飲みくらべ
- 2015/04/16
- 23:25
大学の邦楽クラブに入って、まず受ける洗礼が酒です。ただ、昔は酒が相対的に高いものだったので、いわゆる「一気飲み」はやらないと言うより、金銭上の理由で出来ませんでした。年に3回有った合宿でも、最後の日の打ち上げまで酒は飲まなかった。私が3年の時までそうでした。
学生ですから、まだ酒の本当の味は理解していませんが、その代り若いから量だけは飲めました。その飲み方の穢いこと、女子部員が部屋にひきあげると、猥歌放吟、足を踏みならすわ、ゲロをあげるわ、大声でラチモ無い議論をはじめるわですから、「二度と来るな」と民宿のご主人に言われたことも1度ならず有りました。
その後、段々に酒が分かるようになってくると、適量を楽しむ様になるのが普通です。
私の親の代は本当に可哀そうでした。若い時が戦争、その後が戦後の混乱期ですから、酒は酔えれば良い。いくらか暮らしが楽になっても、ビールは高いし、焼酎は変なプライドが邪魔をして飲めない、昔の東京では焼酎は「ドカタの飲むもの」でした。今と全然イメージが違います。ワインは40年前まで赤玉ポートワインがそうだと信じていました。赤玉はウマいかどうかは別にしてポートワインでもありません。甘いのでオトナは飲みませんでした。昭和30年代はジョ二黒が一本一万円でしたよ。大学出の初任給が二万いかない頃ですぜ。
そこで、いきおい日本酒ということになりますが、ほとんどの日本酒が「三倍醸造」。純米酒が一般的になったのは、この30年です。
なんせ、敗戦直後は「カストリの闇焼酎」やメチルアルコールにすら手を出した連中ですから酒飲み根性のド穢さは私等ですら比ではありません。私は親の世代の酒の強要と酒癖の悪さが嫌でした。「おい、もっと飲め」 「いやもう結構です」 「そう言わず、いいから飲め」 「本当にもういいです」 このくらいから目がすわります。「なんだダラシナイ野郎だな、オレの若い時はいくらでも飲めたぞ」 なんか酒をたくさん飲むことがエライみたいですな。
気の毒な世代、その人達が懸命に働いて戦後の繁栄を築き上げたのです。長い間軽蔑していてゴメンナサイ。今は感謝と同情ばかりです。
最後に飲み比べをしたのが、40くらいの時。鈴慕会の合宿でです。相手はリチャード・ズーグさん。体重100キロ近いスイス系アメリカ人尺八家です。国士舘大学で剣道の師範をしていました。
きっかけは分かりませんが、もうダイブ酔っていましたし、マア相手にとって不足無しと思ったのでしょうね。ジョ二黒の瓶が何本か空になり、結果、私のKO負けです。ズーグさん、アメリカに帰ってしまって十何年か経ちますが、フレンチブルを見るたび、懐かしく思い出します。
私は邦楽界で、ズーグさんに勝てる人を知っています。箏曲家の宮下伸先生です。若い頃は二升酒ですもんね。でも、その宮下先生も尺八家の田嶋直士さんには勝てませんや。何しろ彼は特異体質で、どんなに飲んでも「酔う」という感覚が分からないのです。
学生ですから、まだ酒の本当の味は理解していませんが、その代り若いから量だけは飲めました。その飲み方の穢いこと、女子部員が部屋にひきあげると、猥歌放吟、足を踏みならすわ、ゲロをあげるわ、大声でラチモ無い議論をはじめるわですから、「二度と来るな」と民宿のご主人に言われたことも1度ならず有りました。
その後、段々に酒が分かるようになってくると、適量を楽しむ様になるのが普通です。
私の親の代は本当に可哀そうでした。若い時が戦争、その後が戦後の混乱期ですから、酒は酔えれば良い。いくらか暮らしが楽になっても、ビールは高いし、焼酎は変なプライドが邪魔をして飲めない、昔の東京では焼酎は「ドカタの飲むもの」でした。今と全然イメージが違います。ワインは40年前まで赤玉ポートワインがそうだと信じていました。赤玉はウマいかどうかは別にしてポートワインでもありません。甘いのでオトナは飲みませんでした。昭和30年代はジョ二黒が一本一万円でしたよ。大学出の初任給が二万いかない頃ですぜ。
そこで、いきおい日本酒ということになりますが、ほとんどの日本酒が「三倍醸造」。純米酒が一般的になったのは、この30年です。
なんせ、敗戦直後は「カストリの闇焼酎」やメチルアルコールにすら手を出した連中ですから酒飲み根性のド穢さは私等ですら比ではありません。私は親の世代の酒の強要と酒癖の悪さが嫌でした。「おい、もっと飲め」 「いやもう結構です」 「そう言わず、いいから飲め」 「本当にもういいです」 このくらいから目がすわります。「なんだダラシナイ野郎だな、オレの若い時はいくらでも飲めたぞ」 なんか酒をたくさん飲むことがエライみたいですな。
気の毒な世代、その人達が懸命に働いて戦後の繁栄を築き上げたのです。長い間軽蔑していてゴメンナサイ。今は感謝と同情ばかりです。
最後に飲み比べをしたのが、40くらいの時。鈴慕会の合宿でです。相手はリチャード・ズーグさん。体重100キロ近いスイス系アメリカ人尺八家です。国士舘大学で剣道の師範をしていました。
きっかけは分かりませんが、もうダイブ酔っていましたし、マア相手にとって不足無しと思ったのでしょうね。ジョ二黒の瓶が何本か空になり、結果、私のKO負けです。ズーグさん、アメリカに帰ってしまって十何年か経ちますが、フレンチブルを見るたび、懐かしく思い出します。
私は邦楽界で、ズーグさんに勝てる人を知っています。箏曲家の宮下伸先生です。若い頃は二升酒ですもんね。でも、その宮下先生も尺八家の田嶋直士さんには勝てませんや。何しろ彼は特異体質で、どんなに飲んでも「酔う」という感覚が分からないのです。
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