昨日まで検査入院をしていました。3月以来病院通いを繰り返しています。7年前から人間ドックの度に、胃のポリープを指摘されていましたが、どうも悪性に転化したらしいのです。6月いっぱいは予定が有りますので、手術は7月です。4月から予定していたユーチューブ放送も、その後になります。
入院に先立って食生活を注意されましたが、私も73才です。ですから、「人生の楽しみである食生活を我慢したくありません。カルビやラフティ、白コロホルモンのような、本来の意味で体に優しいモノを控えて10年生きるより、思いっきり食べて楽しく5年で死んだ方が良いです。それに長生きの人って豊富に肉を食べているそうじゃないですか」と答えました。
担当の女医先生が多少の賛同を示しました。「たしかに無理して我慢すると老人性鬱病なんかで心の健康を損なうことが有りますね。書いて頂いた、この食生活リストなんかを見ますと野菜はキムチが多いですが、胃の為ですから刺激物は控えてください。野菜サラダなんかは食べないのですか?」。
「ええ、洋食はあまり食べません。でもステーキとかウナギの蒲焼きは大好きです」。「えっ、ウナギですよ、洋食ですか?」、「今のウナギって、ほどんどが養殖です」。このあたりから女医さんとも、いわゆる会話ペースになってきました。
そして結論、手術までは肉の脂身と刺激物はナルベク避ける。出来るだけで良いので酒も飲まない。
御医者さんも冗談が通じる人と、そうでない生真面目な人とが居ます。前に飼っている犬が泡を吹いて痙攣した時、初めてだったので慌てて病院に連れて行くと「テンカンです」と言われました。私が、「変ですね。草履を頭に載せたけど治りませんでしたよ」と言ったら10分間ほど蒙を正されました。また別の病院ですが、顔の長いダックス犬だったので「これってイヌと馬との混血ですか?」と訊いて、この時も5分以上も「犬と馬とは混血しない、何故ならば・・・」と遺伝学の説明を受けました。別にからかってはいないですよ、現に、私の遺伝の講義を只で受けられて得しました。そして、余程の事が無い限り相手も打ち解けてきます。
医者と患者との関係だけでなく、職業人は「職業上の立場、建前」が有ります。それが親しくなる度合いによって、少しずつ砕けてきます。今回の女医さんも、「お酒に関しては異論が有るのですよ。大橋さんの酒量、『酒と女は2ゴウまで』でしたか、その程度だと手術前でも構わないと言う先生が、この病院にもいらっしゃいます。でも私は止めた方が良いという意見です」と本当の事も言ってくれました。
で、どうするかって?。私は大橋鯛山だ、楽な道、楽しい方を選ぶにきまってましょうが。
尺八関係のプロは毎度お客様からの質問に晒されます。でも、尺八と一口に言いましても、それぞれに守備範囲が違うのです。技術的な事を学者さんに訊く人は今はいませんが、どうして30年前だと普通にいました。反対に「尺八曲の解説や歴史」なんかに関する質問は演奏家とか製管師にしても、まあ無駄でしょうな。少なくとも複数存在する異見解は聞けないと思います。ここは豊富な知識を持つ学者の出番です。1つエピソードを話しましょう。もう40年も前になりますが、青木鈴慕先生と本曲独奏のテープを聞いていました。「大橋君、この曲、何だか分かりますか?」と話を振られましたので、「はい、琴古流本曲の吟龍虚空です」と答えると、満足そうに黙って大きくうなずかれました。その途端、同席していた高名な某邦楽学者が、「立て板に水」で吟龍虚空の解説を始めました。学者と実演家の違いって、大雑把な所で、こういうモノです。でも、種明かしをしますと、その佐野鈴霏さんの演奏を、私は少し前にNHKのFⅯ放送で聞いていたのです。でなければ、ネエ・・・。
尺八に限らず、たいがいの事には異なる意見が有るモノです。人間の持ちえた知的根拠の中で、もっとも異論が少ないのは自然科学で、特に「根本定理」となったものは余程の反証が出ないと覆りません。まず有り得ない。
ですから本屋に並ぶ「相対性理論は間違っている」とか、いわゆる「超能力本」とかは、まともな大人は相手にしないのです。「エンターテイメントとして読む」と言う人がいますが、嘘だと思います。だって内容が御粗末すぎて笑えないもの。分って読んでる人って、題名に騙されてトンデモ本と知らずに買ったか、あらかじめバカにする目的でか、ですよ。
でも、それ以外の科学は「追求途上の説」でしかなく、まして尺八だと、物理的理論が必要な現在の製管においてすら、ハッキリ断定出来ないことが少なからず有ります。
今のプロは演奏家も製管師も、訊かれた事には、自分の思う所を述べ、同時に異なる意見も付け加える人が多くなりました。水準が上がったからです。40年前の職人芸の段階では、「真理」は個々人の経験と「聞いた範囲」の中にしか無く、言ってる事も人によってマチマチでしたし、「そんな事、本気で言ってるの?」と思う事も少なくなかったです。今は、聞いてる方が恥ずかしくなる様な見解はマズ聞けません。レベルは劇的に上がりました。
では、今より更に水準が上がるとどうなるか?。私は、極く一部の自然科学で断定できる範囲を除いて、もっと説明が複雑化すると思うのです。でも、普通の人が知りたい事って、そんな補足説明を付けた複雑な事ではなくて、素人なりに納得できる明快な答えです。
宗教家や経営講座の講師は「知らなことは無い」という職業的建前でモノを言わないと商売になりません。医者でも、ある程度は「決めつけ」を言った方が患者は信頼する様に思います。駄目だと断言すれば、いくら私でも手術前に酒は飲みませんよ。
尺八だってプロ製作の物に関しては、素人には品質の判定はマズ無理でしょう。まして外国人だと、結論が先です。そこで信頼を勝ち取るための説明も「四捨五入余り切り捨て」にならざるを得ません。
私は、自然科学上明らかに間違っている事には否定を強い口調で断言します。たとえば「竹が音に反映する」とか「吹いてると材質の変化で音が変わる」、「太い尺八は息がいる」とかです。でも、それ以外は、ここ2,3年あまり言わなくなりましたし、訊かれなければ異論の存在も説明しません。振り返ってみると、プロとは言っても尺八の場合、誰であれ一部分しか知らないのです。「本当の事が分かっていない世界ほど何でも知っている人が居る」って本当です。ですから、尺八は近々30年で、大分解明が進んだと言う事でしょう。
前述の理由で、しばらく、このブログは休止します。また元気になり再開できる日を御待ちいただければ幸いです。言って置きますが、邦星堂の営業は健在ですよ。
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