自由の対価
- 2023/02/26
- 09:43
私の1年上の先輩に浅野さんがいます。大学4年になっても一向に就職活動をしないで、「一生アルバイトで暮らしていく」と公言していました。「だって気楽じゃないか」ですとよ。だから同学年の目黒さん達からは「バカ野」と呼ばれて侮られていましたが、本人は気にするはずも無く、当時流行っていた、かまやつひろしの歌、「今夜の夜汽車で旅立つオレだよ、当てなど無いけど、どうにかなるさ」と年中歌っていて、皆から呆れられていました。大学生で、このテの人達がいたのが高度経済成長期というモノです。だって、外国人からは「日本人は週8日働く労働中毒者」と言われたの時代ですもの。だから、そういう人生を拒否する人間も、また正常なのです。
良くしたもので、そこはそれ、当時は極端な人手不足で、「滅私奉公の労働」を拒否した人達には、いくらでもアルバイトのクチが有りました。1972年当時は、週休2日なんて就職口は皆無でしたから、アルバイトで日給2000円で25日働いたとしましょう、収入は月5万円くらいで、サラリーマンの初任給を少し上回ります。ただしボーナスが無いし、各種の福利厚生手当も無し。若い時は現実感の無い年金や退職金を計算の外に置いても、どんなに努力しても賃金の上がらないアルバイトでは、税金負担が少ない利点を考慮しても、その差は歴然。ほぼ5年以内にサラリーマンの収入に抜かれます。生涯収入で数えたら半分以下、下手をすると3分の1ですかね。
その代わりに得たモノと言えば「気楽さ」でしょうね。アルバイトにストレスが無いと言うのではなくて、イヤな事があれば、その場を簡単に離脱できるという事です。
浅野さんは就職しないまま、卒業すると同時に、6畳1間、風呂無し、トイレと洗面所共同のアパートを探して、そこへモグリ込みました。でも結局「モグラ生活」は1週間。すぐ大学の就職課へ行きサラリーマンになりました。当時は4月はおろか5月になっても就職先リストは豊富に有ったのです。浅野さんが選んだ就職先は、従業員6百人の自動車部品会社です。
その心境の変化について尋ねましたとも。彼曰く、「アパートの部屋で真っ昼間ゴロゴロして、天井を見上げているとよ、オレは何をしたいんだ、この先どうするんだ、そう思えてきたんだよ」。
大橋、「今頃分かったんですかい」。浅野、「そしたらな、普通に働いて普通に生きて行くことが、とても大切だと思えてきたんだ」。
ここがサラリーマン人生を選ぶ人達と自由業を選ぶ者との決定的な適性の違いです。彼の言う、「広い世界に自分だけ取り残された様な気がして…」。ナルホド前に横たわっている人生の時間が、とても長く、空漠たるものに見えたのでしょう。結局、彼の夢見ていた景色は「気楽で楽しい大学生活」の延長だったわけです。でも、自由業渇望の人だと、考えても分からない事は悩まない、先を暗く見ない、だから「さあ卒業だ。これからだ。思い通りにやるぞ」ですからね。前記の、かまやつの歌「あてなど無いけど、どうにかなるさ」は「ドカタの人生観」であって、自由業者は決して、こんな考え方はしません。
元々浅野さんは頭も良く、他人の悪口も言わないし、決して怒らない温厚極まる人で、サラリーマンをタイプ別に分けた場合の、「体制従順型のコツコツやるサラリーマン」としたら最高の人でもあり、半年後には会社に溶け込んで楽しく生活していました。その後の20年で、その会社は2千人規模まで急成長したので、彼も否応なくモーレツサラリーマンの人生を送りましたが、「後悔している」とは一言も聞いていません。
かつての日本社会は「楽しい事」って「厳しい労働の余暇」としてしか認めない社会でした。そりゃあヘンリー・ミラーじゃあるまいし、「労働には価値が無い」なんて言いませんよ。でも、「日本式が当たり前」と言うのも違いますって。
いくら終身雇用、年功序列で「従えば野垂れ死にはしない」という約束が存在した当時だって、アメリカや西欧の人達が「そんな労働環境で、よくやってられるよ」と呆れる社会構造を受け入れない人達だっていたんですよ。契約社会の欧米企業は、日本の様な「丁稚奉公型労働」ではないので、仕事は厳しくとも、会社とプライベート生活は完全に分離していましたもんね。一っ頃言われた「社畜」なんて有り得ない。
尺八プロの生活に「約束、保証」の類いは、どう考えても、もう有りません。家元業だって、これからの尺八界では存在しえません。これまでの付き合いの範囲で糸方社中からは、後10年か20年は仕事が来るでしょうが、それも先へ行くほど細ります。
ここで適性の有る無しに分れます。尺八のプロとして、やって行こうかどうか悩んでいる若い人達。もし将来が不安で不安で仕方が無ければ、もうそれだけで自由業者には向いていないのです。今の不安は「想像」でしょう。実際にプロになれば現実の試練は何度でも来ます。その度に悩んでいたら間違いなく心を病む。
「でも諦められない」。なら最善の選択肢は他にも職業を持つ事です。企業が社員にした御約束、年功序列も終身雇用も守れなくなった今は、副業を認める会社も増えました。でも、その為には勤め人としてのスキルも無いとね。どんな業種だって、真剣にやらない人間を誰が雇いますかいな。
