台湾の尺八界
- 2014/10/21
- 08:22
台湾での尺八は、戦前に吉田晴風のところで稽古した林吟風(リン・ギンプウ)に始まります。戦後も台湾で尺八を教えました。今も子孫のかたは台中に住んでいらしゃいます。
ただ、台湾では当時、尺八の自国生産が出来なかったので、日本人が残していった尺八を使って練習していました。1970年代までの台湾の所得ですと、日本から尺八を買うことは、かなり難しいことでした。楽器の供給が充分でないので、当然あまり普及しません。
1980年代になると、台湾の経済は大きく成長し、もはや台湾人には、世界のいかなる国の商品であれ、その気になれば買えるだけの経済力が備わり、日本から尺八を買い始めます。
少しずつ尺八吹きも増えていき、2000年ころには全土で90人くらいになりました。この時代の台湾では、ほぼ100パーセントの人が七孔尺八で日本の演歌を吹いていました。
これは村岡実の影響です。村岡先生は1970~80年代に20数回にわたり台湾公演を行っているそうです。ご本人から聞きました。
2000年代になると、中国語に堪能な神崎憲さんが活発に訪台し教授を行ない、尺八人口も急激に増えました。また台湾尺八協会が結成されます。
今年の2月、私の第三回台湾展示会の時点で尺八人口は230~250人。その4割が台湾尺八協会に属しています。1990年代から、プロ製管師も複数で存在しています..
台北周辺が最も多く、ついで高尾、台中が多く、ついで台南、南端の恒春。人口の少ない東海岸や澎湖島(馬公)にも、わずかですが存在し、もはや中華民国全土(台湾、澎湖)に尺八吹きが分布していると言って良いでしょう。
相変わらず演歌が主流ですが、古典本曲を志向する人も2割くらいいて、さらに増えていく傾向にあります。
ただ、台湾では当時、尺八の自国生産が出来なかったので、日本人が残していった尺八を使って練習していました。1970年代までの台湾の所得ですと、日本から尺八を買うことは、かなり難しいことでした。楽器の供給が充分でないので、当然あまり普及しません。
1980年代になると、台湾の経済は大きく成長し、もはや台湾人には、世界のいかなる国の商品であれ、その気になれば買えるだけの経済力が備わり、日本から尺八を買い始めます。
少しずつ尺八吹きも増えていき、2000年ころには全土で90人くらいになりました。この時代の台湾では、ほぼ100パーセントの人が七孔尺八で日本の演歌を吹いていました。
これは村岡実の影響です。村岡先生は1970~80年代に20数回にわたり台湾公演を行っているそうです。ご本人から聞きました。
2000年代になると、中国語に堪能な神崎憲さんが活発に訪台し教授を行ない、尺八人口も急激に増えました。また台湾尺八協会が結成されます。
今年の2月、私の第三回台湾展示会の時点で尺八人口は230~250人。その4割が台湾尺八協会に属しています。1990年代から、プロ製管師も複数で存在しています..
台北周辺が最も多く、ついで高尾、台中が多く、ついで台南、南端の恒春。人口の少ない東海岸や澎湖島(馬公)にも、わずかですが存在し、もはや中華民国全土(台湾、澎湖)に尺八吹きが分布していると言って良いでしょう。
相変わらず演歌が主流ですが、古典本曲を志向する人も2割くらいいて、さらに増えていく傾向にあります。
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