尺八家の好物
- 2015/04/21
- 23:17
好きな食べ物は何ですか? 尺八のかつての大家達は、少年時代は空きっ腹を抱えて、アメリカからの「ガリオア援助」で命をつないだ人達だけに、あまり好き嫌いを言いません。でも好物は当然有りました。
青木鈴慕はウナギとブドウです。あとステーキなんかも好きでしたね。あまり酒を召し上がらない方だったのですが、ウナギの蒲焼で一杯やっていると本当にご機嫌でした。ブドウも大好きでしたね。奥様のご実家がブドウ園なのは、それで結婚されたわけでは無いですが、青木先生にとって幸運な偶然でした。私は若い頃は青木先生の奥様と酒井竹保先生の別れた奥様が尺八家の夫人の美人ベスト2だと思い、憧れていました。
青木師匠に嫌いな物を聞いたことがあります。「そうだな、イタリアのグラタンとかラザニアとかのチーズべたべたのヤツ、あまり好きじゃありませんね」との事。
山口五郎は蟹です。尺八界でも有名な大酒家ですが、蟹の甲羅酒(酒を注いでカニミソと合わせる)の美味さを言うと、「そうですかね、私も試してみましたが、あまり美味しくなかったですね」との事。山口先生の酒入門はお父上の山口四郎先生に毎晩の晩酌につき合わされたことが始まりです。私は残念ながら山口先生と酒を飲んだことが無いのです。
横山勝也は好き嫌いが無いと言いますが、好きな物は魚貝類ですね。終戦直後の飢餓を経験してるくせに、けっこう食べ物にウルサイと思います。浜松育ちだけにウナギは浜松から取り寄せていました。私も御相伴したことが有りますが、すごく美味しかったです。
山本邦山とも一緒に食事をした記憶が有りません。若い時にカラオケパーティーや演奏会の打ち上げで何度も席をご一緒しているのですが、とにかく邦山先生にはビールを飲んでいる記憶しかありません。
島原帆山は、見た目の豪快さに反して酒を全くやらない人でしたが、女のいる酒席は大好き。戦前の色町のことを懐かしげに話してくれました。若い時は長く朝鮮にいらした方ですが、私が韓国のキーセンパーティーを話題にすると、それこそ涎を垂らさんばかりの興味をしめされました。90過ぎのジイサマですよ。本当、尊敬しますわ。島原先生は甘い物に目がなかった.。
若い時、随分と演奏会を企画しましたが、楽屋弁当は寿司と決めていました。イチオウ全員に確かめるのですが、「寿司はチョット・・・」と言われたことは有りません。
尺八家はあまり銀座のクラブで豪遊という話は聞きませんが、上に挙げたクラスの人ですと、接待で行くことも有ったと思います。私程度の者でも、たまさかお誘いを受けるのですから。勿論、私は銀座のクラブには誘われた事は有りません。
今は飽食を当たり前に育った人の時代です。それだと食べ物に感激が無くなるんじゃないですかね。私らくらいまでは食堂のガラスケースの中のサンプルを「いつか食ってみてえなあ」と飽かず眺めた少年の日の記憶を持っています。でも私達の世代になると戦中戦後の飢餓世代の味覚、とくに砂糖欠乏による甘味音痴を子供心に分かっていました。昭和30年代までの、やたら甘いだけの単純な味の菓子を「美味い美味い」と食べていた人達を見ていましたから。でも同時に「邦楽の甘味」が分からなくなり始めた世代でもあります。
青木鈴慕はウナギとブドウです。あとステーキなんかも好きでしたね。あまり酒を召し上がらない方だったのですが、ウナギの蒲焼で一杯やっていると本当にご機嫌でした。ブドウも大好きでしたね。奥様のご実家がブドウ園なのは、それで結婚されたわけでは無いですが、青木先生にとって幸運な偶然でした。私は若い頃は青木先生の奥様と酒井竹保先生の別れた奥様が尺八家の夫人の美人ベスト2だと思い、憧れていました。
青木師匠に嫌いな物を聞いたことがあります。「そうだな、イタリアのグラタンとかラザニアとかのチーズべたべたのヤツ、あまり好きじゃありませんね」との事。
山口五郎は蟹です。尺八界でも有名な大酒家ですが、蟹の甲羅酒(酒を注いでカニミソと合わせる)の美味さを言うと、「そうですかね、私も試してみましたが、あまり美味しくなかったですね」との事。山口先生の酒入門はお父上の山口四郎先生に毎晩の晩酌につき合わされたことが始まりです。私は残念ながら山口先生と酒を飲んだことが無いのです。
横山勝也は好き嫌いが無いと言いますが、好きな物は魚貝類ですね。終戦直後の飢餓を経験してるくせに、けっこう食べ物にウルサイと思います。浜松育ちだけにウナギは浜松から取り寄せていました。私も御相伴したことが有りますが、すごく美味しかったです。
山本邦山とも一緒に食事をした記憶が有りません。若い時にカラオケパーティーや演奏会の打ち上げで何度も席をご一緒しているのですが、とにかく邦山先生にはビールを飲んでいる記憶しかありません。
島原帆山は、見た目の豪快さに反して酒を全くやらない人でしたが、女のいる酒席は大好き。戦前の色町のことを懐かしげに話してくれました。若い時は長く朝鮮にいらした方ですが、私が韓国のキーセンパーティーを話題にすると、それこそ涎を垂らさんばかりの興味をしめされました。90過ぎのジイサマですよ。本当、尊敬しますわ。島原先生は甘い物に目がなかった.。
若い時、随分と演奏会を企画しましたが、楽屋弁当は寿司と決めていました。イチオウ全員に確かめるのですが、「寿司はチョット・・・」と言われたことは有りません。
尺八家はあまり銀座のクラブで豪遊という話は聞きませんが、上に挙げたクラスの人ですと、接待で行くことも有ったと思います。私程度の者でも、たまさかお誘いを受けるのですから。勿論、私は銀座のクラブには誘われた事は有りません。
今は飽食を当たり前に育った人の時代です。それだと食べ物に感激が無くなるんじゃないですかね。私らくらいまでは食堂のガラスケースの中のサンプルを「いつか食ってみてえなあ」と飽かず眺めた少年の日の記憶を持っています。でも私達の世代になると戦中戦後の飢餓世代の味覚、とくに砂糖欠乏による甘味音痴を子供心に分かっていました。昭和30年代までの、やたら甘いだけの単純な味の菓子を「美味い美味い」と食べていた人達を見ていましたから。でも同時に「邦楽の甘味」が分からなくなり始めた世代でもあります。
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