他人のそら似
- 2015/06/02
- 21:15
昔から自分にそっくりの人間が5人いる、そう言われていますなあ、私の場合を少しお話しします。
酒井瓢山さん。この方はNHK邦楽技能者育成会で菅原久仁義、米澤浩、杉沼佐千雄の御三方と一緒でした。私はよくこの人にそっくりだと言われます。最初に言ったのは今は亡い石垣征山さんでした。「そんなに似ていますか?」 「ええ、似てますね」。 同様のことは多くの人に言われました。三塚さん、杉沼さん、米澤さん・・・。
まあ良いや、一言の中で私を貶して同時に酒井さんを褒めている、演奏と一緒で器用な人達ですこと。
心底頭にきたのは若いころ、蕎麦屋で他人から握手を求められました。(ワシを誰だと思う?) 「レツゴー正児さんでしょ」。
後輩達の前でワライモノにされた事はコラエチャる、皆が笑い転げてるのに 「前にも一度お会いしてますが憶えていらっしゃらないでしょうね」だと、テメエには洞察力というもんが無いんか?
名前は知らないが、吉本の何たらいう芸人に間違えられたことも有りますわ。その時はハッキリ言ってやりました。「吉本?なんでジャニーズ事務所ですかって言わない?」
顔が似ているというのは「生まれ」ですからショウガナイ部分も有りますが、演奏が似るのはどうでしょう?
松尾恵子先生の演奏を聴くと、男と女の差こそ有れ師匠の宮城道雄とそっくりです。松尾先生は宮城分裂に際して独自の道を選ばれました。もう40年前にもなりますが、松尾先生の演奏会に行くと、宮城会の若手演奏家の顔がチラホラ、面白いことことに皆がマスクやメガネで顔を隠していましたね。そんなに気にすること無いのに・・・。
51で急死した河合茶洋山さんは鈴水の号を持つ、青木鈴慕門下でもありましたが、その演奏は山口五郎にそっくりで、何で鈴慕会にいるんだろうと不思議でした。河合さんとはよく話していたのに、つい聞きそびれましたわ。
北原鈴淳さんは「尺八物マネ」の名人で、青木鈴慕、山本邦山、山口五郎、宮田耕八朗、坂田誠山とレパートリーは豊富ですが、聞くと、マネ易い人とマネ難い人がいるそうです。思うに、何の変哲も無いようでいて芸の際立ちを見せる、たとえば米谷威和男のような人はマネし難いのではないですかね。
芸は師匠の真似から始まる、師匠のウドンの吹き方まで真似ろ。これは青木先生の言葉です。
私は不肖の弟子で真似のマネすら及びませんでした。音や演奏では名の有る人に「そっくり」と言われた事は有りません。努力というより器が到底及ばなかったのです。
酒井瓢山さん。この方はNHK邦楽技能者育成会で菅原久仁義、米澤浩、杉沼佐千雄の御三方と一緒でした。私はよくこの人にそっくりだと言われます。最初に言ったのは今は亡い石垣征山さんでした。「そんなに似ていますか?」 「ええ、似てますね」。 同様のことは多くの人に言われました。三塚さん、杉沼さん、米澤さん・・・。
まあ良いや、一言の中で私を貶して同時に酒井さんを褒めている、演奏と一緒で器用な人達ですこと。
心底頭にきたのは若いころ、蕎麦屋で他人から握手を求められました。(ワシを誰だと思う?) 「レツゴー正児さんでしょ」。
後輩達の前でワライモノにされた事はコラエチャる、皆が笑い転げてるのに 「前にも一度お会いしてますが憶えていらっしゃらないでしょうね」だと、テメエには洞察力というもんが無いんか?
名前は知らないが、吉本の何たらいう芸人に間違えられたことも有りますわ。その時はハッキリ言ってやりました。「吉本?なんでジャニーズ事務所ですかって言わない?」
顔が似ているというのは「生まれ」ですからショウガナイ部分も有りますが、演奏が似るのはどうでしょう?
松尾恵子先生の演奏を聴くと、男と女の差こそ有れ師匠の宮城道雄とそっくりです。松尾先生は宮城分裂に際して独自の道を選ばれました。もう40年前にもなりますが、松尾先生の演奏会に行くと、宮城会の若手演奏家の顔がチラホラ、面白いことことに皆がマスクやメガネで顔を隠していましたね。そんなに気にすること無いのに・・・。
51で急死した河合茶洋山さんは鈴水の号を持つ、青木鈴慕門下でもありましたが、その演奏は山口五郎にそっくりで、何で鈴慕会にいるんだろうと不思議でした。河合さんとはよく話していたのに、つい聞きそびれましたわ。
北原鈴淳さんは「尺八物マネ」の名人で、青木鈴慕、山本邦山、山口五郎、宮田耕八朗、坂田誠山とレパートリーは豊富ですが、聞くと、マネ易い人とマネ難い人がいるそうです。思うに、何の変哲も無いようでいて芸の際立ちを見せる、たとえば米谷威和男のような人はマネし難いのではないですかね。
芸は師匠の真似から始まる、師匠のウドンの吹き方まで真似ろ。これは青木先生の言葉です。
私は不肖の弟子で真似のマネすら及びませんでした。音や演奏では名の有る人に「そっくり」と言われた事は有りません。努力というより器が到底及ばなかったのです。
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