国立国楽院
- 2015/03/23
- 23:39
大学を出て一年くらいした頃、私が夢中になっていたのは、尺八でもなければ、大学まで熱心だったプロレスでもありません。ぼろ儲けです。それまで自由にならなかった金の魅力にハマりました。
目についたのは韓国です。1974年当時の韓国は貧しい国でした。日本には及びもつかないので、身近な目標として「タイ、フィリピンに追いつけ追い越せ」と言っていた時代です。何しろ年収(日本円で)五百万円の人が前年1973年に二千人程度だったのですから、そのレベルが知れます。
その韓国は日本製の商品には高額の関税がかけられていました。高級カメラ120パーセント、カラーフィルム50パーセントとかです。
3泊4日の観光旅行で24枚撮りのフィルムを千巻使うというのは常識から言って有り得ないですね。でも当時の韓国は関税法がまだ厳密ではなく、台湾のものを借用していましたので、ケース・バイ・ケースで担当者の判断で適用していました。
3泊4日でも千巻使う事が有る、そう税関職員が判断すれば個人の旅行中に使用する無税の手荷物なのです。勿論、サバサバ(袖の下)が必要なのは言うまでも有りません。
大学出の初任給の10倍は稼ぎました。止めた理由ですか、一つは先輩に忠告されたのです。「若いうちからヤクザみたいなことをしていると大きな事は出来なくなるよ」 その後、大きなことが出来たわけではないですが、先輩には感謝しています。もう一つ、2か月で三百万稼いて、そっくり韓国人パートナーに持ち逃げされました。こういう時ウラ仕事は弱いですね、警察に「密輸でかせいだ金を持ち逃げされました」と言いに行けないですからね。
その時代に韓国国立国楽院を訪問しました。奬忠壇体育館に行ったついでによったのです。その体育館は金一(大木金太郎)がプロレスの大試合の度に使っていました。「原爆頭突き」と言っても頭の内側の方がずっと固い大木選手の試合ですから名勝負は有りません。私の見たかぎりではジョー・スカルパとの試合がまあまあ良い試合でした。試合巧者のスカルパが上手に運んでくれたのです。三曲合奏でもそうですが、箏と三弦が良いと尺八がイマイチでも、まあまあ聞けますもんね。懐かしい土地に行ったホンのついでです。
国楽院は当時はソウルにしか無く訪問者もほとんどいない状態でした。たまの訪問者、それも日本人ということで館長室に招き入れられ、お茶を御馳走され、丁寧にいろいろ説明されました。
韓国の国立国楽院は1950年に出来ましたので、日本の国立劇場より16年も早いのです。建物は立派ですが、その頃は展示されていた楽器の種類も数も貧弱でした。
今、韓国に旅行して景福宮から昌徳宮、仁寺洞の観光黄金ルートを歩くと、夥しい韓国伝統楽器の店を見るはずです。40年の時の中、韓国は経済だけでなく伝統音楽も立派に発展させました。
この日本との比較は無意味では無いと思います。
目についたのは韓国です。1974年当時の韓国は貧しい国でした。日本には及びもつかないので、身近な目標として「タイ、フィリピンに追いつけ追い越せ」と言っていた時代です。何しろ年収(日本円で)五百万円の人が前年1973年に二千人程度だったのですから、そのレベルが知れます。
その韓国は日本製の商品には高額の関税がかけられていました。高級カメラ120パーセント、カラーフィルム50パーセントとかです。
3泊4日の観光旅行で24枚撮りのフィルムを千巻使うというのは常識から言って有り得ないですね。でも当時の韓国は関税法がまだ厳密ではなく、台湾のものを借用していましたので、ケース・バイ・ケースで担当者の判断で適用していました。
3泊4日でも千巻使う事が有る、そう税関職員が判断すれば個人の旅行中に使用する無税の手荷物なのです。勿論、サバサバ(袖の下)が必要なのは言うまでも有りません。
大学出の初任給の10倍は稼ぎました。止めた理由ですか、一つは先輩に忠告されたのです。「若いうちからヤクザみたいなことをしていると大きな事は出来なくなるよ」 その後、大きなことが出来たわけではないですが、先輩には感謝しています。もう一つ、2か月で三百万稼いて、そっくり韓国人パートナーに持ち逃げされました。こういう時ウラ仕事は弱いですね、警察に「密輸でかせいだ金を持ち逃げされました」と言いに行けないですからね。
その時代に韓国国立国楽院を訪問しました。奬忠壇体育館に行ったついでによったのです。その体育館は金一(大木金太郎)がプロレスの大試合の度に使っていました。「原爆頭突き」と言っても頭の内側の方がずっと固い大木選手の試合ですから名勝負は有りません。私の見たかぎりではジョー・スカルパとの試合がまあまあ良い試合でした。試合巧者のスカルパが上手に運んでくれたのです。三曲合奏でもそうですが、箏と三弦が良いと尺八がイマイチでも、まあまあ聞けますもんね。懐かしい土地に行ったホンのついでです。
国楽院は当時はソウルにしか無く訪問者もほとんどいない状態でした。たまの訪問者、それも日本人ということで館長室に招き入れられ、お茶を御馳走され、丁寧にいろいろ説明されました。
韓国の国立国楽院は1950年に出来ましたので、日本の国立劇場より16年も早いのです。建物は立派ですが、その頃は展示されていた楽器の種類も数も貧弱でした。
今、韓国に旅行して景福宮から昌徳宮、仁寺洞の観光黄金ルートを歩くと、夥しい韓国伝統楽器の店を見るはずです。40年の時の中、韓国は経済だけでなく伝統音楽も立派に発展させました。
この日本との比較は無意味では無いと思います。
スポンサーサイト