歴史の行方
- 2023/05/30
- 09:18
歴史に名を残した「大河ドラマの主役クラスの人物」は、最後までではなくとも、その生涯は稀有の幸運に恵まれています。信長の場合、「桶狭間」とか武田信玄の死とかが無かったらどうだったか?。別に何も。私達の知り得ない別の歴史展開が有っただけです。信長、家康は歴史オタクしか知らない名前だったと思いますし、秀吉にいたっては歴史学者でも「聞いた事も無い」と言う存在でしょう。だから「歴史にもしもは無い」と言われるのです。結果が歴史です。
私達は「歴史の結末」を知っていますが、その渦中の人達にとっては、「どうなるのか」は分かりません。「関ケ原」でどっちが勝つかなんて、三成や家康にも分かりませんし、まして去就に迷っていた大名達は、石田につくにしろ徳川に加担するにしろ、命と全財産がかかっていますから、後世から見たらアヤフヤな情報でも懸命に収集して、彼等なりに必死で判断したわけです。でも、土壇場では「その場の勢い」が大きいです。
「桶狭間」においても、新参の尾張の土豪達は家来と相談したに違いありません。「今川の勢力圏は駿遠三の3州に加えて尾張の東部、大雑把な所で80万石、全役動員兵力4万人。勝利が濃厚であれば、傘下の者達は褒賞期待でメイッパイ兵を集めて来る。武田、北条との同盟は健在だから北と東に備える兵は少なくて良い。だから3万程度は出てくるだろう。織田は確実に押さえているのは尾張半国20万石。それ以外は日和見する者が続出するだろうから、国内の反織田勢力に備える兵を除いたら、今川との決戦兵力は多く見積もっても5千人。こりゃあ駄目だ。俺達は強いヤツに従っているだけで、バカの信長と心中する義理はないもんな」。この程度の情勢分析が有ったからこそ、尾張の領主や土豪は「織田の負け」と判断して、実際に日和見が相次いだわけです。
でも、結果として勝てたのは、「それでも信長と一緒に戦う」という人達も少なからずいたからです。頼朝の伊豆での挙兵や高杉晋作の功山寺挙兵も同様です。ここが義理や友情、または恩とかの「人間の心」ですわ。
「バカぞろい」と蔑まれる旧日本軍のオエラガタにしても、その判断材料になった日米における戦力比の数字自体は、優秀な事務官達が上げただけに極めて正確なモノでした。「精神力を考慮しない数字なんてアテにならない」、なんてタワゴトは、少なくとも開戦前の軍首脳部での会議では相手にされない。だって、仮にも専門家だもの、無責任な民間好戦家や狂信的右翼とは違いますわ。「やれば負ける」。そのくらい分かりますよ。
それでもアメリカとの開戦に踏み切ったのは、「僥倖頼み」です。同盟国ドイツがヨーロッパを制圧するかも知れないし、日本が優勢な海軍力で対峙を続ければ、アメリカに厭戦気分が生まれるかも知れない。石油始め重要物資はインドネシア占領で賄える。「自分に都合良い話ばかり」とか言ったってねえ。
では、「対米戦争に踏み切らなかったら、どうなったか?」です。こちらの結末はほとんど確実。台湾以外の植民地の放棄ないしは権利の大幅縮小。日露戦争以来の獲得権益も軍国主義も清算段階に入ったでしょう。「大陸完全撤兵」は、それまで4年間の日中戦争での25万人と言われる戦死者の遺族が黙ってはいないでしょうから、社会不安も起きたでしょう。「それだって何ぼかマシだ」ですと、そりゃその通りですよ。結果から見たら全く異存は無いですわな。でも、国民の大多数は、まさかあれほぼヒドイ状況になるなんて、思ってもいないので、日露戦争の講和時の様に、おそらく政府の弱腰を非難する声の方が多かったと思いますよ。
結末を知らない以上、いくら状況が最悪だと言っても、それで行動の回避をしないのも人間です。だって「もしかして」は有るもん・・・。
一般の人にとっては、尺八の将来は、たとえどうなろうと気楽ですよね。尺八ばかりか邦楽にしろ、無くなったって我々が失業者になるだけで、「それで日本がどう」という問題では有りません。だって、現に今に残る「伝統文化」の、おそらく数十倍のモノが残っていないわけです。それで民族の活力や「民族精神の主柱」が失われたわけでもないですがな。
失われた「伝統文化」だって、形を変えて、現存する文化の中に今でも残っているわけですし、尺八ごときが消えたって、大多数の人にとっては気がつかないでしょう。新らたに別の伝統が紡がれるだけのことですわ。
でも、私は尺八屋で、尺八に恩も有れば愛着もひとしおです。だから必死で現状を分析して再生の為の活動をするんですわ。勝つ可能性がどうであれ、信長や高杉と一緒に行動した人達がいたからこそ、歴史は動いたのです。この徹底的に落ち込んだ尺八の再生活動ですが、戦争みたいに他人の不幸を招くわけではないし、僥倖期待も有れば、行動が新しく局面を開くことだって大いに有り得る。
人の一生には逆境や不運が付きまといます。それに耐えて成功した人の話は伝わっても、好転せず終わった人も少なからず存在したでしょう。ビジネス教育で講師が煽る決まり文句、「越えられない試練など無い。行動すれば必ず出口が見つかる」なんて単純なモノではないです。ただ、行動しなければ、たまたま巡り来た僥倖も見過ごすでしょうから、再浮上の可能性がグンと低くなり、諦めた人は、そこが終点です。
この尺八の危機的状況、前は、苦悩を打ち明けられた邦楽関係者達に「貴方はこうすれば、今からでも十分に勝ちにもって行けますよ」と言ってきました。参考にする成功例が有ったからです。コロナ禍が加わった今の深刻な段階だと、「もう自己判断で動くしかないですよ」と言うよりありません。繰り返します。諦めれば、そこが終点です。
