昨日まで展示会をやっていましたが、いや~酷いモノですな、雪道って。初日は三重県の四日市でしたが、四日市から滋賀県にかけての高速道路では車が丸一日立ち往生です。大雪の中、社中で過ごした人達は大変でしたでしょう。私達も泊まるホテルまで残り12キロという所で、渋滞にハマり込み、結局7時間かかりました。「不要不急の外出は控えて」とか言いますがね、雪の情報は皆が知ってますよ。でも行く必要が有るからこそ、道が続いている限り行くのですわ。
展示会期間の5日間は天気も良く快適でした。展示会は様々な人達とお話できるから楽しいです。今回もイロンナの人達と御会いしました。
岐阜大の1年生。こりゃ久々に見た「凄玉」です。キャリア8か月で尺八吹きの技量から言うと「上位1~2パーセント」。笛やドウショウの熟達者が尺八吹きに多い台湾や中国では珍しくありませんが、大学で初めて尺八を持った人では、過去に遡っても三橋貴風とか坂田誠山とかで稀も稀です。こういう人がプロになるのです。でも国立大ですから、3年生の後半には深刻に悩むのでしょうね。
我々の頃は気楽でした。35才までは正社員のクチが幾らでも有りました。でも終身雇用、年功序列という企業が社会にした約束が崩れた今は、「好きな事で勝負して自己実現の人生を送りたい」という人も増えましたし、企業そのものが多様な働き方を認めないと「置いて行かれる時代」ですから、選択肢は増えました。そういうふうな事を人生の大先輩として話しました。
これを別にして、特に印象深かったのは75才のオバ ちゃん。東京外語大を出て世界各国に移り住み、「来年あたり家族の住むアルゼンチンに移ろうかな」と言っていました。英語、仏語、独語、スペイン語を日本語レベルで使え、イタリア語、ポルトガル語も大丈夫だそうで、今からロシア語か中国語を憶えようとしています。75才で、ですよ。
だけどねえ、本人の言ってる歴史観や文化理解に「オカシナ所」が有るので、訊いたら、偽書『秀真伝(ホツマツタヱ)』の信奉者グループに入っていました。子供騙しの偽造文献にも本気で信じる人がいる、こういう知的アンバランスが人間の面白いところですかね。私も前は友人の大学学長に頼まれて、大学に入り込もうとする「トンデモさん達」を排除する仕事を片手間にやりましたが、「ビジネスにしよう」とか、そういう意図が無ければ、まあ良いんじゃないですか、別に他人に害を及ぼすわけじゃないし・・・。
90才の都山流師範は「持っている尺八がイマイチ」と言うので、確認すると、性能的には最高級の出来の尺八です。それでも数多く並んでいる私の尺八の中で、気に入った尺八が有ったので、「これから、これで頑張るよ」と買って行かれました。新しい尺八の方が性能は上ということは無いのですが、御本人が吹くと格段に鳴りました。これが所謂「相性」です。それにしても90才ですよ。今でも十分に上手い。私が会った90歳越えの尺八家としたら、最高レベルの吹奏力でしょう。でも、まだ上手くなろうとしています。
過去には、「尺八をずっと吹いてみたかった」と言った102歳の方。。85才で「もう仕事は出来ないから尺八を始めてみようと思った」と言った車椅子の人。80を越えて「春の海」や「六段」を「これが吹けるようになるまで頑張ります」とか、「おかげで人生にハリが出来ました」とおっしゃって、私なんかに礼を言って、尺八を持って帰られた御老人は幾らでもいらっしゃったんですよ。私の方こそ、この方達からは御支払いいただいた尺八代金以上のものを戴きました。
尺八の人間国宝・島原帆山先生が99才の時に「来年、大きなイベントをやるので、よろしくね、(以下略)」という御便りを頂きました。99才の人が来年の企画をするのには驚きました。「老人の日、特別番組」として1時間枠でテレビで全国放送された、その大イベントを仕上げて3月後に、島原先生は亡くなりました。糸方にも人間国宝達を揃え、「国宝だらけだな」とおっしゃった御満悦な島原先生の顔が今でも目に浮かびます。
人間の寿命は有限ですが、人生という道の行き止まりは予測不可です。108才で亡くなった彫刻の平櫛田中は、死してなお後30年分の材料を確保していたという有名なエピソードが有ります。
私も今年73ですが、創業以来43年間の方針は、年金や子供のオコズカイ程度の金額で、気楽に始められる竹製尺八の提供でした。その気持ちが通じたかどうかは分かりませんが、今でもトップメーカーとして続けていけるのですから、支持して下さった方も多かったのでしょう。願わくば、前記のような御老人達に元気を戴いて、今しばらくは尺八を皆様に届けて行こうと思います。若い者達にバトンタッチするまで、もう少しだけ大橋鯛山も頑張ります。
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