18世紀の大変化
- 2015/02/22
- 22:12
丁度18世紀に入るか入らないかと言う頃、日本音楽に大変化がおきた事は広く知られています。一口に言うと、それまでの律音階(陽旋律)が1700年をはさむ、わずか30年くらいの間に都節音階(陰旋律)にすっかり変わってしまったのです。
都節音階は、レ~チㇵローロッロッレレッロ ご存知「船頭小唄」。その前の律音階はッとㇵを半音上げて中メリにして吹けば、どういうモノか分かります。この都節音階は三味線の流行がもたらしたと言われます。
鎖国を国法とした江戸時代も「島原の乱」が終わって半世紀以上たった、この時代にはキリスト教関係の書物以外は割と自由に入ってきていました。江戸期の人が外来文化に抵抗が無かったとは言え、この南から入ってきた音階が日本全土を覆い尽くすのに30年かからなかったというのは驚異的なことです。
この都節音階の流行によって、それまでの一節切尺八は旋律対応力を失い衰退していきました。尺八はこの頃から根竹を使用し始めますが、手孔を大きくしたり、歌口の切込みを深くしていったりでメリや手孔半開の技術を開発して、新しい旋律に対応していきました。製管師には先刻承知のことですが、そういう改造がスムーズに行ったのは管が長いからで、1尺1寸の極短管では効果を確認できる前に音が飛びます。笛のように上を塞いて横から吹くか、多孔にするかしないと演奏が難しくなります。手孔を拡大した一節切は存在しますし、長い一節切も有ったと言われていますが、それが新時代に対応する為の物かどうかは私には分かりません。
幕末の攘夷家の多くは、鎖国が肇国以来の国法であると思っていて、たかだか二百年の歴史しか無い事を知らなかったと言います。
今、尺八に「本道、本質」を主張する人の大半は、古典曲が18世紀以前以後では、驚くべき変容をとげた物であることを知りません。「尺八とはこうでなくてはイカン」と主張することが悪いとは思いません。所詮は趣味ですから自分の好きなようにやれば良いんですよ。でも歴史を知ると「本道」を求めないことにも、十分な必然が有ることが分かりますよね。
都節音階は、レ~チㇵローロッロッレレッロ ご存知「船頭小唄」。その前の律音階はッとㇵを半音上げて中メリにして吹けば、どういうモノか分かります。この都節音階は三味線の流行がもたらしたと言われます。
鎖国を国法とした江戸時代も「島原の乱」が終わって半世紀以上たった、この時代にはキリスト教関係の書物以外は割と自由に入ってきていました。江戸期の人が外来文化に抵抗が無かったとは言え、この南から入ってきた音階が日本全土を覆い尽くすのに30年かからなかったというのは驚異的なことです。
この都節音階の流行によって、それまでの一節切尺八は旋律対応力を失い衰退していきました。尺八はこの頃から根竹を使用し始めますが、手孔を大きくしたり、歌口の切込みを深くしていったりでメリや手孔半開の技術を開発して、新しい旋律に対応していきました。製管師には先刻承知のことですが、そういう改造がスムーズに行ったのは管が長いからで、1尺1寸の極短管では効果を確認できる前に音が飛びます。笛のように上を塞いて横から吹くか、多孔にするかしないと演奏が難しくなります。手孔を拡大した一節切は存在しますし、長い一節切も有ったと言われていますが、それが新時代に対応する為の物かどうかは私には分かりません。
幕末の攘夷家の多くは、鎖国が肇国以来の国法であると思っていて、たかだか二百年の歴史しか無い事を知らなかったと言います。
今、尺八に「本道、本質」を主張する人の大半は、古典曲が18世紀以前以後では、驚くべき変容をとげた物であることを知りません。「尺八とはこうでなくてはイカン」と主張することが悪いとは思いません。所詮は趣味ですから自分の好きなようにやれば良いんですよ。でも歴史を知ると「本道」を求めないことにも、十分な必然が有ることが分かりますよね。
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