ハッタリの効果
- 2015/05/20
- 22:00
例によって昔バナシから入ります。私のプロレス時代のボス、マシオ駒と韓国のパク・ソン選手のことを話していた時です。
パクさんは「韓国の巨人」と言われた身長2メートル近いプロレスラーで、もとテコンドーの選手です。わずか2日間ですがNWAの世界チャンピオンにもなりましたが、これは興行上の必要によるもので、したがって韓国人とパクさんと親しかった日本人以外は知りません。アマリロとオデッサの両会場をフルハウスにする為のテクニックで、プロレスですから同様のことは珍しくありません。馬場が3回公式記録に残るもの、猪木が一回パクさんと同じく記録に残らない、それぞれ「レンタルチャンピオン」と呼ばれるものになっています。
ともかく、駒さんが感心したように言いました。「彼って素手で岩を割るんだぜ、本当にデカイ岩を割るんだ、オレ驚いちゃったよ」。駒さんは3年ほどメキシコとアメリカに遠征していましたが、最後の1年は弟分の大熊選手と「ファンク王国」と言われたテキサス州アマリロにいて、パクさんと一緒でした。
私はチョッピリつぶやく。「そんな驚くことじゃありませんよ」 駒さん「エッ、エッ、詳しく話せよ」
あれは「空手の見せ物」と言うべきもので、昔は縁日で貧相な小男がやるのが相場でした。力学応用のワザで、コツをつかむと女性でも出来る種類のモノです。細長い大岩を斜めにして少し浮かして持ち、下に敷いてある鉄板に叩きつけるのです。割るというより正しくは「折る」のですよ。
釜に入れて空蒸しした厚い板を割ったり、あらかじめ割れ目が入れてある煉瓦を割ったりするのと違い、タネは有ってもシカケは有りません。
ダイタイにおいて、後で健康法や薬まがいのモノ、気合術の本なんかを売るのが一般的でした。有名なバレー団の親方が気合で柔道の有段者を吹き飛ばしたり、「気功」の使い手が「気」で人を倒したりするのよりは、サクラを使うのでなく力学応用ですからマシと言うか、イチオウ芸ですわな。
おや、そういえばサクラは英語でピーター・ファンクでしたな。
「合気道の気合い投げなど存在しない」だとか「牛を素手で殺せるもんか」とか言う意見は、現象としては同感しますが、その奥に存在する実体が「本物」でありさえすれば良いことだと思うのです。
尺八家はパフォーマンスを嫌がる傾向が有ります。循環奏法の名手に人前で循環をやってみせてくれと言うと、「人に見せるものでもありませんから」と嫌がられたりしますが、人間って、そういうパフォーマンスに驚いて、その世界に入ることも多いのですよ。
一般に実力が有る人ほどハッタリじみたパフォーマンスを嫌いますが、私の師匠の青木鈴慕や酒井竹保は不必要とも思えるパフォーマンスもやりましたよ。地歌で大音量のロを出したり、わざとレを回したり、重音の使用、「竹籟五章」で足を踏みならす等。
それで少しでも尺八が話題に上り、人気が出れば良いじゃないですか、中身は立派なんですから。
パクさんは「韓国の巨人」と言われた身長2メートル近いプロレスラーで、もとテコンドーの選手です。わずか2日間ですがNWAの世界チャンピオンにもなりましたが、これは興行上の必要によるもので、したがって韓国人とパクさんと親しかった日本人以外は知りません。アマリロとオデッサの両会場をフルハウスにする為のテクニックで、プロレスですから同様のことは珍しくありません。馬場が3回公式記録に残るもの、猪木が一回パクさんと同じく記録に残らない、それぞれ「レンタルチャンピオン」と呼ばれるものになっています。
ともかく、駒さんが感心したように言いました。「彼って素手で岩を割るんだぜ、本当にデカイ岩を割るんだ、オレ驚いちゃったよ」。駒さんは3年ほどメキシコとアメリカに遠征していましたが、最後の1年は弟分の大熊選手と「ファンク王国」と言われたテキサス州アマリロにいて、パクさんと一緒でした。
私はチョッピリつぶやく。「そんな驚くことじゃありませんよ」 駒さん「エッ、エッ、詳しく話せよ」
あれは「空手の見せ物」と言うべきもので、昔は縁日で貧相な小男がやるのが相場でした。力学応用のワザで、コツをつかむと女性でも出来る種類のモノです。細長い大岩を斜めにして少し浮かして持ち、下に敷いてある鉄板に叩きつけるのです。割るというより正しくは「折る」のですよ。
釜に入れて空蒸しした厚い板を割ったり、あらかじめ割れ目が入れてある煉瓦を割ったりするのと違い、タネは有ってもシカケは有りません。
ダイタイにおいて、後で健康法や薬まがいのモノ、気合術の本なんかを売るのが一般的でした。有名なバレー団の親方が気合で柔道の有段者を吹き飛ばしたり、「気功」の使い手が「気」で人を倒したりするのよりは、サクラを使うのでなく力学応用ですからマシと言うか、イチオウ芸ですわな。
おや、そういえばサクラは英語でピーター・ファンクでしたな。
「合気道の気合い投げなど存在しない」だとか「牛を素手で殺せるもんか」とか言う意見は、現象としては同感しますが、その奥に存在する実体が「本物」でありさえすれば良いことだと思うのです。
尺八家はパフォーマンスを嫌がる傾向が有ります。循環奏法の名手に人前で循環をやってみせてくれと言うと、「人に見せるものでもありませんから」と嫌がられたりしますが、人間って、そういうパフォーマンスに驚いて、その世界に入ることも多いのですよ。
一般に実力が有る人ほどハッタリじみたパフォーマンスを嫌いますが、私の師匠の青木鈴慕や酒井竹保は不必要とも思えるパフォーマンスもやりましたよ。地歌で大音量のロを出したり、わざとレを回したり、重音の使用、「竹籟五章」で足を踏みならす等。
それで少しでも尺八が話題に上り、人気が出れば良いじゃないですか、中身は立派なんですから。
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