聞きわけ
- 2015/04/29
- 22:54
清元、常磐津、義太夫、長唄、地歌、さらに一中節、都々逸、東雲、端唄、うた沢。今の時代で、こういったのを聴いてすぐそれが何だか分かる人は、かなり特殊な人です。しかし、私の母親は分かりました。東京の日本橋で呉服屋の娘として育ったので当然ということは言えますが、新潟の貧しい魚屋の息子で一介の工員として生涯を終えた祖父も、かなり聞き分け、「やっぱり春雨は良いなあ、踊りだしたくなっちゃう」とラジオから流れてくる長唄にシビレテいました。
もっとも、祖父の時代には工員はエリートで、相対的にはかなり余裕の有る暮らしが出来たようですが・・・。
幕末から明治中期まで大衆演芸で一番人気は娘義太夫です。それから昭和20年代までは浪曲です。私が小学校にあがるくらいまでは、ラジオから常に浪曲が流れていました。戦後しばらく芸能人の高額所得者は浪曲師が独占していました。広沢虎造、三門博、玉川勝太郎、永田貞雄の奥さんだった伊丹秀子などベスト10の半数に浪曲師が入っていました。
それが今じゃあ・・・。20年くらい前に国本武春さんが「現在の浪曲師は30代の自分と40代が1人、後は70代以上」と言っていました。国本さんは御両親が浪曲師ですから分かりますが、私より年下の浪曲ファンって津軽三味線の高橋竹童さんしか知りません。竹童さんって、太平洋戦争中の戦闘機とか変な物にオタクです。浪曲好きは師匠の高橋竹山の影響でしょうよ。
昔って、飲み屋には三味線をひく女がいて、そこで客も都々逸とかを唄ったんでしょうな。言わば酒飲みのステータスですから、私の祖父くらいの暮らしぶりでも、ソコソコたしなんだのでしょう。浪曲は歌謡曲、テレビドラマ、時代劇映画などにとって代わられたのですね。
そこでオキマリの尺八は、と言えば、尺八の曲が本当にうけたことって有ったのでしょうか?地歌は江戸時代の流行歌だったらしいですが、三曲合奏の盛んになった頃は、もう地歌に大衆がノッテくる時代ではないでしょう。
新日本音楽がラジオを媒体にして、盛んに行なわれていた時代に育った人でも「春の海」以外の曲名なんか知りませんよ。
ハイ、尺八が今よりマシだった時は有っても、尺八が広く日本人の国民人気を博した時代なんか無いのです。ですから私達がやろうとしていることは「復興」では無く、新しい地平の構築です。
もっとも、祖父の時代には工員はエリートで、相対的にはかなり余裕の有る暮らしが出来たようですが・・・。
幕末から明治中期まで大衆演芸で一番人気は娘義太夫です。それから昭和20年代までは浪曲です。私が小学校にあがるくらいまでは、ラジオから常に浪曲が流れていました。戦後しばらく芸能人の高額所得者は浪曲師が独占していました。広沢虎造、三門博、玉川勝太郎、永田貞雄の奥さんだった伊丹秀子などベスト10の半数に浪曲師が入っていました。
それが今じゃあ・・・。20年くらい前に国本武春さんが「現在の浪曲師は30代の自分と40代が1人、後は70代以上」と言っていました。国本さんは御両親が浪曲師ですから分かりますが、私より年下の浪曲ファンって津軽三味線の高橋竹童さんしか知りません。竹童さんって、太平洋戦争中の戦闘機とか変な物にオタクです。浪曲好きは師匠の高橋竹山の影響でしょうよ。
昔って、飲み屋には三味線をひく女がいて、そこで客も都々逸とかを唄ったんでしょうな。言わば酒飲みのステータスですから、私の祖父くらいの暮らしぶりでも、ソコソコたしなんだのでしょう。浪曲は歌謡曲、テレビドラマ、時代劇映画などにとって代わられたのですね。
そこでオキマリの尺八は、と言えば、尺八の曲が本当にうけたことって有ったのでしょうか?地歌は江戸時代の流行歌だったらしいですが、三曲合奏の盛んになった頃は、もう地歌に大衆がノッテくる時代ではないでしょう。
新日本音楽がラジオを媒体にして、盛んに行なわれていた時代に育った人でも「春の海」以外の曲名なんか知りませんよ。
ハイ、尺八が今よりマシだった時は有っても、尺八が広く日本人の国民人気を博した時代なんか無いのです。ですから私達がやろうとしていることは「復興」では無く、新しい地平の構築です。
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