郡川直樹さんの風景
- 2015/03/27
- 23:27
郡川直樹さんは去年11月に亡くなりました。孤独死という状態で、お弟子さんが連絡がとれないことを心配して、マンションの管理人に部屋を開けてもらうと、亡くなっていました。私が最後に会ったのは去年5月で、仙台の駅前で一杯やりました。
驚いたのは、その顔色の悪さ、痩せかたで、「どこか悪いのですか?」と聞くと、手術して胆嚢を取ったと言っていましたし、毎朝の日課である手裏剣の稽古も止めているとの事でした。
日本酒を二合も飲まないのにベロベロになってしまい、健康状態が尋常でないことを窺わせました。いつもだったら一升酒です。私のスタッフ達も「かなり悪いのでは・・・」と心配して、それから会う人ごとに言っていましたが、亡くなってしまいました。
郡川さんは酒癖が悪く、酔うと人への攻撃性が強くなるので、私も若い頃は「触らぬ神に祟りなし」で側にも寄りませんでした。古典を吹かせたら天才だと皆が言っていましたが、私はそれ以上に皆が敬遠していたことを憶えています。
「NHK邦楽技能者育成会」の16期ですから、古屋輝夫さん、香川一朝さん、吉田力さん、また三味線の本條秀太郎さんなどと同期です。他の尺八三人は大人物ぞろいで怒ることが無い人達で、特に香川、吉田のご両人は、そんなことは絶対ないですが、もし喧嘩になっても相当強いですから、まあまあ郡川さんといえども下手に出ていました。
佐野鈴霏さん、河野正明さんと「芦の会」を創り一九七一年の旗揚げ公演を聴きました。郡川さんは「八重衣」を吹きましたが、学生だった私はタダタダその吹奏力に圧倒されるばかりでした。もっとも青木鈴慕先生に言わせると「浅瀬でパチャパチャやっている段階」だそうです。今になって御本人達に聞くと、日本一の詩吟尺八伴奏家・河野正明さんはニガワライ、佐野さんに聞いたことは有りませんが、郡川さんは「そうだったよ」です。
郡川さんは岡本竹外、青木鈴慕など複数の師匠に師事しましたが、その驚くべき尺八音楽の解析力は、本物の天才だと、そのつど感心しました。普通の尺八吹きが見えていない風景が明らかに彼には見えていました。演奏に古管を使用することは私には異論が有りましたが、彼は頑固に押し通していました。
その事については分からないことも無いのです。今の尺八は音量を重視して、ハリの有る音やバランスの良さを追及するあまり、古管の持つ音のまろやかさ、なつかしさ、バランスの悪い面白さを失いがちです。そこを聴ける人も少なくなってしまいましたし、はっきり言って今の尺八音楽は西洋音楽にシフトする角度が急で民俗音楽の良さを見失いがちの段階にいます。やがて揺り戻しは起きると思いますが、そうなっても昔の音楽性無視のヒドイ状態には戻らないことは言うまでもありません。郡川さんには、そこが見えていたと思います。そういう演奏をしていました。
有名な鴨長明に「無名抄」という歌論書が有ります。その中で、和泉式部と赤染衛門を比較して、「和泉式部の方が歌人としては優れているが、同時代人には、人格円満で敵のいなかった赤染衛門の方が評価が高かった、でも時代を経ると芸術性の高さだけが評価される」と評しています。幸い音源が残っていますので、後世、郡川さんの評価は高まると私は思っています。
驚いたのは、その顔色の悪さ、痩せかたで、「どこか悪いのですか?」と聞くと、手術して胆嚢を取ったと言っていましたし、毎朝の日課である手裏剣の稽古も止めているとの事でした。
日本酒を二合も飲まないのにベロベロになってしまい、健康状態が尋常でないことを窺わせました。いつもだったら一升酒です。私のスタッフ達も「かなり悪いのでは・・・」と心配して、それから会う人ごとに言っていましたが、亡くなってしまいました。
郡川さんは酒癖が悪く、酔うと人への攻撃性が強くなるので、私も若い頃は「触らぬ神に祟りなし」で側にも寄りませんでした。古典を吹かせたら天才だと皆が言っていましたが、私はそれ以上に皆が敬遠していたことを憶えています。
「NHK邦楽技能者育成会」の16期ですから、古屋輝夫さん、香川一朝さん、吉田力さん、また三味線の本條秀太郎さんなどと同期です。他の尺八三人は大人物ぞろいで怒ることが無い人達で、特に香川、吉田のご両人は、そんなことは絶対ないですが、もし喧嘩になっても相当強いですから、まあまあ郡川さんといえども下手に出ていました。
佐野鈴霏さん、河野正明さんと「芦の会」を創り一九七一年の旗揚げ公演を聴きました。郡川さんは「八重衣」を吹きましたが、学生だった私はタダタダその吹奏力に圧倒されるばかりでした。もっとも青木鈴慕先生に言わせると「浅瀬でパチャパチャやっている段階」だそうです。今になって御本人達に聞くと、日本一の詩吟尺八伴奏家・河野正明さんはニガワライ、佐野さんに聞いたことは有りませんが、郡川さんは「そうだったよ」です。
郡川さんは岡本竹外、青木鈴慕など複数の師匠に師事しましたが、その驚くべき尺八音楽の解析力は、本物の天才だと、そのつど感心しました。普通の尺八吹きが見えていない風景が明らかに彼には見えていました。演奏に古管を使用することは私には異論が有りましたが、彼は頑固に押し通していました。
その事については分からないことも無いのです。今の尺八は音量を重視して、ハリの有る音やバランスの良さを追及するあまり、古管の持つ音のまろやかさ、なつかしさ、バランスの悪い面白さを失いがちです。そこを聴ける人も少なくなってしまいましたし、はっきり言って今の尺八音楽は西洋音楽にシフトする角度が急で民俗音楽の良さを見失いがちの段階にいます。やがて揺り戻しは起きると思いますが、そうなっても昔の音楽性無視のヒドイ状態には戻らないことは言うまでもありません。郡川さんには、そこが見えていたと思います。そういう演奏をしていました。
有名な鴨長明に「無名抄」という歌論書が有ります。その中で、和泉式部と赤染衛門を比較して、「和泉式部の方が歌人としては優れているが、同時代人には、人格円満で敵のいなかった赤染衛門の方が評価が高かった、でも時代を経ると芸術性の高さだけが評価される」と評しています。幸い音源が残っていますので、後世、郡川さんの評価は高まると私は思っています。
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