「僕は尺八しか出来ません」なんて言う甘ったれが、本当にいるのでメンクライますが、自由を選んだ対価。それは自己責任と言う、いさぎよい代わりに頼れるのは自分だけの覚悟です。
良くしたもので、そこはそれ、当時は極端な人手不足で、「滅私奉公の労働」を拒否した人達には、いくらでもアルバイトのクチが有りました。1972年当時は、週休2日なんて就職口は皆無でしたから、アルバイトで日給2000円で25日働いたとしましょう、収入は月5万円くらいで、サラリーマンの初任給を少し上回ります。ただしボーナスが無いし、各種の福利厚生手当も無し。若い時は現実感の無い年金や退職金を計算の外に置いても、どんなに努力しても賃金の上がらないアルバイトでは、税金負担が少ない利点を考慮しても、その差は歴然。ほぼ5年以内にサラリーマンの収入に抜かれます。生涯収入で数えたら半分以下、下手をすると3分の1ですかね。
その代わりに得たモノと言えば「気楽さ」でしょうね。アルバイトにストレスが無いと言うのではなくて、イヤな事があれば、その場を簡単に離脱できるという事です。
浅野さんは就職しないまま、卒業すると同時に、6畳1間、風呂無し、トイレと洗面所共同のアパートを探して、そこへモグリ込みました。でも結局「モグラ生活」は1週間。すぐ大学の就職課へ行きサラリーマンになりました。当時は4月はおろか5月になっても就職先リストは豊富に有ったのです。浅野さんが選んだ就職先は、従業員6百人の自動車部品会社です。
その心境の変化について尋ねましたとも。彼曰く、「アパートの部屋で真っ昼間ゴロゴロして、天井を見上げているとよ、オレは何をしたいんだ、この先どうするんだ、そう思えてきたんだよ」。
大橋、「今頃分かったんですかい」。浅野、「そしたらな、普通に働いて普通に生きて行くことが、とても大切だと思えてきたんだ」。
ここがサラリーマン人生を選ぶ人達と自由業を選ぶ者との決定的な適性の違いです。彼の言う、「広い世界に自分だけ取り残された様な気がして…」。ナルホド前に横たわっている人生の時間が、とても長く、空漠たるものに見えたのでしょう。結局、彼の夢見ていた景色は「気楽で楽しい大学生活」の延長だったわけです。でも、自由業渇望の人だと、考えても分からない事は悩まない、先を暗く見ない、だから「さあ卒業だ。これからだ。思い通りにやるぞ」ですからね。前記の、かまやつの歌「あてなど無いけど、どうにかなるさ」は「ドカタの人生観」であって、自由業者は決して、こんな考え方はしません。
元々浅野さんは頭も良く、他人の悪口も言わないし、決して怒らない温厚極まる人で、サラリーマンをタイプ別に分けた場合の、「体制従順型のコツコツやるサラリーマン」としたら最高の人でもあり、半年後には会社に溶け込んで楽しく生活していました。その後の20年で、その会社は2千人規模まで急成長したので、彼も否応なくモーレツサラリーマンの人生を送りましたが、「後悔している」とは一言も聞いていません。
かつての日本社会は「楽しい事」って「厳しい労働の余暇」としてしか認めない社会でした。そりゃあヘンリー・ミラーじゃあるまいし、「労働には価値が無い」なんて言いませんよ。でも、「日本式が当たり前」と言うのも違いますって。
いくら終身雇用、年功序列で「従えば野垂れ死にはしない」という約束が存在した当時だって、アメリカや西欧の人達が「そんな労働環境で、よくやってられるよ」と呆れる社会構造を受け入れない人達だっていたんですよ。契約社会の欧米企業は、日本の様な「丁稚奉公型労働」ではないので、仕事は厳しくとも、会社とプライベート生活は完全に分離していましたもんね。一っ頃言われた「社畜」なんて有り得ない。
尺八プロの生活に「約束、保証」の類いは、どう考えても、もう有りません。家元業だって、これからの尺八界では存在しえません。これまでの付き合いの範囲で糸方社中からは、後10年か20年は仕事が来るでしょうが、それも先へ行くほど細ります。
ここで適性の有る無しに分れます。尺八のプロとして、やって行こうかどうか悩んでいる若い人達。もし将来が不安で不安で仕方が無ければ、もうそれだけで自由業者には向いていないのです。今の不安は「想像」でしょう。実際にプロになれば現実の試練は何度でも来ます。その度に悩んでいたら間違いなく心を病む。
「でも諦められない」。なら最善の選択肢は他にも職業を持つ事です。企業が社員にした御約束、年功序列も終身雇用も守れなくなった今は、副業を認める会社も増えました。でも、その為には勤め人としてのスキルも無いとね。どんな業種だって、真剣にやらない人間を誰が雇いますかいな。
「僕は尺八しか出来ません」なんて言う甘ったれが、本当にいるのでメンクライますが、自由を選んだ対価。それは自己責任と言う、いさぎよい代わりに頼れるのは自分だけの覚悟です。
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