サンカ
- 2015/01/28
- 23:24
私の子供の頃までサンカと呼ばれた山の民がいたらしいのです。柳田國男にはサンカについての論文が有りますし、五木寛之の「風の王国」を読むと、その大体のところが理解できると思います。
いつの頃からか山の中で生活して、竹細工や川魚、スッポンを村人に売って生活していた集団です。定住していないので、いわゆる「部落民」とも違います。「部落」にも存在した、兵役や納税の義務も無かったようです。その代わり、国からの教育や医療の保護も無かったと思います。
昭和30年代の前半まで男の子はグループで遊んでいました。その地区の小学生が所属していてガキ大将と言われるリーダーは6年生です。この時期の1,2年の年齢差は決定的なもので、1年生にとって6年生は体力も知識量からも仰ぎ見る存在でした。最初に様々なことを教えてくれたのはガキ大将です。このガキ大将が最初に「サンカ」と言う言葉を教えてくれました。「サンカって何?」 「山に住んでいて竹を採ってくらしてるんだ」 「竹って、そんなの何処にでもあるじゃんか」 「竹でモノを作るんだ、尺八とか竹刀だとか」 本当はザルや籠ですけどね。ともかく、それ以来、私には「サンカ。虚無僧、尺八」と言う間違った概念がインプットされました。
サンカについて、国民学校しか出ていませんが何に関しても知識の有った祖父に聞いても、どこまで本当か分からない三角寛の「サンカ小説」程度の答えも返って来ず、つまり祖父も良く知らないということです。祖父が知らない事は大体他のオトナに聞いても無駄だと子供心にも分かっていましたから、それ以上の探求は無かったですけどね・・・
どのオトナも「存在は知っている」程度の知識しか無かったようです。
サンカの不思議な所は、墓、生活痕跡、始祖伝説いずれも存在していないことです。日本が高度経済成長時代に入り、いつの間にか姿を消しました。
虚無僧は全く違う職業構造であり、しかも明治になってからの虚無僧と江戸期の虚無僧とは、同じく尺八を生活小道具にしているだけで、ここも全く違う構造をもった職業です。いずれにしても尺八用の竹の採集はサンカの職業範囲ではありません。尺八用竹のルートも研究する方がいれば、一つの興味深い論文が出来ます。
ただ、この部分の論文やレポートで重大な問題になることは尺八では有りえません。でも猫の皮で近々おこると私は思います。
いつの頃からか山の中で生活して、竹細工や川魚、スッポンを村人に売って生活していた集団です。定住していないので、いわゆる「部落民」とも違います。「部落」にも存在した、兵役や納税の義務も無かったようです。その代わり、国からの教育や医療の保護も無かったと思います。
昭和30年代の前半まで男の子はグループで遊んでいました。その地区の小学生が所属していてガキ大将と言われるリーダーは6年生です。この時期の1,2年の年齢差は決定的なもので、1年生にとって6年生は体力も知識量からも仰ぎ見る存在でした。最初に様々なことを教えてくれたのはガキ大将です。このガキ大将が最初に「サンカ」と言う言葉を教えてくれました。「サンカって何?」 「山に住んでいて竹を採ってくらしてるんだ」 「竹って、そんなの何処にでもあるじゃんか」 「竹でモノを作るんだ、尺八とか竹刀だとか」 本当はザルや籠ですけどね。ともかく、それ以来、私には「サンカ。虚無僧、尺八」と言う間違った概念がインプットされました。
サンカについて、国民学校しか出ていませんが何に関しても知識の有った祖父に聞いても、どこまで本当か分からない三角寛の「サンカ小説」程度の答えも返って来ず、つまり祖父も良く知らないということです。祖父が知らない事は大体他のオトナに聞いても無駄だと子供心にも分かっていましたから、それ以上の探求は無かったですけどね・・・
どのオトナも「存在は知っている」程度の知識しか無かったようです。
サンカの不思議な所は、墓、生活痕跡、始祖伝説いずれも存在していないことです。日本が高度経済成長時代に入り、いつの間にか姿を消しました。
虚無僧は全く違う職業構造であり、しかも明治になってからの虚無僧と江戸期の虚無僧とは、同じく尺八を生活小道具にしているだけで、ここも全く違う構造をもった職業です。いずれにしても尺八用の竹の採集はサンカの職業範囲ではありません。尺八用竹のルートも研究する方がいれば、一つの興味深い論文が出来ます。
ただ、この部分の論文やレポートで重大な問題になることは尺八では有りえません。でも猫の皮で近々おこると私は思います。
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