チューナー
- 2015/02/19
- 23:14
音程を測るチューナー(チューニングメーター)は1975年頃に普通の人にも買える価格になりました。でもまだ三万円を超えていました。大学出のサラリーマンの初任給が八万円くらいの時ですから、まだ高いですが、その5年前には、その3倍しました。1970年頃の初任給は三万五千円くらい、チューナーは十五万以上しました。私の世代の者には1973年のオイルショック後の物価や給与のバカ上がりは強い記憶となっていますが、安くなった物も有るんですわ。
私の大学の頃、1971年か72年、箏曲家の藤田都志先生の所で、市販の音叉を改造した物を見せてもらいました。「宮田音叉」と呼ばれていた音叉で、尺八家の宮田耕八朗さん(御本人が先生と呼ばれることを嫌うのです)の作った改作音叉です。
かなりの人数の邦楽家が使用していたようです。
1985年くらいになっても、一般の尺八吹きには、まだチューナーは珍しがられました。1988年になるとコンパクトで高性能のチューナーが一万円を切って販売されるようになり、その半年前くらいから、メーカーは旧タイプのチューナーの在庫一掃のため、スゴイ値引き卸価格で投げ売りし、私も大量に仕入れて売りまくりました。儲かりましたなあ・・・
今では二千円で手に入るチューナーですが、かつては、かように貴重な品だったのです。
昔の尺八界ならではの笑い話を幾つか
尺八の客。 「君のところの尺八は音が合っていない、皆の持っている尺八と手孔の位置が違うじゃないか」 皆の尺八が「配孔均等割り」の音痴尺八なのですよ、「手持ちの尺八でチを吹いてみてください」。そこで、案の定すごく高いチを吹く。「ほら高いじゃないですか」。
しばらく考えて 「そんなこと無いよ」 ギョエー、 この先生、耳か性根か、どちらかが腐ってる。
合奏していて音が合わない。 「君が高いんだ」 「いや貴方が低いんです」 水掛け論が続きます。
自分で改作した七孔の方。 信じられないかも知れませんが、本当にロとツ、チとハ(り)の間が一音だと思っていたのです。
これらは全てチューナーの普及が解決してくれました。
ただ次の事を知らないと新たな笑い話のネタを提供します。
A=442 まあ良いとして、気温20度での場合です。大ザッパに言って、気温が1度上下すると、1ヘルツ上下します。
初心者が、いきなりA=442で吹けるわけが有りません。息圧が弱いうちは低くて当たり前。初心者のうちにチューナーを見て吹いた為、極端なカリ吹きになっている人がいます。
A=442は基準の一つであって、440から445の間で選択することになっています。日本では明治の初めに定められたA=437が長い間の基準でした。私の学生の頃の音叉は440ですね、だから「宮田音叉」が必要だったのですかね。
私の大学の頃、1971年か72年、箏曲家の藤田都志先生の所で、市販の音叉を改造した物を見せてもらいました。「宮田音叉」と呼ばれていた音叉で、尺八家の宮田耕八朗さん(御本人が先生と呼ばれることを嫌うのです)の作った改作音叉です。
かなりの人数の邦楽家が使用していたようです。
1985年くらいになっても、一般の尺八吹きには、まだチューナーは珍しがられました。1988年になるとコンパクトで高性能のチューナーが一万円を切って販売されるようになり、その半年前くらいから、メーカーは旧タイプのチューナーの在庫一掃のため、スゴイ値引き卸価格で投げ売りし、私も大量に仕入れて売りまくりました。儲かりましたなあ・・・
今では二千円で手に入るチューナーですが、かつては、かように貴重な品だったのです。
昔の尺八界ならではの笑い話を幾つか
尺八の客。 「君のところの尺八は音が合っていない、皆の持っている尺八と手孔の位置が違うじゃないか」 皆の尺八が「配孔均等割り」の音痴尺八なのですよ、「手持ちの尺八でチを吹いてみてください」。そこで、案の定すごく高いチを吹く。「ほら高いじゃないですか」。
しばらく考えて 「そんなこと無いよ」 ギョエー、 この先生、耳か性根か、どちらかが腐ってる。
合奏していて音が合わない。 「君が高いんだ」 「いや貴方が低いんです」 水掛け論が続きます。
自分で改作した七孔の方。 信じられないかも知れませんが、本当にロとツ、チとハ(り)の間が一音だと思っていたのです。
これらは全てチューナーの普及が解決してくれました。
ただ次の事を知らないと新たな笑い話のネタを提供します。
A=442 まあ良いとして、気温20度での場合です。大ザッパに言って、気温が1度上下すると、1ヘルツ上下します。
初心者が、いきなりA=442で吹けるわけが有りません。息圧が弱いうちは低くて当たり前。初心者のうちにチューナーを見て吹いた為、極端なカリ吹きになっている人がいます。
A=442は基準の一つであって、440から445の間で選択することになっています。日本では明治の初めに定められたA=437が長い間の基準でした。私の学生の頃の音叉は440ですね、だから「宮田音叉」が必要だったのですかね。
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