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都山流の売り物 !?
小学5年生ぐらいだったでしょうか、ローマ字を教わりました。昭和30年代初め頃のことです。で、学級のみんなで話し合って、いつも作っている学級新聞のローマ字版を作ろうということになったのです。日本語文章をローマ字で書くことが大変楽しかったので、一生懸命作りました。そして出来上がものを家に持ち帰った私、おばあさん(母方の祖母)に見せ、得意げに読んで聞かせました。
その時のおばあさんの不思議そうな顔、そして言ったことを今でも思い出します。
『お前のしゃべっているのはそれ日本語だよ、翻訳したのかい』
このことを思い出したのは近年似たような経験をしたからなんです。
3年前にひょんなきっかけで 尺八 を吹くことになりました。生来の楽器好きのなせるわざです。フルート・リコーダー・オカリナ・篠笛(津軽横笛)などを吹いてきた延長線上のことです。
で、カルチャーの講師(東京藝大・邦楽科・大学院卒)の進めるテキストを買い、それを頼りにお稽古をはじめました。で、そのテキストに表示されている楽譜を見たときのことなんです。テキストはある尺八流派の楽譜スタイルで書かれているようなんですが、その楽譜を見たとき私の脳裏にある場面が浮かび上がりました。それは、
私は「日本映画」を見ています。日本映画には字幕がついていてそれは「ローマ字」でした。私はローマ字の字幕を読んでいますが、映画の場面はどんどん進み、ストーリーに追いついていけません。
という場面でした。
その尺八譜は縦書きで、運指を表す記号(カタカナ記号)で書かれています。楽譜を渡されて『はい、吹いてみて』と言われてもすぐに演奏出来るようになるとはとうてい思えません。器楽演奏の世界では経験を積んだ者なら初見で演奏できるというのは普通のことです。がこの楽譜、学校で音楽教育(西洋音楽)を受けた者、楽器の演奏経験のある者にとってはなんだか分かりにくい形となっています。
よくよく見るとベースは西洋音楽で一般的に使われる五線譜やタブラチュア(弦楽器用奏法譜)のようなんですが、別の形で表現されているのです。つまり、従前から使われている運指の記号(カタカタ表記)をそのままに、五線譜の概念を持ち込んだ形になっています。
ただし、五線譜を極力意識させない配慮なのかテキストでの「説明」は五線譜で使われる言葉(単語)は出てくるのですが記号はほとんど出てきません(楽譜の中では出てくるのですが)。なので私は、日本語をローマ字で表現したようなもので、かえって分かり辛くしたものだと感じたのです。
ローマ字とは日本語を「かな漢字」でない別の文字で表現しようとしたものでしょう。この尺八譜は同じように五線譜で表現できてしまうものを別の形で表したものといってよいでしょう。ローマ字はアルファベットという世界的に認知された文字での表現ですので世界中の誰しもが音読出来ます。
が、尺八譜は江戸時代の一部のお寺の一部の人間(虚無僧といわれる人々)の中でしか通用しなかったものです。時代的には世の中の人々にとって五線譜はまったく馴染みがなかった、という歴史的な背景はあったとは思うのですがこの伝統的な形に影響されてしまっていて、その後改善もされなかったようです。
なので現代の器楽用楽譜としては分かりにくく不便なものでしかありません。それで私は、 『xx流尺八譜は日本映画に付けたローマ字字幕だ』 と言っているのです。
尺八関係者(プロの演奏家・製管師)はこの楽譜を
「判りやすい」、
「美しい」、
「便利」
「合理的表記法」
五線譜の範囲を全て包含して、なお上回る
と表現しますが、彼らはそれで育ってきたのですからその認識が間違っているとも言えないわけなんですけれど・・・。また、自分の寄って立つところを自ら否定する訳にもいかないんでしょう。お弟子さんたちが困っていても『努力すれば読めるようになります』と心底思っているし、そう言うしかないのでしょう。
その時のおばあさんの不思議そうな顔、そして言ったことを今でも思い出します。
