最古の記憶
- 2015/03/12
- 20:59
私にとっての一番古い記憶は赤ん坊の乗る歩行補助器に乗っている記憶です。もう本当に幽かと言う感じです。私が3歳の時に弟が生まれて、それを病院に見に行った記憶は、それに比べるとやや鮮明ですから、私が2歳、昭和27年の記憶でしょう。
5歳になって幼稚園に行き出してからは、かなりハッキリいろいろのことを憶えています。
さて、私が一番最初に尺八を聞いたのはいつだったのか、当時はやりの時代劇映画では頻繁に虚無僧が出てきていましたが、生で尺八を聞いたのは、かなり後になってからです。
小学校の5年か6年の時だと思いますが、近所の祭に民謡の歌手が来て、その伴奏の尺八を聞きました。プロの人だったと思いますが、何も良いとも悪いとも思わず無関心でした。祭の時の出し物ですから、尺八なんぞは右の耳から入って、左に抜けて行きました。
私も後年になってギャラを貰って祭の余興で尺八を吹いたことが一度ならず有りますが、聞いているのは酒瓶を抱えてムシロにへたり込んだオヤジ達だけ、それもお目当ては私の後に出る演歌歌手のお姐さんですわ。控室では、明るくキレイな娘さんが舞台に上がると、演歌のオハコであるショボクレ感たっぷりに暗い失恋の歌とかを歌います。プロの芸ですわ。
冗談ぬきで言います。小学校などでプロの尺八家がボランティア活動で演奏しますな、それに感動して心に深い記憶となり、それで尺八を始めたなどということが、本当にあるのでしょうか? 子供はオトナよりずっと嘘つきですから、オベンキョウと割り切って大のオトナを「やって良かった、幼い心に届いた」とホロりとさせる感想文くらい楽に仕立てあげますよ。大いなる見当違いをしていると思います。多くの人にとって、尺八を聞いた最古の記憶を創っているだけでなければ幸いです。
まず「尺八を聴こう」という、心のチューナーの波長を合わせてもらう工夫なしには尺八の音が人の心に届くとは思えません。一般受けしないことに妙なステータスを感じるよりも、たとえばですが、紅葉のころの京都の美しい庭、あるいは、虫のすだく秋に月の光の荒れ寺、そこで尺八を吹けば人は心を開くと思わないですか?
「良いものは必ず分かってもらえる」そう言って何十年もやってきて、その結果が今でっせ・・・
5歳になって幼稚園に行き出してからは、かなりハッキリいろいろのことを憶えています。
さて、私が一番最初に尺八を聞いたのはいつだったのか、当時はやりの時代劇映画では頻繁に虚無僧が出てきていましたが、生で尺八を聞いたのは、かなり後になってからです。
小学校の5年か6年の時だと思いますが、近所の祭に民謡の歌手が来て、その伴奏の尺八を聞きました。プロの人だったと思いますが、何も良いとも悪いとも思わず無関心でした。祭の時の出し物ですから、尺八なんぞは右の耳から入って、左に抜けて行きました。
私も後年になってギャラを貰って祭の余興で尺八を吹いたことが一度ならず有りますが、聞いているのは酒瓶を抱えてムシロにへたり込んだオヤジ達だけ、それもお目当ては私の後に出る演歌歌手のお姐さんですわ。控室では、明るくキレイな娘さんが舞台に上がると、演歌のオハコであるショボクレ感たっぷりに暗い失恋の歌とかを歌います。プロの芸ですわ。
冗談ぬきで言います。小学校などでプロの尺八家がボランティア活動で演奏しますな、それに感動して心に深い記憶となり、それで尺八を始めたなどということが、本当にあるのでしょうか? 子供はオトナよりずっと嘘つきですから、オベンキョウと割り切って大のオトナを「やって良かった、幼い心に届いた」とホロりとさせる感想文くらい楽に仕立てあげますよ。大いなる見当違いをしていると思います。多くの人にとって、尺八を聞いた最古の記憶を創っているだけでなければ幸いです。
まず「尺八を聴こう」という、心のチューナーの波長を合わせてもらう工夫なしには尺八の音が人の心に届くとは思えません。一般受けしないことに妙なステータスを感じるよりも、たとえばですが、紅葉のころの京都の美しい庭、あるいは、虫のすだく秋に月の光の荒れ寺、そこで尺八を吹けば人は心を開くと思わないですか?
「良いものは必ず分かってもらえる」そう言って何十年もやってきて、その結果が今でっせ・・・
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