体罰
- 2015/05/27
- 21:04
今は学校でも体罰禁止ですが、私の子供の頃は教師も手をあげる人が多かったのです。イタズラのタチの悪さはかなりのものでしたし、弱い物イジメ、取っ組み合いの喧嘩については当時は大のオトナでもやっていました。
アルバイトで父親の工場に行っていて、40代と50代の男が工場から出たゴミだらけの床の上を取っ組み合ってゴロゴロしているのを見た時は、最初何が起きたのか分かりませんでした。盛り場で酔っ払い同士が胸倉を掴みあうのは今も目にしますが、昭和40年代までは、駅、電車の中、道路いたるところでオトナのケンカをしばしば見ました。
つくずく日本人は精神的に大きく成長したと思います。マッカーサーの言ったように、戦前の日本人の精神年齢が12歳だったとまでは思いませんがね・・・。
私も、小学六年の時に遊園地の池で鯉を採っていて学校に通報され、担任教師に37発の往復ビンタを喰らいました。マア退学にならなかっただけヨシとしなければなりません。「小学校だから退学は無い」ですと、それが有るんですわ、私立ですからね、私の同級生が自転車泥棒の常習で退学になりました。
私以上の悪ガキはいましたが、往復ビンタ37回は圧倒的なレコードで、学校中の尊敬を集めました。
それにしても教師のヤツ、純真なオラをウマかウシみていにブッ叩きやがって、オレが水に流しても天が許さねえゾ・・・。
卒業してからも教師の家に遊びに行くなんて昔は普通でした。昔は電話でアポをとったりしません。いきなり行きますが、いつ行っても喜んでくれました。教師も目を細めて「あの時は君が本当に憎かった」と懐かしそうに話ました。
年賀状も担任が亡くなるまで続きましたし、結婚式によぶ者もいた時代です。どういうわけかブッ叩かれていたヤツの方が卒業してからも教師の所に行っていたような気がします。
ところで尺八の師匠も優しくなりましたねえ、私の師匠の青木鈴慕で尺八界で一、二を争うコワイ先生と言われていますからね、青木先生は癇癪持ちで、すぐ怒ったり怒鳴ったり、けど弟子に手を上げたりしませんよ。すぐに、怒るポイントが分かりますから、私は優しい人だとは思っても、コワイと感じたことは無いです。
島原帆山先生は、よく稽古中に弟子の膝を叩いたと聞きますが、弟子からは「熱心に教えてくれた」と感謝の言葉を聞きこそすれ、「頭にきた」とは聞いたことが有りません。
磯野茶山先生も、稽古中に雑談していたら茶碗をぶつけられたとか、何度も間違えると拍子扇でぶたれたとかは聞きましたが、嘗ての門下の人達は実に懐かしげに風韻をしのんでいました。
私には、どちらが良いか分かりません。体罰禁止の現在の教育の方が、戦前よりもはるかに優れた人格を形成したと確信しますが、先生と生徒というだけで無く、人間関係が全体に希薄になったような気もします。
尺八の稽古も、レッスンと月謝とで完結していますね。私は初代青木鈴慕が練習して来ない弟子に「キミは月謝の無駄、私は時間の無駄」と言ったような事に喝采します。
私だって、学生時代に後輩を教えたことからの通算で、数え方にもよりますが百人からの人を教えてきました。私の場合、月謝無料ですからハッキリ言います。「稽古日は、そこで練習するのでは無く、一週間の稽古の成果を師匠に見てもらう場です。一週間稽古していないなら来る必要は有りません」
アルバイトで父親の工場に行っていて、40代と50代の男が工場から出たゴミだらけの床の上を取っ組み合ってゴロゴロしているのを見た時は、最初何が起きたのか分かりませんでした。盛り場で酔っ払い同士が胸倉を掴みあうのは今も目にしますが、昭和40年代までは、駅、電車の中、道路いたるところでオトナのケンカをしばしば見ました。
つくずく日本人は精神的に大きく成長したと思います。マッカーサーの言ったように、戦前の日本人の精神年齢が12歳だったとまでは思いませんがね・・・。
私も、小学六年の時に遊園地の池で鯉を採っていて学校に通報され、担任教師に37発の往復ビンタを喰らいました。マア退学にならなかっただけヨシとしなければなりません。「小学校だから退学は無い」ですと、それが有るんですわ、私立ですからね、私の同級生が自転車泥棒の常習で退学になりました。
私以上の悪ガキはいましたが、往復ビンタ37回は圧倒的なレコードで、学校中の尊敬を集めました。
それにしても教師のヤツ、純真なオラをウマかウシみていにブッ叩きやがって、オレが水に流しても天が許さねえゾ・・・。
卒業してからも教師の家に遊びに行くなんて昔は普通でした。昔は電話でアポをとったりしません。いきなり行きますが、いつ行っても喜んでくれました。教師も目を細めて「あの時は君が本当に憎かった」と懐かしそうに話ました。
年賀状も担任が亡くなるまで続きましたし、結婚式によぶ者もいた時代です。どういうわけかブッ叩かれていたヤツの方が卒業してからも教師の所に行っていたような気がします。
ところで尺八の師匠も優しくなりましたねえ、私の師匠の青木鈴慕で尺八界で一、二を争うコワイ先生と言われていますからね、青木先生は癇癪持ちで、すぐ怒ったり怒鳴ったり、けど弟子に手を上げたりしませんよ。すぐに、怒るポイントが分かりますから、私は優しい人だとは思っても、コワイと感じたことは無いです。
島原帆山先生は、よく稽古中に弟子の膝を叩いたと聞きますが、弟子からは「熱心に教えてくれた」と感謝の言葉を聞きこそすれ、「頭にきた」とは聞いたことが有りません。
磯野茶山先生も、稽古中に雑談していたら茶碗をぶつけられたとか、何度も間違えると拍子扇でぶたれたとかは聞きましたが、嘗ての門下の人達は実に懐かしげに風韻をしのんでいました。
私には、どちらが良いか分かりません。体罰禁止の現在の教育の方が、戦前よりもはるかに優れた人格を形成したと確信しますが、先生と生徒というだけで無く、人間関係が全体に希薄になったような気もします。
尺八の稽古も、レッスンと月謝とで完結していますね。私は初代青木鈴慕が練習して来ない弟子に「キミは月謝の無駄、私は時間の無駄」と言ったような事に喝采します。
私だって、学生時代に後輩を教えたことからの通算で、数え方にもよりますが百人からの人を教えてきました。私の場合、月謝無料ですからハッキリ言います。「稽古日は、そこで練習するのでは無く、一週間の稽古の成果を師匠に見てもらう場です。一週間稽古していないなら来る必要は有りません」
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