唐辛子を効かせた料理もダメでしたね。私が4年の時の1年生からですよ、一緒に朝鮮焼肉店に行けたのは。生魚が嫌いな女性も多く、寿司は鮪と蝦、あとはせいぜい玉子焼きと河童巻き。「アンタは何なら食べられるの?」と訊くと、「麺類や野菜は普通に食べられますよ。スパゲッティとかドリアとか好きですし、そんなに偏食でも無いと思うけど」とか言いますから、思えば、まだ日本社会は女性に惨かった。女性には外食の機会が少ない時代でした。1人ではラーメン屋にも定食屋にも入りずらく、ましてバー、赤チョウチンなんかは、はっきりタブーでしたね。カタギの娘はまず1人では暖簾を潜りませんでした。スナックで若い女性が1人でいるのを見る様になったのは、昭和40年代の終わり頃からでしょうかね。その前は、食事をするにも、若い女性が1人で入れる店を探した方が早い状況でした。
こういう食に対する「女性の食性の狭さ、機会不均等」は他の民族でも存在したのでしょうか?。私は見た事も聞いた事も有りませんねえ。特定の食品を宗教上の理由で禁止している国だって、許されている食べ物については男女別は無いでしょう。
「外食は男だけの特権」という事では日本だけでなく、当時まだ貧しい上に男が威張っていた韓国社会もそうでした。外食は男の特権でしたね。でも、韓国の女性は「外食の機会が有れば、カルビやホルモン焼き等、男と同じ物を食べたい」という強い願望を持っていましたから、日本の様に「女性が嫌がる食品が存在する」という事は有りませんでした。
この時代までの女性は「食欲イコール意地汚い」と躾けられていたんでしょう、何か食べ物をアレコレ言うのは「はしたない」みたいで、食べ物について、あまり話題にしませんでした。それとプラスして、日本には、まだ本当の意味での「肉食文化」が根着いていなかった事もあるでしょう。今だって日本は「肉食文化後進国」ですよ。その証拠に肉料理のレパートリーの少なさ、内臓や血、脳、骨髄、ヒズメなんか美味いのに誰も食べないですものね。明治からの肉食解禁、ここもまず外食、男から始まりました。それが女性にも及んだのは、ほんの50年前からですよ。
今の女性には考えられないでしょう、でも、ほんの半世紀前までの日本の現実です。
好き嫌いは結局のところ単なる習慣です。食べ物の好みに先天的に男女や民族の違いが有ると言うなら証明してみなよ。ですから私や林、粟田みたいに「何でも好き」が一番幸せなのです。でも私達にも苦手は有ります。粟田は皆無かも知れませんが、私が一番イヤだったのは韓国のエイを発酵させたヤツ、林はスクガラス(アイゴの稚魚の塩漬け=沖縄料理)とかです。でも、これだって所詮は慣れ。何度か食べているうちに美味さが分るかも知れません。
言わなくたって分ると思いますが、尺八の流派が行う「ソフトの強制または禁止」なんか、今の世で人が相手にしないのは当たり前なのです。所詮は芸術上の理由では無く、団体維持の為の方便ですから、理由を訊くと「幼児並みの答え」しか返って来ません。
でも、もうどうでも良い。もはや誰も相手にしていない、言わば「壊れた仕組み」ですから、今更どうこう言うつもりは有りません。何でも有り、何でも好きが一番です。もうそうなりました。私の予想では、この先15年で完全にそうなります。
その上で、なお個人の嗜好が出ますが、これは不変ではない。単なる「慣れ」も大きいですから、そのうち、あるいは何かの切っ掛けで突然好きになるかも知れませんね。でも一度好きになったものが、逆に嫌いになる事は滅多に無いですね。みんな取柄が有るんですよ。そこを見出せた人は、その分だけ得をしています。
ともかく「食わず嫌い」で初めからシャットアウトするのが一番損ですわ。しかも、それが強制とかであったら、それこそ目も当てられませんね。
人間には「個人の好み」とまた別に、大きな嗜好の枠も有ります。普通に入手できる環境なら、人間は米を選び高粱は食べない。牛肉を食べミミズは避ける。人類1人の例外も無く渋柿ではなく甘柿を選ぶ。そういう事の発見は、慢性的な飢えと共存した人類の長い歴史有っての事です。ですから文化的な選択も、選ぶ対象は多ければ多いほど良い。そこから個人の嗜好を見つければ良いと思います。食わず嫌いが一番損ですわ。
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