奈良の夢
- 2015/04/06
- 21:09
展示会で今夜帰ってきました。徳島、高松そして奈良を廻りました。奈良展示会は町屋で行ないましたが、とても雰囲気の良い所です。次の機会にも是非そこでやりたい。ただ、分かりにくい場所で来て下さる人にはご迷惑をおかけしましたし、何より自動車が入れないので往生しました。今どき自動車が入れないというのは、さすが古都・奈良ですね。
奈良の正倉院に尺八が八本保存されています。現存する尺八としては世界最古のものです。もう一本、法隆寺に残されていましたが、どちらが古いのかは分かりません。
正倉院の尺八は唐、または朝鮮半島に有った百済から伝来してきたものです。百済経由だとしたら660年以前、そうでないとしても、常識から言って8世紀中ごろまでの尺八です。
法隆寺の一本も同じ頃のモノでしょう。法隆寺は670年に全焼し再建されたのですが、622年没の聖徳太子と何らかの強い結びつきが有ったというのは定説になっています。けど、法隆寺の尺八は聖徳太子と何の関係も無いことは、これまで述べた通りです。
奈良といえば万葉集ですね。昔、「万葉集が古代朝鮮語で読める」というモノスゴイ本が有りました。読んでみて、書いてる方は、お金儲けか売名か、あるいはアカデミズムをコケにする悪意なのか、いずれにしろ、分かった上でオチャメをやっていると分かりました。幸い今は「トンデモ本」として扱われていますから良いようなモンですが、あまり良い趣味とは言えませんね。
奈良は朝鮮語のナラ、すなわち国に由来するという人もいますが、私はそう思いません。奈良の都のナラはナラヤマ由来でしょう。「あおによし」は本来はナラヤマにかかる枕詞で、平城京遷都以前から頻繁に使われていますし、そもそもそれを言うなら「ナラ」は日鮮共通の祖語です。
「あおによし」は壁土等に使う白土が良いということで、平城山の白土は明治になっても使われていました。
百済が滅び、8年後に高句麗が滅び、たくさんの人が日本に移住してきたのですね、その頃の日本では、今日の英語のような感覚で朝鮮語が使われていたと思います。生活用具に多量の朝鮮語が今でも使われていますし、奈良時代の人も「ナラ」が国を意味する朝鮮語であることを知っていたと思います。ですから大伴旅人が詠んでいます。
くやしきかも かくしりませば あおによし くぬ(国)ち ことごと みせましものを
奈良の正倉院に尺八が八本保存されています。現存する尺八としては世界最古のものです。もう一本、法隆寺に残されていましたが、どちらが古いのかは分かりません。
正倉院の尺八は唐、または朝鮮半島に有った百済から伝来してきたものです。百済経由だとしたら660年以前、そうでないとしても、常識から言って8世紀中ごろまでの尺八です。
法隆寺の一本も同じ頃のモノでしょう。法隆寺は670年に全焼し再建されたのですが、622年没の聖徳太子と何らかの強い結びつきが有ったというのは定説になっています。けど、法隆寺の尺八は聖徳太子と何の関係も無いことは、これまで述べた通りです。
奈良といえば万葉集ですね。昔、「万葉集が古代朝鮮語で読める」というモノスゴイ本が有りました。読んでみて、書いてる方は、お金儲けか売名か、あるいはアカデミズムをコケにする悪意なのか、いずれにしろ、分かった上でオチャメをやっていると分かりました。幸い今は「トンデモ本」として扱われていますから良いようなモンですが、あまり良い趣味とは言えませんね。
奈良は朝鮮語のナラ、すなわち国に由来するという人もいますが、私はそう思いません。奈良の都のナラはナラヤマ由来でしょう。「あおによし」は本来はナラヤマにかかる枕詞で、平城京遷都以前から頻繁に使われていますし、そもそもそれを言うなら「ナラ」は日鮮共通の祖語です。
「あおによし」は壁土等に使う白土が良いということで、平城山の白土は明治になっても使われていました。
百済が滅び、8年後に高句麗が滅び、たくさんの人が日本に移住してきたのですね、その頃の日本では、今日の英語のような感覚で朝鮮語が使われていたと思います。生活用具に多量の朝鮮語が今でも使われていますし、奈良時代の人も「ナラ」が国を意味する朝鮮語であることを知っていたと思います。ですから大伴旅人が詠んでいます。
くやしきかも かくしりませば あおによし くぬ(国)ち ことごと みせましものを
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