『お前のしゃべっているのはそれ日本語だよ、翻訳したのかい』
このことを思い出したのは近年似たような経験をしたからなんです。
3年前にひょんなきっかけで 尺八 を吹くことになりました。生来の楽器好きのなせるわざです。フルート・リコーダー・オカリナ・篠笛(津軽横笛)などを吹いてきた延長線上のことです。
で、カルチャーの講師(東京藝大・邦楽科・大学院卒)の進めるテキストを買い、それを頼りにお稽古をはじめました。で、そのテキストに表示されている楽譜を見たときのことなんです。テキストはある尺八流派の楽譜スタイルで書かれているようなんですが、その楽譜を見たとき私の脳裏にある場面が浮かび上がりました。それは、
私は「日本映画」を見ています。日本映画には字幕がついていてそれは「ローマ字」でした。私はローマ字の字幕を読んでいますが、映画の場面はどんどん進み、ストーリーに追いついていけません。
という場面でした。
その尺八譜は縦書きで、運指を表す記号(カタカナ記号)で書かれています。楽譜を渡されて『はい、吹いてみて』と言われてもすぐに演奏出来るようになるとはとうてい思えません。器楽演奏の世界では経験を積んだ者なら初見で演奏できるというのは普通のことです。がこの楽譜、学校で音楽教育(西洋音楽)を受けた者、楽器の演奏経験のある者にとってはなんだか分かりにくい形となっています。
よくよく見るとベースは西洋音楽で一般的に使われる五線譜やタブラチュア(弦楽器用奏法譜)のようなんですが、別の形で表現されているのです。つまり、従前から使われている運指の記号(カタカタ表記)をそのままに、五線譜の概念を持ち込んだ形になっています。
ただし、五線譜を極力意識させない配慮なのかテキストでの「説明」は五線譜で使われる言葉(単語)は出てくるのですが記号はほとんど出てきません(楽譜の中では出てくるのですが)。なので私は、日本語をローマ字で表現したようなもので、かえって分かり辛くしたものだと感じたのです。
ローマ字とは日本語を「かな漢字」でない別の文字で表現しようとしたものでしょう。この尺八譜は同じように五線譜で表現できてしまうものを別の形で表したものといってよいでしょう。ローマ字はアルファベットという世界的に認知された文字での表現ですので世界中の誰しもが音読出来ます。
が、尺八譜は江戸時代の一部のお寺の一部の人間(虚無僧といわれる人々)の中でしか通用しなかったものです。時代的には世の中の人々にとって五線譜はまったく馴染みがなかった、という歴史的な背景はあったとは思うのですがこの伝統的な形に影響されてしまっていて、その後改善もされなかったようです。
なので現代の器楽用楽譜としては分かりにくく不便なものでしかありません。それで私は、 『xx流尺八譜は日本映画に付けたローマ字字幕だ』 と言っているのです。
尺八関係者(プロの演奏家・製管師)はこの楽譜を
「判りやすい」、
「美しい」、
「便利」
「合理的表記法」
五線譜の範囲を全て包含して、なお上回る
と表現しますが、彼らはそれで育ってきたのですからその認識が間違っているとも言えないわけなんですけれど・・・。また、自分の寄って立つところを自ら否定する訳にもいかないんでしょう。お弟子さんたちが困っていても『努力すれば読めるようになります』と心底思っているし、そう言うしかないのでしょう。
色々な真相を誰かが明らかにしないと、アンテナを張ってない初心者はよくわからない音や曲をありがたがってしまう、というか、そんなことが多い気がしますね。
都山流はまずは手始めに大師範という誰でもなれる謎の肩書を辞めればいい、というか、大師範を厳格な試験制にすればいいのかとしれません(ただ、そもそも楽会の試験やコンクールが厳格で公平なものかどうかはよくわかりませんが。)。
都山流はまずは手始めに大師範という誰でもなれる謎の肩書を辞めればいい、というか、大師範を厳格な試験制にすればいいのかとしれません(ただ、そもそも楽会の試験やコンクールが厳格で公平なものかどうかはよくわかりませんが。)。
Re: 都山流の売り物 !?
