素人製管
- 2015/02/21
- 10:32
ピアノ、バイオリンさらに言えば箏、三味線に素人の作ったものは有りませんよね。でも尺八には有るんです。
プロ製管師は数え方にもよりますが、大体のところで40人弱です。会社員や自営など他に職業を持っている人は分かりやすいですが、定年退職した後の退職金頼り、あるいは年金で生活している人のコズカイ稼ぎ、こういった人達が「他に仕事なんかしてねえよ」と言うと、プロかアマか、はてさてド素人なのか判定に迷います。
だけど何となく分かると言うか、判別できると言うか、すくなくともプロ同士の会話に素人製管師の名前は出てきません。
素人の特徴は「自分に根拠のない自信を持っている」という事に尽きます。プロのように『実績による裏ずけ」というのが有りません。
陶芸、絵画、小説などもプロとアマの区別がつけにくい世界ですが、それでも一応「プロの人名、ランクの一覧表」と言うべき物は存在しているそうです。でも尺八には有りません。
私の高校時代の同級生で有名出版社に勤めていた者が、若い頃に嘆いていましたわ、「素人の書いた小説を何時間もかかって読まされるんだぜ、上司の所にツテを使って読んでくれと持ち込むヤツがいるのさ、上司も上司だよ、自分で読めば良いじゃんか、ガラクタのセンズリ小説を読まされるコッチの身にもなれってんだ」
「懸賞に応募しろと言ってやったら」これは私。「そういうのって、あの審査員はどうだ、あれは出版社の傾向がどうだと、理屈ばかりコネやがるんだ」と友人。たしかに私の若い頃にも小説家志望のオカタ達で、「文壇の寵児」よりテメエの方がよっぽど優れた小説を書くと言っていたモンは珍しくなかったですね。
それが本当である場合も有りえますが、どんなに多くとも1パーセント以下でしょう。
素人製管師ではどうか?と言われますと、何百人といると思いますが、その中の数人は立派な尺八を作ります。ただプロランクを上中下と分けて、その上に匹敵する人はいません。。すくなくとも私は知りません。
今は昔の様な「壮絶なまでに下手」という人は少なくなりました。理由を挙げると以下の様なことです。
尺八の鳴りの原理が知られてきた、吹くのが上手になった、チューナーが普及した、情報の広がりでドべタは相手にされなくなった、目白工具のおかげで素人にも道具が手に入る様になった、こんな所ですかね、今は、もの凄く下手な人が自分で作った尺八を法螺を吹いて自分の弟子に売ると言う、民謡や琴古によく見られたことは少なくなりました。昔から都山では、この種の事が無いのは世界が広いからです。買う側の判断力も琴古と比べたら雲泥の差ですもの。琴古流の一員でもある私が言うのは憚られますがね、琴古のブロック体質が見る目の無い人をたくさん生み出してしまいました。
「プロとして素人の参入は嫌ですか?」とよく聞かれますが、別にイヤではありません。ただ、これまで素人の開発した技術やアイデアで参考になったものは有りません。何十年も大勢の製管師が見落としていて、それを素人が発見するなんてことは考えずらいです。たいていの事は試し済みですよ。
プロ製管師は数え方にもよりますが、大体のところで40人弱です。会社員や自営など他に職業を持っている人は分かりやすいですが、定年退職した後の退職金頼り、あるいは年金で生活している人のコズカイ稼ぎ、こういった人達が「他に仕事なんかしてねえよ」と言うと、プロかアマか、はてさてド素人なのか判定に迷います。
だけど何となく分かると言うか、判別できると言うか、すくなくともプロ同士の会話に素人製管師の名前は出てきません。
素人の特徴は「自分に根拠のない自信を持っている」という事に尽きます。プロのように『実績による裏ずけ」というのが有りません。
陶芸、絵画、小説などもプロとアマの区別がつけにくい世界ですが、それでも一応「プロの人名、ランクの一覧表」と言うべき物は存在しているそうです。でも尺八には有りません。
私の高校時代の同級生で有名出版社に勤めていた者が、若い頃に嘆いていましたわ、「素人の書いた小説を何時間もかかって読まされるんだぜ、上司の所にツテを使って読んでくれと持ち込むヤツがいるのさ、上司も上司だよ、自分で読めば良いじゃんか、ガラクタのセンズリ小説を読まされるコッチの身にもなれってんだ」
「懸賞に応募しろと言ってやったら」これは私。「そういうのって、あの審査員はどうだ、あれは出版社の傾向がどうだと、理屈ばかりコネやがるんだ」と友人。たしかに私の若い頃にも小説家志望のオカタ達で、「文壇の寵児」よりテメエの方がよっぽど優れた小説を書くと言っていたモンは珍しくなかったですね。
それが本当である場合も有りえますが、どんなに多くとも1パーセント以下でしょう。
素人製管師ではどうか?と言われますと、何百人といると思いますが、その中の数人は立派な尺八を作ります。ただプロランクを上中下と分けて、その上に匹敵する人はいません。。すくなくとも私は知りません。
今は昔の様な「壮絶なまでに下手」という人は少なくなりました。理由を挙げると以下の様なことです。
尺八の鳴りの原理が知られてきた、吹くのが上手になった、チューナーが普及した、情報の広がりでドべタは相手にされなくなった、目白工具のおかげで素人にも道具が手に入る様になった、こんな所ですかね、今は、もの凄く下手な人が自分で作った尺八を法螺を吹いて自分の弟子に売ると言う、民謡や琴古によく見られたことは少なくなりました。昔から都山では、この種の事が無いのは世界が広いからです。買う側の判断力も琴古と比べたら雲泥の差ですもの。琴古流の一員でもある私が言うのは憚られますがね、琴古のブロック体質が見る目の無い人をたくさん生み出してしまいました。
「プロとして素人の参入は嫌ですか?」とよく聞かれますが、別にイヤではありません。ただ、これまで素人の開発した技術やアイデアで参考になったものは有りません。何十年も大勢の製管師が見落としていて、それを素人が発見するなんてことは考えずらいです。たいていの事は試し済みですよ。
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