上手、下手
- 2023/03/24
- 09:01
先週、初めて山梨県の甲府で展示会を開いてきました。ここは全国屈指の尺八人口の少ない県でして、あの都山流にとってさえ、40年前までは「空白県」でした。でも、その頃は琴古諸派が大勢いました。今は都山20人、琴古20人ですかね。
山梨といえば武田信玄で、甲府駅前に座像が建っています。その他でマアマア知られている人だと、政治家の金丸信、サッカーの中田、プロレスのジャンボ鶴田などでしょうか。今度の展示会にも鶴田の日川高校時代の先輩が来ました。「同窓会で一緒に飲んだけど、アイツ、メチャクチャに酒が強いね」と言ってましたが、そりゃあ身長196センチ、体重110キロ越えですからね。彼は肝臓疾患で49歳で死にましたが、これはウイルス性の肝炎が原因であり、酒の飲みすぎではないです。
この鶴田は「日本プロレス史上最高の天才レスラー」、けど「プロレスの下手な人」というのが専門家達の一致した評価です。「鶴田に名勝負無し」とかも言われますが、私も見た事が有りません。身体能力や技術は申し分無いのでしょうが、「プロレスセンスの無い人だなあ」と新人時代から思っていました。私と同年で、ともに松坂慶子の大ファンというライバル関係に在ったから貶すわけではありませんよ。
よくプロレスファンはラッシャー木村の1981年の「こんばんわ」発言を「史上最大のKY発言」とか言いますが、1974年1月の鶴田の東京でのコメントは、それ以上です。
ジャック・ブリスコとのNWA世界戦の時ですよ。翌月にアメリカでブリスコにドリー・ファンク・ジュニアが挑戦する大一番が有るらしく、異例な事ですが、前宣伝の為にアメリカからテレビクルーが来たのです。そして試合前にリング上で、アメリカ人のアナウンサーが「このブリスコとファンクの試合の予想を訊きましょう。どっちが勝つと思いますか?。トミー・ツルタ」と鶴田を指名したんです。そしたらツルタ、「それは、とても難しい。私には分からない」と、オーバーに両手を広げて答えたんですよ。ヒドイでしょう、いくら突然の質問で、当事者である鶴田には「今夜はオレが2ー1で負ける」と分かっていたにしろ、もう少しプロなら機転を見せなくては。「ブリスコの王座は今夜で終わりだ。ファンクと戦うのは新チャンピオンのオレだ」と答えれば上出来。せめて「ブリスコは今夜オレが潰す」くらいは言えるでしょう。馬場や猪木との才能の違いは歴然です。
これで大騒ぎにならなかったのは、全部のやり取りが英語だったからです。まだ当時は、この程度の英語も聞き取れない人がほとんどだったですからね。
えっ、「訊くテレビもテレビだ」ですかい。少し説明がいりますな。この当時は、広大なアメリカ全土をカバーしてプロレスを流すテレビ局など存在しません。数多い地域テレビは、日本みたいにプロレスに放送権料なんて払いません。逆にプロレスの会社が、宣伝の為にテレビの放送枠を買うのです。ですから、このテレビクルーの正体も分るでしょう。言ってみれば御同業ですもの、まさか、こんな間抜けなコメントが返って来るとは思わなかったでしょうね。
繰り返しになりますが、鶴田のプロレスセンスの無さが分るでしょう。抜群の身体能力と運動神経と人柄の良さ、そして健全な金銭感覚を併せ持った人でしたが、大成しなかったのも分かります・・・。
この「センスが有る」とか「上手い」って、凄く難しい用法です。野球とか相撲とか、とにかく一直線に勝ちを目指す競技の場合は、この「上手い」は、技術とか駆け引きとか、ともかく勝利する為の技術を言います。けど、これが芸術とかプロレスの様なショースポーツだと、少し複雑な意味を持ってしまいます。その競技や芸の技術と別に、客を引き込む技術とかセンスも必要なのです。分かり易く言うと、「カラオケで百点を出せる人が、プロの鑑賞用歌唱では成功できるかどうかは分からない」という事です。分からないからこそ、歌唱力が重視されなかった1960年代70年代は、ルックスの良い男子、女子を大量にデビューさせて、売れなければ落していく「市場選別方式」を採ったのです。
40年前ですと、尺八のコントロール技術で言えば誰もネプチューンに敵わなかったですよ。でも、当時だって私は、青木鈴慕や横山勝也はショッチュウ聴いたけど、ネプチューンは珠に聞くくらいでしたね。「藤原道山や岩田、小湊とかは最高の技術だけど、かつての名人(青木、横山、山口など)みたいには感動しないんだな」と言う尺八の人達は多いのです。また「初めて聴くと、その技術力に圧倒されるが、そう何回も聴きたくはないんだよな」とも、よく聞く意見です。
「そんなの年寄りの懐古趣味だ」と言いますかい。それなら私も言う、「貴方は芸術の重大な側面を見落としている。そこが見えていない人には尺八界での成功は難しい」。
その一部を述べますが、今も昔も、新たに尺八に入門してくる人達の最多の理由、それは「音色に魅かれて」です。音色や個性を錬る重要さを、どうも今の尺八家って置き去りにしてる様な気がするんですよ。プロなら美しい音なんて当然なんです。でも必要条件に過ぎない。さらに加えて、それを底光りさせる裏地みたいな何か。それが十分条件になります。
そろそろ流れが変わりる時期だと思いますが、今の尺八って、鳴り易くて大きな音も出るけど、音色が金管楽器みたいだと思わないですか?。これは「売れる事を優先した」、我々尺八製作の側にも責任が有ります。