戦後ですが、「日本語は世界性が無いから、フランス語(英語)を国語にしろ」と言った学者や文化人達がいました。私って、「多くの人が読めないから」とか「普及してないから」とかで動いているんでは無いです。尺八と言うモノを周辺文化を含めて普及したいと思っているんです。尺八譜に5線譜を使用するのはソフト次第で「有り」です。ただ5線譜への全面移行などは、出来るかどうかは別にして、尺八吹きの全員(?)が反対します。賛成の人は、事はどうせ個人の自由なのですから、そう思う人がやれば良いだけです。
文化の普及ですから異文化との間に、戸惑いや軋轢は有って当然です。自然科学では無いので見解の相違は勿論有ります。ですから事実として違っている所だけ指摘します。
① 尺八譜は江戸時代に虚無僧寺で出来た物ではありません。
② アルファベットや5線譜が世界中で通用するなんて有り得ません。少なくとも欧米文化圏と並ぶ中国文化圏やイスラム文化圏での通用度は御粗末なものです。日本だって学校で5線譜や洋楽知識は習いましたよね。それで、結果としてどうですか?。
まして、これまで欧米文化に日本人ほど関心を持たなかった巨大文化圏の人達、とくにもはや日本に代わって尺八の中心となった中国では、何流の譜面でも「面白い」と言われた事は有りますが、「難しい、厄介だ」という感想は聞いた事が有りません。
文化の普及ですから異文化との間に、戸惑いや軋轢は有って当然です。自然科学では無いので見解の相違は勿論有ります。ですから事実として違っている所だけ指摘します。
① 尺八譜は江戸時代に虚無僧寺で出来た物ではありません。
② アルファベットや5線譜が世界中で通用するなんて有り得ません。少なくとも欧米文化圏と並ぶ中国文化圏やイスラム文化圏での通用度は御粗末なものです。日本だって学校で5線譜や洋楽知識は習いましたよね。それで、結果としてどうですか?。
まして、これまで欧米文化に日本人ほど関心を持たなかった巨大文化圏の人達、とくにもはや日本に代わって尺八の中心となった中国では、何流の譜面でも「面白い」と言われた事は有りますが、「難しい、厄介だ」という感想は聞いた事が有りません。
Re: タイトルなし
藤本様、尺八の流派は教授産業としてのセオリーを踏んでいただけです。私立大学の文科系は、私の時代には分っている学生達からは「月謝で大卒免状を買うもの」と思われていました。それは社会に出れば誰でも「本当」と分かった事です。
尺八の大師範免状も、前は一定の「権威」らしきものが有りました。大学の尺八クラブ卒業生の中にさえ、「誰々は大師範かスゲエなあ」と言った者がいます。30年くらい前からです、師範達が、大師範とか、それ以上の免状から必死で逃げ回るようになったのは。
もう時代に通用していない。ですから流や会派は滅びたのです。
尺八の大師範免状も、前は一定の「権威」らしきものが有りました。大学の尺八クラブ卒業生の中にさえ、「誰々は大師範かスゲエなあ」と言った者がいます。30年くらい前からです、師範達が、大師範とか、それ以上の免状から必死で逃げ回るようになったのは。
もう時代に通用していない。ですから流や会派は滅びたのです。
都山流の売り物 !?(2)
以前に書き込んだ時も誤解されましたので申し上げておきます。
私は、 『 尺八譜として五線譜を使おう 』 などと言ったことは一度もありません。
私は尺八を始めてからこの3年間で、ポップス・ジャズを中心に500曲を超える尺八譜を書きました。カラオケをバックに演奏しそのほとんどを you tube にアップしております。5線譜を使うのならば自分で譜面を書くなどの作業は必要ないですよね。すべて自分で工夫した譜面スタイルで書きました。楽譜分類的には タブラチュア~奏法譜~です(従来の尺八譜もタブラチュアに分類されます)。生の演奏、カラオケなどを聴きながら書きました。単純に5線譜を翻訳したわけではありません。
ただただ、後期高齢者の私を夢中にさせた 尺八 という楽器を 「楽しく」 演奏せんがためです。 尺八プロが演奏中に見せる「苦渋」に満ちた顔とは私は無縁です。なので深編笠をかぶる必要もないのです。
私は、 『 尺八譜として五線譜を使おう 』 などと言ったことは一度もありません。
私は尺八を始めてからこの3年間で、ポップス・ジャズを中心に500曲を超える尺八譜を書きました。カラオケをバックに演奏しそのほとんどを you tube にアップしております。5線譜を使うのならば自分で譜面を書くなどの作業は必要ないですよね。すべて自分で工夫した譜面スタイルで書きました。楽譜分類的には タブラチュア~奏法譜~です(従来の尺八譜もタブラチュアに分類されます)。生の演奏、カラオケなどを聴きながら書きました。単純に5線譜を翻訳したわけではありません。
ただただ、後期高齢者の私を夢中にさせた 尺八 という楽器を 「楽しく」 演奏せんがためです。 尺八プロが演奏中に見せる「苦渋」に満ちた顔とは私は無縁です。なので深編笠をかぶる必要もないのです。
Re: 都山流の売り物 !?(2)
私の見聞の範囲では都山譜に勝る尺八譜は有りません。でも万能ではないです。琴古流本曲を都山譜にして商業出版した初めての人間が私です。その作業を推進する過程で、尺八奏法の複雑で魅力あふれるバリエーションと衝突して悩みました。私および林雅寛という当時の最高コンビでも、「落しどころ」を探す妥協作業の連続でした。都山譜は完璧なモノではありません。琴古の本曲すら正確には復元できません。ただ他はもっと欠陥が多い。都山譜は尺八譜として、今の時点では最良のものです。
山屋さんは山屋さん、私は私。御自分の信じる通りにやれば良いんです。
山屋さんは山屋さん、私は私。御自分の信じる通りにやれば良いんです。
チの調律
ブログいつも楽しく読ませて貰っています。
昔は十割法などで筒音に対して完全五度より高めだった
チの調律の変更(3孔を小さくする、位置を管尻側に下げるなど)の
出所を追って調べています、ご存じありませんか?
