何故にアメリカ大リーグの選手達はあんなに稼げるんでしょう。俳優は分るんですよ、アメリカ映画は世界市場ですからね。でも野球は、テレビに映る球場の様子を見るかぎりでは、そんなに観客が入ってようには見えません。でも年俸数十億円なんて選手がゴロゴロしてますもんね。それに比べると日本の野球選手の年俸は安い。どうしてだろう?。こういう考察に「興味ない。金なんか重要ではない」と言う人が人間界には稀に存在します。そういう人は置いといて、「金は命の次、いや次の次か、間違っても5位以下ではない」と考える真面目な人には、是非とも一緒に考えていただきたい。
日本の野球選手の収入は、文字通り「国民スポーツ」で、最も人気や観客動員が有った5,60年前より物価比では今の方が多い。でも大リーグとの比較では全然少ない。何故なのか?。
力道山時代を除いてプロレスがピークだった1968年当時は、プロ野球最高年俸者の長嶋茂雄が3千万円(現在の2億円くらい)に対してジャイアント馬場は約半分でした。長嶋が引退する1974年の年俸は5千万円で、やはり馬場の倍です。いずれにしろ夢の様な稼ぎです。
よく「王、長嶋の年俸を聞いて全盛期の馬場はセセラ笑った」という話を聞きますが、もし言われている様な事が本当に有ったとしたら、昭和39年の一時期でしょう。1964年(昭和39年)に馬場に提示されたアメリカでの年俸は27万ドル(1ドル360円。貨幣価値、現在の10倍)という途方も無いものでしたから。
日米プロ野球の収入の違いは、主にテレビ収入が決定的な差だそうです。あとグッズ販売とかⅭⅯとか有りますが、テレビと共に日本のプロ野球「スポンサー経営」によるシステムの遅れが有ると言います。なまじ大きなスポンサーがいるから、逆に行動の自由が無いわけで、折角の収入源を自ずから見送っているわけです。
テレビは大きい収入媒体です。プロレスも全盛期1968年には2団体で年間2億円のテレビ収入(女子プロは除く)が有りましたし、1969年の夏に日本プロレスが2局放映(日テレとNET=テレ朝)になり、テレビ収入も2倍半になりました。それと別に国際プロレスを放映していたTBSも1億円払っていました。そして1980年代は2団体2局で12億円にまで膨れ上がりました.。今から考えると「夢の時代」ですね。
野球にいたっては1980年代の良い時には1回1億円(巨人戦)まで行きました。共に今とは雲泥の差です。大会社が経営する野球はともかく、バブル前のプロレスはテレビなしには成り立ちませんでした。
「テレビによって衰退した」と言われる映画も最盛期の1958年では6社で年間五百本以上を制作し、上映館は全国で7600館、11億3千万人もの観客を動員しました。俳優の山城新伍から聞いたことですが、「戦前の「トップスターの年収は、今の金で数十億円に達していた」との事です。もっとも我家の隣に住んでいる元芸能プロダクション社長に言わせると、「アイツ(山城)はイイカゲンな事ばかり言う」そうですが、でも京都に在る大河内伝次郎の大河内山荘を見ても、スターともなれば稼ぎは物凄いモノだったと理解出来ます。
1990年にバブルがはじけましたが、エンターテイメント業界は総じて90年代に「最も稼げた時」を迎えます。意外に思うでしょうが、バブル最盛期が映画をはじめとする、旧態を清算できなかったエンタメ業界にとっては「景気の底」なんです。
バブル後の繁栄は、新しい稼ぎ方を必死で考えた結果でして、改革、変貌が齎した現象です。新規参入の垣根を無くした映画業界なんて、宿命的に世界市場に出られないので、「仕組みの変革」しか方法が有りません。製作資金の捻出方法、切符の売り方だけでなく、映画館や上映の有り方自体も変えてしまいましたものね。
日本プロ野球みたいに「スポンサースポーツ」で、改革の余地の少ない業界ですら、「セパ交流戦」とか時短,、パフォーマンスの採用、入場料アップ等で、それなりに改革しまして、昔ほどの人気が無くっても参稼報酬は増えました。
同じく、大きな収入源であるテレビを失ったプロレスは、新しい興行形態で「黄金の90年代」と言われる好景気に見舞われましたし、中でもアメリカプロレスは「トップレスラーの収入は一流大リーガー並み」だった1950年代の繁栄を再現しました。日本には50年前の全盛期の10倍のプロレスラーがいます。テレビや「興行師組合」が無くなったから、逆に自由化が進んだわけです。だから言うでしょう、「ピンチはチャンス」ですって。
特に私が敬服するのは「アイドル商売」です。80年代後半はテレビの定期放送まで失いましたが、90年代後半から再浮上しました。「学芸会」と決別した事が大きいですが、販売戦略の革命に目をつけた秋元康って天才だと思います。
「優れた芸術は金を稼ぐ能力とは別だ」と思っている人だって、「金を稼げる所に優れた才能も集まる」って事は否定しないでしょう。その前に「落ちぶれた芸術が、1人の大天才の出現で忽ち盛り返した」なんて例が一つでも有るモノでしょうか?。有ると思う人は産業という段階に昇華した芸術を甘く見ている。1人の天才芸術家の出現なんかでは芸術産業は興隆しない。でも稼ぐ仕組みの変革においては1人の天才が劇的に状況を変える事が有ります。芸術産業は興隆に向かえば、参加する人が多くなり、天才など幾らでも出てきます。「1万人に1人の天才」は、百万人の業界には100人いるのです。
この50年を無為無策で過ごした邦楽界が今のテイタラクに陥ったのは当然で、当り前の結果が出たに過ぎません。ただ嬉しい事に、弟子を根本収入源とする「従来の稼ぎ方」に見切りをつけた若い才能が集まった尺八界だけは、どうも新しい在り方、稼ぐ道を見つけつつあるようです。「教授産業から実演産業への転換」なんて単純な事ではなく、なお収入の柱である「教授産業」そのものも在り方を変える必要が有ります。
「どうせ尺八だ。稼ぎなんて多可が知れている」って思うでしょう。製管業は別として、確かにプレイヤーでは最高に稼いだ全盛期の山本邦山でも、今の貨幣価値にして年に億は行ってませんよね。ところが尺八教授を、それまでの「寺子屋経営」から塾チェーンに変貌させた初代都山は、そのくらい楽勝で稼いでいたんです。
今後は急速にネット中心の尺八界に変貌しつつあります。それと海外展開です。もうハッキリ見えている。ただ日本では、捨て身で海外市場を開拓する気概、つまり他人の御膳立て無しに新市場を開拓する覇気に富んだ、山っ気の有る若者は少ないですね。でも外国人には大勢いるから心配無いか・・・。
(8月から少しずつ動き始めます。尺八界も再始動してますから。)
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