タニマチ
- 2015/06/05
- 21:14
戦前の日本は、ほんの一握りの金持ちと国民の大多数を占めた貧乏人という社会構成でした。日本の庶民は他のアジア諸国に比べたら良い生活をしていましたが、それでも今の時代とは比較になりません。
戦前は税法が今と違っていて、たくさん稼いでも累進課税で均されるという事が無かったため、金持ちはドンドン金持ちになっていきました。たとえば、昭和7年に血盟団に暗殺された三井財閥の支配者・団琢磨や三井の参与・池田成彬の年収は表に出ただけで50~60万円。普通の給与生活者の3,400倍に達していました。日本人の平均から言ったら1000倍でしょう。
私は子供の時、二子玉川に住んでいましたが、畑ばかりで平屋が並ぶ二子玉川を六郷用水ひとつ越えると瀬田の山で、豪壮なお屋敷が立ち並んでいました。ひときわ大きい城のような屋敷が東急コンツェルンの総帥・五藤慶太邸、高倉健が江利チエミと新婚所帯を持った家も私の家から徒歩5分、子供どうし喧嘩したスウェ―デン大使の公邸まで3分、山の続きには美空ひばりが小林旭と暮らした「ひばり御殿」も有りました。中には維持できなくなって売りに出した家も多かったですが、広大な庭にシェパードが放し飼いされ、執事はじめ数人の書生や女中もいる家も珍しくなく、とにかく別世界でした。
戦前の金持ちの生活ぶりを彷彿させる暮らしを外からでも覗えたのが、思うに私の今日の気品というか育ちの良さを何処となく感じさせる原因だと思います。
邦楽家もその昔はタ二マチがついていたものです。金が入用になってご機嫌伺いに顔を出すと半月分くらいの生活費相当を祝儀として帰りがけに貰える、また製管師も「良い尺八が出来ました」と持って行くと買ってもらえるというのは30年くらい前まで残っていました。そういう方の息子さんの話しだと、家においておいても邪魔だから、一纏めにしてガレージに入れてあったそうです。
私にしても、つい最近まで「そんなに買ってどうするんです、やめた方が良いですよ、お気持ちは有難くいただきますから」という客(タニマチなのでしょう)が何人もいました。展示会の度にいらして話をして、帰りがけに「どれでも良いから一本選んでください」と言う方、一番安い尺八にしろ年に1本か2本必ず買って下さる方、「何か有ったら尺八を持って来なさい。君のだったらいつでも買うから」と言ってくださっていた方。おかげで心の支えになり、幸い「何も有りません」でしたが、いくら感謝しても足りません。
これが戦前となると「太筋のタニマチ」さえ掴んでおけば生活が立つ、こうなると芸を磨くよりタニマチに気に入られる方が余程役に立ち、そのため「あの人の本業は尺八を吹くことでは無くて太鼓を叩くこと」と陰口をいわれるような人が出て、戦後25年たった頃でも「なんだありゃ、あれでプロか?」と学生に言われる尺八家がいました。
現在の邦楽界には「太い」タニマチはつきませんね、尺八家を連れまわしても良い格好出来ませんからね。パーティに呼んでも「あの人誰?」じゃあね・・・。
私は、むしろ尺八が実力勝負の良い時代になったと思うんです。今のプロの音楽家としての凄さはガチンコでノシア上がったからこそです。不肖私もタニマチをアテにしなかったからこそ、今まで一度も売り先に困ったことは有りません。ただの一回も「買って下さい」と言わずに、どうやら尺八家人生を全う出来そうです。
戦前は税法が今と違っていて、たくさん稼いでも累進課税で均されるという事が無かったため、金持ちはドンドン金持ちになっていきました。たとえば、昭和7年に血盟団に暗殺された三井財閥の支配者・団琢磨や三井の参与・池田成彬の年収は表に出ただけで50~60万円。普通の給与生活者の3,400倍に達していました。日本人の平均から言ったら1000倍でしょう。
私は子供の時、二子玉川に住んでいましたが、畑ばかりで平屋が並ぶ二子玉川を六郷用水ひとつ越えると瀬田の山で、豪壮なお屋敷が立ち並んでいました。ひときわ大きい城のような屋敷が東急コンツェルンの総帥・五藤慶太邸、高倉健が江利チエミと新婚所帯を持った家も私の家から徒歩5分、子供どうし喧嘩したスウェ―デン大使の公邸まで3分、山の続きには美空ひばりが小林旭と暮らした「ひばり御殿」も有りました。中には維持できなくなって売りに出した家も多かったですが、広大な庭にシェパードが放し飼いされ、執事はじめ数人の書生や女中もいる家も珍しくなく、とにかく別世界でした。
戦前の金持ちの生活ぶりを彷彿させる暮らしを外からでも覗えたのが、思うに私の今日の気品というか育ちの良さを何処となく感じさせる原因だと思います。
邦楽家もその昔はタ二マチがついていたものです。金が入用になってご機嫌伺いに顔を出すと半月分くらいの生活費相当を祝儀として帰りがけに貰える、また製管師も「良い尺八が出来ました」と持って行くと買ってもらえるというのは30年くらい前まで残っていました。そういう方の息子さんの話しだと、家においておいても邪魔だから、一纏めにしてガレージに入れてあったそうです。
私にしても、つい最近まで「そんなに買ってどうするんです、やめた方が良いですよ、お気持ちは有難くいただきますから」という客(タニマチなのでしょう)が何人もいました。展示会の度にいらして話をして、帰りがけに「どれでも良いから一本選んでください」と言う方、一番安い尺八にしろ年に1本か2本必ず買って下さる方、「何か有ったら尺八を持って来なさい。君のだったらいつでも買うから」と言ってくださっていた方。おかげで心の支えになり、幸い「何も有りません」でしたが、いくら感謝しても足りません。
これが戦前となると「太筋のタニマチ」さえ掴んでおけば生活が立つ、こうなると芸を磨くよりタニマチに気に入られる方が余程役に立ち、そのため「あの人の本業は尺八を吹くことでは無くて太鼓を叩くこと」と陰口をいわれるような人が出て、戦後25年たった頃でも「なんだありゃ、あれでプロか?」と学生に言われる尺八家がいました。
現在の邦楽界には「太い」タニマチはつきませんね、尺八家を連れまわしても良い格好出来ませんからね。パーティに呼んでも「あの人誰?」じゃあね・・・。
私は、むしろ尺八が実力勝負の良い時代になったと思うんです。今のプロの音楽家としての凄さはガチンコでノシア上がったからこそです。不肖私もタニマチをアテにしなかったからこそ、今まで一度も売り先に困ったことは有りません。ただの一回も「買って下さい」と言わずに、どうやら尺八家人生を全う出来そうです。
スポンサーサイト