一応周りに聞いた限りでは
約55年前の都山の一級製管師であるS山が挙がっています。
理由としては想像ですが昔の尺八吹きは音痴が多く、
大人数での合奏が中心である都山流内での需要、
そもそも玄人向けの難しい楽器より初心者でも扱いやすい楽器のほうがよく売れるといったところだと思うのですが是非ご意見を伺いたいです。
昔は十割法などで筒音に対して完全五度より高めだった
チの調律の変更(3孔を小さくする、位置を管尻側に下げるなど)の
出所を追って調べています、ご存じありませんか?
一応周りに聞いた限りでは
約55年前の都山の一級製管師であるS山が挙がっています。
理由としては想像ですが昔の尺八吹きは音痴が多く、
大人数での合奏が中心である都山流内での需要、
そもそも玄人向けの難しい楽器より初心者でも扱いやすい楽器のほうがよく売れるといったところだと思うのですが是非ご意見を伺いたいです。
Re: チの調律
私が尺八を始めた54年前には、すでに都山尺八では音が合い始めていました。でも琴古では相変わらずチが高くツが低い、そして裏穴が高い尺八を使っていました。そう、おっしゃる通り1番の原因は「音痴」が多かったからです。そして当時の尺八吹きは頑固でした。「音程がどうのこうのと言うな。これは日本の伝統音程だ」と本気で言い張っていました。だから私達若い者は、ただただ恥ずかしかった。
でも尺八吹きの全員が音痴だったわけではありません。琴古の「十割り配孔尺八」は江戸時代においても音程が問題にされていました。「音程の合っている尺八は琴古では1本も無い」とまで言った人がいるほどです。
都山流が逸早く「音痴尺八」と決別したのは、非ユニゾン合奏が都山流本曲(ハーモニーを作る)の中に有る事。早くから箏三絃との合奏が有った事。宮城曲や新邦楽をレパートリーに取り入れた(これはメリカり操作では追い付かない)、そういった点が大きいです。
三世古童、初代納富壽童、山口五郎などの琴古流の名手達の三曲合奏は「見事の一言」に尽きます。1孔が低いから逆に2段メリが決まる。3孔が高くても小さくする事で少しカバー出来る。あとは弱く吹く。それに戦前までチのカリで本当にハの半音(リの大メリ)を出していたんです。3孔が高いからこそ可能なのです。また裏穴が高いので弱く吹くのが当たり前で、ロの甲とヒ(イ)の同音程異音色の使い分けを際立たせられました。まさに欠点を長所に買えたのです。ただ、それにより圧倒的多数のコントロール不能者を出してしまいました。
私の若い頃は他の音楽畑の人からは「尺八は音痴」と言われていましたが、これはまだ多くの尺八吹きが「尺八と言うモノの愛好家であって、音楽をやっているという自覚が無かった為です。「中年過ぎの大人の趣味」です。
今から40年前には尺八市場を制していたのは圧倒的に都山製管師で、琴古型歌口の尺八も、その大半が都山流製管師が作っていました。昭和40年代50年代には民謡伴奏が尺八では古典系より多かった。民謡は歌とユニゾンですから、音程が狂っていたら、これは音痴だって分かりますよ。また、その頃からチューナーが普及してきて、「音痴尺八は問答無用」で消えていきました。昭和ギリギリまではプロ製管師で「十割り尺八」を製作していた人もいたように思いますが、もう40年前には1流にランクされる人の中にはいませんでした。
でも今はまた「十割りを良しとする先祖返り」の人も少し出てきました。もう「これは日本音程だ」とか言う愚かな人はいませんので、少数愛好者が存在しうる良い時代になったと思います。
でも尺八吹きの全員が音痴だったわけではありません。琴古の「十割り配孔尺八」は江戸時代においても音程が問題にされていました。「音程の合っている尺八は琴古では1本も無い」とまで言った人がいるほどです。
