ジャンジャンと聞くと、今は誰でもが大阪の「ジャンジャン横丁」を思い浮かべますね。動物園前駅から入って新世界に抜ける小路で、古い大阪の雰囲気が残っているので観光客にも人気が有ります。すぐ横の釜ヶ崎となると昔は危なくて、私が学生の頃だと立ち寄れませんでしたわ。今は愛隣地区と言うらしいですな、すっかり綺麗になって、格安宿泊施設が豊富に有るので、今では外人観光客のメッカらしいです。
「ジャンジャン横丁」の方は、昔から何にも怖い事は無いけど、今も売春やクスリの販売を禁止する張り紙が有る様に「風紀が良い」とは言えない場所です。だって、こういう張り紙が有る事自体が「まともな場所」ではない証拠でしょうが。ですから今はプチ冒険ファンの女子大生なんかが、真っ昼間から何もやる事が無い失業者やドカタオヤジ達に混じってコップ酒を呷ったりしてますわ。私の学生時代には「有り得ない光景」でしたね。
まあ、これは話の枕。本題に入りますが、私達の世代に東京で過ごし、音楽が生活の一部だった者だと、ジャンジャンと言えば、2000年まで渋谷に在ったライブハウスを思い出すはずです。キャパ100人位の劇場ですが、その知名度は群を抜いていました。ここで名を挙げて全国区になった人は、高橋竹山や五輪真弓とかがおります。フォーク系を中心に、一流の歌手や俳優、時には山本邦山のライブ出演も有り、渋谷に行くとジャンジャンに立ち寄って、誰が出るのか予告をチェックするのが定番でした。ちなみに私はジャンジャンのブッキングで高橋竹山の出演をうけた事が有ります。その時のジャンジャンスタッフの対応の爽やかさは、それまで会った興行師って「汚いヤツ」ばかりだったので、今も清冽な記憶となっております。
邦楽にも同様のライブハウスが2005年まで存在しました。日暮里の駅前に在った和音です。尺八家の杉沼左千雄さん所有の8階建てのビルの最上階で、キャッパが最大で100人位だったと思います。飲食設備を備えていたので、客席スペースは、かなり融通が利きました。自己所有物件なので家賃がいらない。邦楽ジャーナルとの共同経営だったので宣伝費も不要。その上、駅から徒歩1分で場所も最高、飲食可で酒も出す。これ以上無い条件でしたが、6年しか続きませんでした。私もここで展示会や演奏会をやりましたが、丸借りのスペース使用料6万円は、場所と飲み物が付いての事を考えると高くはない。でも1年も経つと来客数は目に見えて落ち、出演者が「駐車場代も出ない」と嘆く有り様で、酷い時は「出演者3人に対して客2人」が有ったそうです。これが邦楽の人気の実態です。小屋に客が着かない。
杉沼さんの話だと「閉めた時点の決算では±ゼロ」だったそうですが、これは会場が自己所有だったからで、もし借り物件だったら6年間ですから家賃相場から考えて5千万円以上の赤字になっていたでしょう。ですから、こんな事業をマジでやる人なんかいない。もうガチだと邦楽は商業ペースに乗らないのです。結果として、邦楽には本当の意味での聴衆なんて(極く極く僅かしか)いないって事を実証してしまいましたものね。でも、この種の発表スペースが無くてファンが育ちますかいな。
パフォーマンスのキモは、来ている客の数じゃないんですよね。来てくれた客の熱気なんですわ。渋谷ジャンジャンはキャパ100人ですが、博多に今も有る伝説的なライブハウス、照和なんて40人ですよ。でも、そこから飛び立った人達、ざっと挙げたってチューリップ、海援隊、長渕剛、陣内孝則、甲斐バンドとか、暇な人は探してよ両手じゃ足りないから。来た客の熱気なんですわ。熱気を与えて返せるか、です。邦楽ってどう?、やってる人達、客を高揚して帰宅させてる自信有る?。
和音が無くなって18年、もう尺八の中心地が中国に移った今は.、御多分にもれず尺八の常打ち小屋も中国だけになりました。日本では継続営業はどう考えても無理ですもんね。.
今は日本での尺八の発表スペースは、ユーチューブという「バーチャル空間」に移りました。良い悪いを言っても仕方が無いのです。ライブハウスでは個々の尺八家の使用は有っても、邦楽を中心に置いたハウスを営業する人は日本ではいない。ならネット空間での「常打ち小屋」を作るしか無いでしょう。
これが私の、多分最後のチャレンジになります。退院後は、ここに力を傾注します。
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