昨日昼にはカレーライスを食べました。そして夜はトンカツです。まあ日本人の普通の食事ですよね。でも、これって大正期に広まった所謂「新日本料理」というもので、元々の日本の食卓には無かったモノです。牛肉食から始まり、今では日本に定着しており、もう日本の食事を語る上で欠かせない存在になっております。あとスキ焼、コロッケ、オムライス、フライ、ポークソテーなんかですが、言うまでも無く西洋料理の和風変化形です。明治維新後半世紀で、ほぼ日本の食事に溶け込み、大正期には「新日本料理」というジャンルを形成しました。衣食住と言いますが、中で食は西洋文化の導入が一番早かったですね。
音楽の西洋化は食よりも早かったかも知れません。私の少年期には、もう古典邦楽を聞く人はいませんでしたが、それでも当時の歌謡曲には江戸時代から続く音楽の伝統が多大に残っていました。それがほぼ姿を消したのは平成になってからです。
邦楽にも「新日本音楽」という、洋楽の影響を多大に受けたジャンルが有ります。古典邦楽と現代邦楽の間に、こういう邦楽が有ったのです。狭く規定すると「宮城道雄を中心した新しい邦楽活動」となりますが、宮城道雄が昭和31年に事故死した後も、このての「洋風邦楽」は盛んに作曲されて昭和45年頃までは邦楽の主流でした。それらは「新邦楽」と呼ばれましたが、私達法政大学三曲会では習慣で、それらを一括して「新曲」と呼んできました。当時の譜面出版社の区分け法です。厳密区分は学者さんにとっては大切な事であっても、私達は、もう少しイイカゲンで、だから「大雑把な区分」を最上としています。「新曲」は「春の海」以外には一般人に知られていませんし、今では全てが「社中内音楽」です。
次の現代邦楽は大きな流れになる事は無く、昭和50年頃には行き詰まってしまいました。当時のプロでも平気で口に出していましたが、「聴いても演奏しててもツマラナイ」からです。これは「新日本音楽運動」みたいな盛り上がりすら無く、敢えて言うなら「NHKが起こした新しい日本音楽を創ろうとした運動」でしょうかね。ですから1974年にNHKが手を引くと勢を失いました。でも一部の曲は残り、今の「和楽器を使う音楽」を成立させる前提になっていますし、沢井忠夫作曲の箏曲の様に広く演奏されているものも有ります。いずれの時代も尺八は上手に対応出来た所は勢力を伸ばしましたし、それが出来ない派閥は衰退しました。
新しい文化が生まれる時は、普通は大きな抵抗が有るものです。宮城道雄が、今では誰でも名曲と言う「水の変態」を発表した時は、邦楽界からは「あんな曲はピアノでやれば良い」と酷評された事は知られていますが、尺八界でも古典曲に固執して頑固に宮城曲すらやらない社中が有りました。それは個人の嗜好では「有り」ですが、団体としたら長期の維持は無理ですね。だから滅んだ(も同然)のです。
面倒な話は抜きにして、新日本料理や新日本音楽は何の抵抗も無く今では普通に享受しているでしょ。それらが無い状態は、もう考えられません。もし無いなら現状は酷く貧弱でしょうし、何より次の時代から見た「伝統」を生み出せませんな。
「俺は新しい曲が好きでは無いから吹かない」というのは良いんですよ、でも「○○なんてやると美しい伝統が駄目になる」って言う人は、社中維持の為の主張を真に受けていて、自分の頭でモノを考えていない人が99パーセントです。
曲の進化は必然的に楽器にも変革を要求します。新日本音楽の過程で十七弦が生まれたのは当然で、魅力有る合奏曲を生み出すには、低音楽器が必要です。さらに時代が進んで複雑化した今の「邦楽器を使った音楽」は低音パートが明らかな弱点で、十七弦では対応出来なくなったからコントラバスにも頼るのです。箏のこれ以上の大型化は身体的に無理ですね。5線譜を楽に弾ける二十弦や箏以上の高音と十七弦を包含する低音を持つ三十弦などは、全く意味合いが違います。今求められているのは強烈な低音を出す箏です。出来ますか?。
尺八だと2尺5寸管(G管)を越えるとコントロールが困難になるので、実験的に「渦巻状尺八」も制作されましたが、一般的にならない事から見て、もっとブッ飛んだアイデアを出さなければなりません。例えば「ロの大メリ」の為に首が2つ有る尺八。ユーチューブでも古いレコードでも良いから、、たとえば「秋の調べ」」なんか聴いてみたら。宮田耕八朗や三橋貴風を例外として、名だたる尺八家が軒並み筒音の1音下まで落せていません。吉田晴風は音を出していないのか聞こえない。勿論今のプロ達はクリアしますよ、でも一般の尺八吹きにとってハードルの高さは変わりません。一音低い音が出せる意味って大きいですわ。「イヤだよ。首が2つの尺八なんてカッコ悪い」って、まあまあ、これは「モノの例え」。実際には押さえるだけの親指か中指での操作で管尻がセリ出す機能を付けるのが現実的でしょうね。でも「2つの首」を面白いからと選ぶ人もいまっせ。
いずれにしろ、ここはもう3Ⅾ尺八の出番でしょう。それとも1回毎に数十万円かけて竹製尺八で実験しますか?。
「新しい曲なんて必要ない」と言う人が尺八界にはいますが、そりゃどう思おうと自由だわ。「バロックしか聞かない」、あるいは「ビートルズだけで十分」と言う音楽ファンだっているんですからね。1つ違っているのは、そう言う洋楽ファンは、本当にバロックやビートルズが好きなの。尺八吹きみたいな「観念的な思考中断」ではないんですわ。まあ何でも良い 。何時の時代も新しく生み出す側は勝手にやるから。
それにしても、尺八の都山流本曲を含めた新曲運動は、新しく大社中を10以上も生み出すまでに高まったのに、現代邦楽の後は今に至るまで、話題にもならないのは当然としても、批評の声すら挙がらない。何故?。私は「魅力有る音楽は多いのに和楽器が対応できていない事」も重要だと思います。優れた才能を持つ作曲家も和楽器の現状の機能では、すぐに創作の範囲が見えて採用を躊躇うでしょう。
私は「和楽器には魅力が無い」なんて思った事は1度も無い。でも、これまでの竹製手作り尺八では限界が有り、他の手段でカバーしなければならない事も事実でしょう。ですから私は、価格が安く、割れの心配が無いから世界中に持っていける、竹の無い国でも作れる、何よりも素早く自在に変化していける、こういった長所を持つ3Ⅾ尺八で、「尺八と言う楽器自体の魅力を問う」べく、何度目かのチャレンジをしているのです。
尺八は、「新日本料理」の中の1種類くらいには、日本に定着した普通の文化になり得る、そう思って気が付いたら43年経っていました。3Ⅾ尺八は多くのプロ達が使用している事でも明らかなように、一応の成功を収めました。でも、、まだまだ行きます。
(追記)
宮田先生からお電話が有りました。「種明かしをします。あの部分だけ2尺管です。ロの大メリは単音では出せますが、流れの中では無理ですよ。でも録音だと、ああやって、そこだけ後で繋げるので便利ですね」。というものでした。ですからヤッパリ管尻が出っ張ると便利でしょう。
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