都山流が逸早く「音痴尺八」と決別したのは、非ユニゾン合奏が都山流本曲(ハーモニーを作る)の中に有る事。早くから箏三絃との合奏が有った事。宮城曲や新邦楽をレパートリーに取り入れた(これはメリカり操作では追い付かない)、そういった点が大きいです。
三世古童、初代納富壽童、山口五郎などの琴古流の名手達の三曲合奏は「見事の一言」に尽きます。1孔が低いから逆に2段メリが決まる。3孔が高くても小さくする事で少しカバー出来る。あとは弱く吹く。それに戦前までチのカリで本当にハの半音(リの大メリ)を出していたんです。3孔が高いからこそ可能なのです。また裏穴が高いので弱く吹くのが当たり前で、ロの甲とヒ(イ)の同音程異音色の使い分けを際立たせられました。まさに欠点を長所に買えたのです。ただ、それにより圧倒的多数のコントロール不能者を出してしまいました。
私の若い頃は他の音楽畑の人からは「尺八は音痴」と言われていましたが、これはまだ多くの尺八吹きが「尺八と言うモノの愛好家であって、音楽をやっているという自覚が無かった為です。「中年過ぎの大人の趣味」です。
今から40年前には尺八市場を制していたのは圧倒的に都山製管師で、琴古型歌口の尺八も、その大半が都山流製管師が作っていました。昭和40年代50年代には民謡伴奏が尺八では古典系より多かった。民謡は歌とユニゾンですから、音程が狂っていたら、これは音痴だって分かりますよ。また、その頃からチューナーが普及してきて、「音痴尺八は問答無用」で消えていきました。昭和ギリギリまではプロ製管師で「十割り尺八」を製作していた人もいたように思いますが、もう40年前には1流にランクされる人の中にはいませんでした。
でも今はまた「十割りを良しとする先祖返り」の人も少し出てきました。もう「これは日本音程だ」とか言う愚かな人はいませんので、少数愛好者が存在しうる良い時代になったと思います。
No title
尺八の歴史、都山譜の価値、とても勉強になります。深くうなづけます。
いつもありがとうございます。
いつもありがとうございます。
No title
尺八の歴史、都山譜の価値、とても勉強になります。深くうなづけます。
いつもありがとうございます。
いつもありがとうございます。
No title
そういえば大昔の北原精華堂の篁山調の尺八の特に「チ」音は大変違和感がありささました。吹き方が悪いのかと当時の北原篁山の演奏を聴くと、やはりチの音程は気持ち悪い。そのためになけなしのお金で安い真山を買いました。真山は安物(それでも私にとっては高価)でしたが、音程も良く響きも良かったです♪
Re: No title
北原精華の尺八は今は良くなりましたが、10年前までは上手いと思った事は有りません。でも、でもですよ。真山登場以前の尺八の中ではトップクラスだと思います。真山以前にプロ達からの評価が高かった藤原龍風も音程がイマイチでした。
No title
> 真山登場以前の尺八の中ではトップクラス
そうなんですね!
全く知らないことでした。また勉強になりました。
ありがとうございます♪
そうなんですね!
全く知らないことでした。また勉強になりました。
ありがとうございます♪
Re: No title
別に褒めてはいないですよ。真山以前の尺八って、平均水準で言ったら大学邦楽クラブの出身者ならチャンとやれば1年以内に到達できるレベルでした。ですから弟子をとっても下職仕事しか教えませんでしたよ。職人仕事でよく「何々〇年、そして何々〇年。それは秘伝」と言う様なものです。助手は必要だけど一人前になられて競争相手は作りたくないですもんね。