ハンバーガー
- 2015/02/20
- 21:37
私の世代の者でポパイを知らない者はいません。今の若い人は知らない人も多いでしょう。ホーレン草を食べると突如としてスーパーマンになる怪力男ですわ。
そのポパイにオリーブやブルートといった登場人物とともに、いつもハンバーガーを食べているオジサンが出てきます。ところで昭和30年代の日本では、まだハンバーガーは大都会の一部の人以外は知らない食べ物でした。私も見当はついても、見たことも食べたこともありませんでした。私って東京の中流家庭に育ったんですよ。
日本で初めてマクドナルドが店を出したのは昭和46年のことです。藤田田(ふじたでん)さん、この人は倹約して百万円貯めて事業をスタートさせ、亡くなった時には遺産五百億にまでした怪物経営者です、その藤田さんが部下達に諮ったところ、全員がマックの出店に反対したそうです。
「こんなマズイ物が売れるわけがない」 「礼儀正しい日本人が立ち食いなんかするわけない」 反対の理由は概ねこういうものだったようです。
私の世代にハンバーガーを大好きという者はあまりいませんが、嫌いというのでもなく、マア有れば食べるという程度の人が多いですね。しかし私の息子達は美味いと思っているようです。
嗜好は変わるのです。それもかなり急激に・・・
私の知る限り、30年前の中国人は寿司や刺身を「気持ち悪い」と言って食べませんでした。同じころまで、アメリカから来たプロレスラーも、寿司は好きでも、タコやイカは「デビルフィシュ」と呼んで気味悪がって食べませんでした。
中国で言えば、千年前までは刺身つまり生魚料理はポピュラーな御馳走で、古典文学の食事のシーンには頻繁に登場します。詩でも狄仁傑や梅堯臣を思い出す方も多いでしょう。それが、その後になると全く食べなくなり、今はまた日本食ブームで流行しています。
このかつてない中国における日本ブームの流れは時間の問題で日本の伝統文化にも及んできます。中国を「中華思想の国」とレッテル貼りする人がいますが、そういう面も有るというだけで、古くから外国文化を抵抗なく受け入れてきましたし、外国との対等関係に基ずく条約の締結も千年前からは普通に行われています。
「中国人が尺八を吹くわけない」と言う人は多いですが、嗜好も志向も思考も変わるのですよ。一昨年の秋、上海で展示会を行ったおり神崎さんが「あと十年あれば中国の尺八人口を一万人に出来る」と言っていました。「その為には安価で良質な尺八を多量に提供できる私と組む以外ないでしょう」と私。そしてガッチリ握手しましたが、神崎さんは志半ばで旅立ってしまいました。
でも、まだオレがいる・・・
そのポパイにオリーブやブルートといった登場人物とともに、いつもハンバーガーを食べているオジサンが出てきます。ところで昭和30年代の日本では、まだハンバーガーは大都会の一部の人以外は知らない食べ物でした。私も見当はついても、見たことも食べたこともありませんでした。私って東京の中流家庭に育ったんですよ。
日本で初めてマクドナルドが店を出したのは昭和46年のことです。藤田田(ふじたでん)さん、この人は倹約して百万円貯めて事業をスタートさせ、亡くなった時には遺産五百億にまでした怪物経営者です、その藤田さんが部下達に諮ったところ、全員がマックの出店に反対したそうです。
「こんなマズイ物が売れるわけがない」 「礼儀正しい日本人が立ち食いなんかするわけない」 反対の理由は概ねこういうものだったようです。
私の世代にハンバーガーを大好きという者はあまりいませんが、嫌いというのでもなく、マア有れば食べるという程度の人が多いですね。しかし私の息子達は美味いと思っているようです。
嗜好は変わるのです。それもかなり急激に・・・
私の知る限り、30年前の中国人は寿司や刺身を「気持ち悪い」と言って食べませんでした。同じころまで、アメリカから来たプロレスラーも、寿司は好きでも、タコやイカは「デビルフィシュ」と呼んで気味悪がって食べませんでした。
中国で言えば、千年前までは刺身つまり生魚料理はポピュラーな御馳走で、古典文学の食事のシーンには頻繁に登場します。詩でも狄仁傑や梅堯臣を思い出す方も多いでしょう。それが、その後になると全く食べなくなり、今はまた日本食ブームで流行しています。
このかつてない中国における日本ブームの流れは時間の問題で日本の伝統文化にも及んできます。中国を「中華思想の国」とレッテル貼りする人がいますが、そういう面も有るというだけで、古くから外国文化を抵抗なく受け入れてきましたし、外国との対等関係に基ずく条約の締結も千年前からは普通に行われています。
「中国人が尺八を吹くわけない」と言う人は多いですが、嗜好も志向も思考も変わるのですよ。一昨年の秋、上海で展示会を行ったおり神崎さんが「あと十年あれば中国の尺八人口を一万人に出来る」と言っていました。「その為には安価で良質な尺八を多量に提供できる私と組む以外ないでしょう」と私。そしてガッチリ握手しましたが、神崎さんは志半ばで旅立ってしまいました。
でも、まだオレがいる・・・
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