托鉢
- 2015/02/02
- 11:27
名古屋駅で牧原一路さんが虚無僧の「場立ち」をやっています。御本人に言わせると「時給百円」だと言います。
その同じ牧原さんが弟子の森田さんと戸別訪問(これが本来の托鉢ですかね)方式での托鉢をしたところ、「稼ぎ」は10倍近くになったそうです。
「年末助け合い」の募金に協力する為に虚無僧姿で、その時期だけ「場立ち」をする人達に聞くと、やはり「時給にすると五百円以上になる」そうです。
大由鬼山さんは、これは尺八吹奏家としての度胸をつくる為に、盛り場で飲み屋に「飛び込み」をしましたが、これだと「一晩1~2万」だそうです。
山戸朋盟さんは、10年以上前に東ヨーロッパで「場立ち」をやり、「毎日コンスタントに1500円くらい稼いだ」と言います。これは当時の東欧の物価ですと、何とか暮らせる水準です。
現在でも虚無僧で暮らしている人が僅かながら存在しています。勿論アルバイトでは無い「専業虚無僧」です。牧原さんの他、前にも書きましたが、野入虚彗、白土虚晧といった人達です。この二人は吹奏力から言って他の尺八曲では演奏家は務まりませんが、地無し尺八(虚鐸)で吹く本曲には定評が有ります。「退屈で聞けたもんじゃない」と言う人がいる一方で「心に響く」と評価する人がいますから、好みの振幅巾のかなり大きい吹奏ですな。
そのてん牧原さんとなると、「本気で演奏家を目指したら十分プロになれる」と昔から言われていた人ですから、いざとなると全分野の尺八曲が吹けますし、ほとんどの人が聴いて「上手いなあ」と感じます。その牧原さんが「場立ち」だと時給百円の世界になるのです。
日本人の一般傾向として、正体の知れない人物が立って尺八を吹いていたってマアそばに行きませんわな。でも五百円千円のことなら家の前で「門ずけ」をうけたり、飲み屋でのシャレなら気楽に出す人がいるのです。世間知らずの野入、白土御両人と異なり牧原さんは、この構図を十分承知しています。
つまり生活のために虚無僧をしている分けではなく、宗教とも違った精神的な動機であり、これは戦国後期から日本の精神文化の中核になったものです。
ここを上手く説明できると良いんですがねえ・・・。西洋人は日本のこの部分に興味を持つ人が多く、私も展示会でアメリカ人から禅の用語の説明を求められ、私の英語力ではどうにもならず、居合わせたオーストラリアの大学で教鞭をとっている松延先生に説明してもらいました。
日本の文化、最近はアニメとか言いますが、私の経験範囲では、外国人からは一般の世間話はともかくとして、文化的な事は伝統文化とか歴史とかについてしか質問されたことが有りません。「貴方は良く説明してくれる、日本人はみんな良く知らないと言う」とよく言われますが、私程度の知識であれば大体の人は知っていますが、そこは日本人、私のように「半端知識でも答えないよりは良い」と考えないだけです。
だからいつも言っています。「日本人のこういう処を理解しないと、日本の江戸になってからの文化って良く分からないんじゃないの」
どこの国の人達だって専門家でも無かったら自分の国の文化を深くなんて知りゃしませんが、外国のオカタにいる「アイ ノウ エブリシング」と言う日本人は、私を含めてマアいませんわね。
その同じ牧原さんが弟子の森田さんと戸別訪問(これが本来の托鉢ですかね)方式での托鉢をしたところ、「稼ぎ」は10倍近くになったそうです。
「年末助け合い」の募金に協力する為に虚無僧姿で、その時期だけ「場立ち」をする人達に聞くと、やはり「時給にすると五百円以上になる」そうです。
大由鬼山さんは、これは尺八吹奏家としての度胸をつくる為に、盛り場で飲み屋に「飛び込み」をしましたが、これだと「一晩1~2万」だそうです。
山戸朋盟さんは、10年以上前に東ヨーロッパで「場立ち」をやり、「毎日コンスタントに1500円くらい稼いだ」と言います。これは当時の東欧の物価ですと、何とか暮らせる水準です。
現在でも虚無僧で暮らしている人が僅かながら存在しています。勿論アルバイトでは無い「専業虚無僧」です。牧原さんの他、前にも書きましたが、野入虚彗、白土虚晧といった人達です。この二人は吹奏力から言って他の尺八曲では演奏家は務まりませんが、地無し尺八(虚鐸)で吹く本曲には定評が有ります。「退屈で聞けたもんじゃない」と言う人がいる一方で「心に響く」と評価する人がいますから、好みの振幅巾のかなり大きい吹奏ですな。
そのてん牧原さんとなると、「本気で演奏家を目指したら十分プロになれる」と昔から言われていた人ですから、いざとなると全分野の尺八曲が吹けますし、ほとんどの人が聴いて「上手いなあ」と感じます。その牧原さんが「場立ち」だと時給百円の世界になるのです。
日本人の一般傾向として、正体の知れない人物が立って尺八を吹いていたってマアそばに行きませんわな。でも五百円千円のことなら家の前で「門ずけ」をうけたり、飲み屋でのシャレなら気楽に出す人がいるのです。世間知らずの野入、白土御両人と異なり牧原さんは、この構図を十分承知しています。
つまり生活のために虚無僧をしている分けではなく、宗教とも違った精神的な動機であり、これは戦国後期から日本の精神文化の中核になったものです。
ここを上手く説明できると良いんですがねえ・・・。西洋人は日本のこの部分に興味を持つ人が多く、私も展示会でアメリカ人から禅の用語の説明を求められ、私の英語力ではどうにもならず、居合わせたオーストラリアの大学で教鞭をとっている松延先生に説明してもらいました。
日本の文化、最近はアニメとか言いますが、私の経験範囲では、外国人からは一般の世間話はともかくとして、文化的な事は伝統文化とか歴史とかについてしか質問されたことが有りません。「貴方は良く説明してくれる、日本人はみんな良く知らないと言う」とよく言われますが、私程度の知識であれば大体の人は知っていますが、そこは日本人、私のように「半端知識でも答えないよりは良い」と考えないだけです。
だからいつも言っています。「日本人のこういう処を理解しないと、日本の江戸になってからの文化って良く分からないんじゃないの」
どこの国の人達だって専門家でも無かったら自分の国の文化を深くなんて知りゃしませんが、外国のオカタにいる「アイ ノウ エブリシング」と言う日本人は、私を含めてマアいませんわね。
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