懐メロ
- 2015/06/09
- 20:25
懐メロ、この言葉自体は、戦後すぐ始まった「懐かしのメロデイ」というNHKのラジオ番組に使われたそうですが、勿論私は憶えていません。私が憶えているのは昭和43年からのテレビ番組「なつかしの歌声」からです。コロンビア・トップとライトの司会でしばらく続きました。
その頃の主流は昭和20年代30年代の歌謡曲でした。今は分かります、当時のオトナにとって心をしぼられるほど懐かしかったのでしょう。今の「懐メロ」昭和30年代後半から40年代の歌が私にとって懐かしいのと同じです。生きてきた時代の記憶と重ね合わせているからでしょう。
昔は流行っている歌は、好き嫌いは別にして誰でも知っていました。そればかりテレビやラジオからはイヤッというほど流れてきましたし、商店街からも有線で大音量で聞こえてきました。歩きながら子供やニイチャンが歌っている光景は、今は見ることは有りませんが、昔は普通に見られました。
日本人が豊かになり、自分の好みで自由に選択できるようになって、ジャンルの細分化が起こりましたなあ、今は大ヒット曲といっても、そのジャンルに興味の無い日本人の大半は「聞いたことも無い」と言います。もう次の世代にはテレビレベルでは「懐かしのメロディ」は番組として成立しないのではないですかね。
尺八の古曲や古典本曲は、聞いたことも無いのが普通で、懐かしさを誰にも感じさせない音楽です。私にとって「懐かしの邦楽曲」は大学に入って尺八を習い始めて一年ほどは、そればかり吹いていた新邦楽です。それも、強いて言えばであって、今さら吹きたい曲、聞きたい曲では有りません。邦楽曲は一つ一つの曲に、それぞれ思い出が有り、そのつどの私の「懐かしの光景」です。邦楽曲は演奏されれば、私にとっていつも「今」であり、翌日には「思い出」になります。ですから、この年になると古典、現代曲の区別も無くなりました。
人生の思い出や出来事の記憶の多くが邦楽と一致するのですから仕事とは言え、あまり感心しないですね。
私の好きな「懐メロ歌手」は少年時代から変わらず東海林太郎です。今の歌手に比べて上手いと思ったことは有りません。これは箏や尺八にも言えますが、良い悪いは別にして昔は今ほどキメが細かくないですね。ただ、舞台の上では直立不動、ニコリともしない東海林太郎の姿勢に舞台をつとめる覚悟のようなものが感じられて好きです。
そういう姿勢で舞台に臨んだ尺八家、それが青木鈴慕でした。
その頃の主流は昭和20年代30年代の歌謡曲でした。今は分かります、当時のオトナにとって心をしぼられるほど懐かしかったのでしょう。今の「懐メロ」昭和30年代後半から40年代の歌が私にとって懐かしいのと同じです。生きてきた時代の記憶と重ね合わせているからでしょう。
昔は流行っている歌は、好き嫌いは別にして誰でも知っていました。そればかりテレビやラジオからはイヤッというほど流れてきましたし、商店街からも有線で大音量で聞こえてきました。歩きながら子供やニイチャンが歌っている光景は、今は見ることは有りませんが、昔は普通に見られました。
日本人が豊かになり、自分の好みで自由に選択できるようになって、ジャンルの細分化が起こりましたなあ、今は大ヒット曲といっても、そのジャンルに興味の無い日本人の大半は「聞いたことも無い」と言います。もう次の世代にはテレビレベルでは「懐かしのメロディ」は番組として成立しないのではないですかね。
尺八の古曲や古典本曲は、聞いたことも無いのが普通で、懐かしさを誰にも感じさせない音楽です。私にとって「懐かしの邦楽曲」は大学に入って尺八を習い始めて一年ほどは、そればかり吹いていた新邦楽です。それも、強いて言えばであって、今さら吹きたい曲、聞きたい曲では有りません。邦楽曲は一つ一つの曲に、それぞれ思い出が有り、そのつどの私の「懐かしの光景」です。邦楽曲は演奏されれば、私にとっていつも「今」であり、翌日には「思い出」になります。ですから、この年になると古典、現代曲の区別も無くなりました。
人生の思い出や出来事の記憶の多くが邦楽と一致するのですから仕事とは言え、あまり感心しないですね。
私の好きな「懐メロ歌手」は少年時代から変わらず東海林太郎です。今の歌手に比べて上手いと思ったことは有りません。これは箏や尺八にも言えますが、良い悪いは別にして昔は今ほどキメが細かくないですね。ただ、舞台の上では直立不動、ニコリともしない東海林太郎の姿勢に舞台をつとめる覚悟のようなものが感じられて好きです。
そういう姿勢で舞台に臨んだ尺八家、それが青木鈴慕でした。
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