舞台度胸
- 2015/03/31
- 23:35
私は度胸が良いと言われます。「度胸だけ」 「無鉄砲」とか昔から言われてきました。人が「死ぬことを考えると怖くてしかたがない」とか言っているのを聞いても、あまり実感が有りません。
横山勝也先生は若い時から死ぬことが怖かったそうですが、「アナタは怖くないですか?」と聞かれたので、いつものように答えたら、「素晴らしい」とエラク感心されました。次のような見解です。
トルストイが人間にとって死は存在しないと言っています。死の瞬間は意識が無くなるので死を認識できない。認識が出来る間は生きているから、すなわち人に死は無い。
無神論者の言みたいですね。トルストイは信仰心が厚いと言われていますが、こういうキリスト教徒(ギリシャ正教であれ何であれ)の一筋縄ではいかない心理は日本人には理解が難しいですね。ともかく私は霊魂や来世は全く信じていませんが、もし来世が本当に有るならば、それは死んでいないということで、無ければないでゼロですから、どっちにしろ死は人間の「認識」としては有りません。
いささか理屈が過ぎた様ですが、「度胸が良い」はずの私が舞台度胸となると、からきし無くて、よくアガリます。どうしたらアガラなくなるか、いろんな人に聞きましたが、その甲斐も無く、やっぱりアガリます。結局は演奏に自信が無いのでしょう。北原鈴淳さんが「練習不足で不安があるとアガルよ」と言っていました。北原さんほどの天才でもアガルンですよ。
青木鈴慕、米谷威和男、多分ですが宮田耕八朗、山口五郎、山本邦山といった方達はアガッタ事なんか無いと思います。私の師匠の坂田誠山はアガルことの無い人ですが、若い頃、日本音楽集団の定期演奏会で珍しくシクジリ、舞台で足がガクガクしているのを見たことが有ります。坂田先生でもアガルんだ、と私は驚きました。
横山勝也はアガリ性で「死にたくなるほどの失敗を何度も繰り返して舞台度胸がつくんだよ」と教えてくださいましたが、私にはついに舞台度胸はつきませんでした。
昔、プロレスラー達が語り草にしていましたが、山口組三代目の田岡一夫組長がリングに上がり宣言書を読んだ時、万余の大観衆を前に宣言書を持つ手がブルブル震えていたそうです。田岡一夫といえば、四十人ほどの山口組を一万を越える日本一のヤクザ組織にした大親分です。並の度胸の持ち主ではありません。「あの田岡さんがだぜ、そういうのと、また別なんだなあ」 私のボス、マシオ駒の述懐です。
田岡一夫が生死の修羅場にいてさえ他人の安否を気使う余裕の有った人であることは、大日本正義団の鳴海清に狙撃された後年の「ベラミ事件」で誰もが知っています。ですから、そういう度胸と舞台度胸は別なんだと自分を慰めています。
横山勝也先生は若い時から死ぬことが怖かったそうですが、「アナタは怖くないですか?」と聞かれたので、いつものように答えたら、「素晴らしい」とエラク感心されました。次のような見解です。
トルストイが人間にとって死は存在しないと言っています。死の瞬間は意識が無くなるので死を認識できない。認識が出来る間は生きているから、すなわち人に死は無い。
無神論者の言みたいですね。トルストイは信仰心が厚いと言われていますが、こういうキリスト教徒(ギリシャ正教であれ何であれ)の一筋縄ではいかない心理は日本人には理解が難しいですね。ともかく私は霊魂や来世は全く信じていませんが、もし来世が本当に有るならば、それは死んでいないということで、無ければないでゼロですから、どっちにしろ死は人間の「認識」としては有りません。
いささか理屈が過ぎた様ですが、「度胸が良い」はずの私が舞台度胸となると、からきし無くて、よくアガリます。どうしたらアガラなくなるか、いろんな人に聞きましたが、その甲斐も無く、やっぱりアガリます。結局は演奏に自信が無いのでしょう。北原鈴淳さんが「練習不足で不安があるとアガルよ」と言っていました。北原さんほどの天才でもアガルンですよ。
青木鈴慕、米谷威和男、多分ですが宮田耕八朗、山口五郎、山本邦山といった方達はアガッタ事なんか無いと思います。私の師匠の坂田誠山はアガルことの無い人ですが、若い頃、日本音楽集団の定期演奏会で珍しくシクジリ、舞台で足がガクガクしているのを見たことが有ります。坂田先生でもアガルんだ、と私は驚きました。
横山勝也はアガリ性で「死にたくなるほどの失敗を何度も繰り返して舞台度胸がつくんだよ」と教えてくださいましたが、私にはついに舞台度胸はつきませんでした。
昔、プロレスラー達が語り草にしていましたが、山口組三代目の田岡一夫組長がリングに上がり宣言書を読んだ時、万余の大観衆を前に宣言書を持つ手がブルブル震えていたそうです。田岡一夫といえば、四十人ほどの山口組を一万を越える日本一のヤクザ組織にした大親分です。並の度胸の持ち主ではありません。「あの田岡さんがだぜ、そういうのと、また別なんだなあ」 私のボス、マシオ駒の述懐です。
田岡一夫が生死の修羅場にいてさえ他人の安否を気使う余裕の有った人であることは、大日本正義団の鳴海清に狙撃された後年の「ベラミ事件」で誰もが知っています。ですから、そういう度胸と舞台度胸は別なんだと自分を慰めています。
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