山梨といえば武田信玄で、甲府駅前に座像が建っています。その他でマアマア知られている人だと、政治家の金丸信、サッカーの中田、プロレスのジャンボ鶴田などでしょうか。今度の展示会にも鶴田の日川高校時代の先輩が来ました。「同窓会で一緒に飲んだけど、アイツ、メチャクチャに酒が強いね」と言ってましたが、そりゃあ身長196センチ、体重110キロ越えですからね。彼は肝臓疾患で49歳で死にましたが、これはウイルス性の肝炎が原因であり、酒の飲みすぎではないです。
この鶴田は「日本プロレス史上最高の天才レスラー」、けど「プロレスの下手な人」というのが専門家達の一致した評価です。「鶴田に名勝負無し」とかも言われますが、私も見た事が有りません。身体能力や技術は申し分無いのでしょうが、「プロレスセンスの無い人だなあ」と新人時代から思っていました。私と同年で、ともに松坂慶子の大ファンというライバル関係に在ったから貶すわけではありませんよ。
よくプロレスファンはラッシャー木村の1981年の「こんばんわ」発言を「史上最大のKY発言」とか言いますが、1974年1月の鶴田の東京でのコメントは、それ以上です。
ジャック・ブリスコとのNWA世界戦の時ですよ。翌月にアメリカでブリスコにドリー・ファンク・ジュニアが挑戦する大一番が有るらしく、異例な事ですが、前宣伝の為にアメリカからテレビクルーが来たのです。そして試合前にリング上で、アメリカ人のアナウンサーが「このブリスコとファンクの試合の予想を訊きましょう。どっちが勝つと思いますか?。トミー・ツルタ」と鶴田を指名したんです。そしたらツルタ、「それは、とても難しい。私には分からない」と、オーバーに両手を広げて答えたんですよ。ヒドイでしょう、いくら突然の質問で、当事者である鶴田には「今夜はオレが2ー1で負ける」と分かっていたにしろ、もう少しプロなら機転を見せなくては。「ブリスコの王座は今夜で終わりだ。ファンクと戦うのは新チャンピオンのオレだ」と答えれば上出来。せめて「ブリスコは今夜オレが潰す」くらいは言えるでしょう。馬場や猪木との才能の違いは歴然です。
これで大騒ぎにならなかったのは、全部のやり取りが英語だったからです。まだ当時は、この程度の英語も聞き取れない人がほとんどだったですからね。
えっ、「訊くテレビもテレビだ」ですかい。少し説明がいりますな。この当時は、広大なアメリカ全土をカバーしてプロレスを流すテレビ局など存在しません。数多い地域テレビは、日本みたいにプロレスに放送権料なんて払いません。逆にプロレスの会社が、宣伝の為にテレビの放送枠を買うのです。ですから、このテレビクルーの正体も分るでしょう。言ってみれば御同業ですもの、まさか、こんな間抜けなコメントが返って来るとは思わなかったでしょうね。
繰り返しになりますが、鶴田のプロレスセンスの無さが分るでしょう。抜群の身体能力と運動神経と人柄の良さ、そして健全な金銭感覚を併せ持った人でしたが、大成しなかったのも分かります・・・。
この「センスが有る」とか「上手い」って、凄く難しい用法です。野球とか相撲とか、とにかく一直線に勝ちを目指す競技の場合は、この「上手い」は、技術とか駆け引きとか、ともかく勝利する為の技術を言います。けど、これが芸術とかプロレスの様なショースポーツだと、少し複雑な意味を持ってしまいます。その競技や芸の技術と別に、客を引き込む技術とかセンスも必要なのです。分かり易く言うと、「カラオケで百点を出せる人が、プロの鑑賞用歌唱では成功できるかどうかは分からない」という事です。分からないからこそ、歌唱力が重視されなかった1960年代70年代は、ルックスの良い男子、女子を大量にデビューさせて、売れなければ落していく「市場選別方式」を採ったのです。
40年前ですと、尺八のコントロール技術で言えば誰もネプチューンに敵わなかったですよ。でも、当時だって私は、青木鈴慕や横山勝也はショッチュウ聴いたけど、ネプチューンは珠に聞くくらいでしたね。「藤原道山や岩田、小湊とかは最高の技術だけど、かつての名人(青木、横山、山口など)みたいには感動しないんだな」と言う尺八の人達は多いのです。また「初めて聴くと、その技術力に圧倒されるが、そう何回も聴きたくはないんだよな」とも、よく聞く意見です。
「そんなの年寄りの懐古趣味だ」と言いますかい。それなら私も言う、「貴方は芸術の重大な側面を見落としている。そこが見えていない人には尺八界での成功は難しい」。
その一部を述べますが、今も昔も、新たに尺八に入門してくる人達の最多の理由、それは「音色に魅かれて」です。音色や個性を錬る重要さを、どうも今の尺八家って置き去りにしてる様な気がするんですよ。プロなら美しい音なんて当然なんです。でも必要条件に過ぎない。さらに加えて、それを底光りさせる裏地みたいな何か。それが十分条件になります。
そろそろ流れが変わりる時期だと思いますが、今の尺八って、鳴り易くて大きな音も出るけど、音色が金管楽器みたいだと思わないですか?。これは「売れる事を優先した」、我々尺八製作の側にも責任が有ります。
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