之だって一つの歴史ですが、いずれにしろ10年経たずにハッキリします。戦死した人と違って、結末が見られるだけ良いでしょう・・・。
私達は「歴史の結末」を知っていますが、その渦中の人達にとっては、「どうなるのか」は分かりません。「関ケ原」でどっちが勝つかなんて、三成や家康にも分かりませんし、まして去就に迷っていた大名達は、石田につくにしろ徳川に加担するにしろ、命と全財産がかかっていますから、後世から見たらアヤフヤな情報でも懸命に収集して、彼等なりに必死で判断したわけです。でも、土壇場では「その場の勢い」が大きいです。
「桶狭間」においても、新参の尾張の土豪達は家来と相談したに違いありません。「今川の勢力圏は駿遠三の3州に加えて尾張の東部、大雑把な所で80万石、全役動員兵力4万人。勝利が濃厚であれば、傘下の者達は褒賞期待でメイッパイ兵を集めて来る。武田、北条との同盟は健在だから北と東に備える兵は少なくて良い。だから3万程度は出てくるだろう。織田は確実に押さえているのは尾張半国20万石。それ以外は日和見する者が続出するだろうから、国内の反織田勢力に備える兵を除いたら、今川との決戦兵力は多く見積もっても5千人。こりゃあ駄目だ。俺達は強いヤツに従っているだけで、バカの信長と心中する義理はないもんな」。この程度の情勢分析が有ったからこそ、尾張の領主や土豪は「織田の負け」と判断して、実際に日和見が相次いだわけです。
でも、結果として勝てたのは、「それでも信長と一緒に戦う」という人達も少なからずいたからです。頼朝の伊豆での挙兵や高杉晋作の功山寺挙兵も同様です。ここが義理や友情、または恩とかの「人間の心」ですわ。
「バカぞろい」と蔑まれる旧日本軍のオエラガタにしても、その判断材料になった日米における戦力比の数字自体は、優秀な事務官達が上げただけに極めて正確なモノでした。「精神力を考慮しない数字なんてアテにならない」、なんてタワゴトは、少なくとも開戦前の軍首脳部での会議では相手にされない。だって、仮にも専門家だもの、無責任な民間好戦家や狂信的右翼とは違いますわ。「やれば負ける」。そのくらい分かりますよ。
それでもアメリカとの開戦に踏み切ったのは、「僥倖頼み」です。同盟国ドイツがヨーロッパを制圧するかも知れないし、日本が優勢な海軍力で対峙を続ければ、アメリカに厭戦気分が生まれるかも知れない。石油始め重要物資はインドネシア占領で賄える。「自分に都合良い話ばかり」とか言ったってねえ。
では、「対米戦争に踏み切らなかったら、どうなったか?」です。こちらの結末はほとんど確実。台湾以外の植民地の放棄ないしは権利の大幅縮小。日露戦争以来の獲得権益も軍国主義も清算段階に入ったでしょう。「大陸完全撤兵」は、それまで4年間の日中戦争での25万人と言われる戦死者の遺族が黙ってはいないでしょうから、社会不安も起きたでしょう。「それだって何ぼかマシだ」ですと、そりゃその通りですよ。結果から見たら全く異存は無いですわな。でも、国民の大多数は、まさかあれほぼヒドイ状況になるなんて、思ってもいないので、日露戦争の講和時の様に、おそらく政府の弱腰を非難する声の方が多かったと思いますよ。
結末を知らない以上、いくら状況が最悪だと言っても、それで行動の回避をしないのも人間です。だって「もしかして」は有るもん・・・。
一般の人にとっては、尺八の将来は、たとえどうなろうと気楽ですよね。尺八ばかりか邦楽にしろ、無くなったって我々が失業者になるだけで、「それで日本がどう」という問題では有りません。だって、現に今に残る「伝統文化」の、おそらく数十倍のモノが残っていないわけです。それで民族の活力や「民族精神の主柱」が失われたわけでもないですがな。
失われた「伝統文化」だって、形を変えて、現存する文化の中に今でも残っているわけですし、尺八ごときが消えたって、大多数の人にとっては気がつかないでしょう。新らたに別の伝統が紡がれるだけのことですわ。
でも、私は尺八屋で、尺八に恩も有れば愛着もひとしおです。だから必死で現状を分析して再生の為の活動をするんですわ。勝つ可能性がどうであれ、信長や高杉と一緒に行動した人達がいたからこそ、歴史は動いたのです。この徹底的に落ち込んだ尺八の再生活動ですが、戦争みたいに他人の不幸を招くわけではないし、僥倖期待も有れば、行動が新しく局面を開くことだって大いに有り得る。
人の一生には逆境や不運が付きまといます。それに耐えて成功した人の話は伝わっても、好転せず終わった人も少なからず存在したでしょう。ビジネス教育で講師が煽る決まり文句、「越えられない試練など無い。行動すれば必ず出口が見つかる」なんて単純なモノではないです。ただ、行動しなければ、たまたま巡り来た僥倖も見過ごすでしょうから、再浮上の可能性がグンと低くなり、諦めた人は、そこが終点です。
この尺八の危機的状況、前は、苦悩を打ち明けられた邦楽関係者達に「貴方はこうすれば、今からでも十分に勝ちにもって行けますよ」と言ってきました。参考にする成功例が有ったからです。コロナ禍が加わった今の深刻な段階だと、「もう自己判断で動くしかないですよ」と言うよりありません。繰り返します。諦めれば、そこが終点です。
之だって一つの歴史ですが、いずれにしろ10年経たずにハッキリします。戦死した人と違って、結末が見られるだけ良いでしょう・・・。
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