尺八のソフト
- 2015/06/21
- 10:01
私は尺八は徐々にではあっても世界に広まると思っています。けれど邦楽が普及するとは思ってもいません。邦楽の生まれた日本に住む人にすら興味をもたれないものが、国際的に広まるわけがない。「こんな良いものが分かってもらえないわけがない」とか言っている人がいますが、私はそういう事を言っているののではなく、メジャーとマイナーの区別、さらに言えばマイナーの中のさらなるマイナーとしてなら、そりゃ残るし世界にも広まるでしょうよ。今も同じ状況ですからね・・・。
尺八の世界普及は、あくまで尺八という面白い楽器の広がりであり、それに付随した既存ソフトが同時に広まるということでは決してないと思います。尺八がshakuhachiとしてでも世界中で吹かれるようになれば、必然的に古典本曲だけは広まると思いますが、それ以外のソフトが世界の人に吹かれるわけがない、これが私の見解です。
私は尺八の製造販売が仕事ですから「楽器としての尺八」の世界進出が当面の目標であり、それを使って、どういう音楽をやろうと自由ですし、別に誰も他人の許可がいるとは思っていないでしょう。
まして、外国の尺八を吹く人達を社中化しようとする人もいますが、そういうのは無駄な努力で終わります。気持ちは分かりますが、それはハードやソフトより困難な社会体制あるいは価値観(もう日本においてすら通用しない)の輸出ですからね。
三曲がすでに鑑賞ソフトとしては日本人相手にすら通用しないという事は私達業者の間では常識ですが、客との悶着がイヤで、私以外に表立って言う人は三塚泉州さんくらいですかね。
繰り返しますよ、良いとか悪いを言っているのではないです。もう通用しない。だいいち糸方のいない外国でどうやってやるんですか? 私は中国でもヨーロッパでも箏の師匠の存在を知っていますし、現に三曲がやられていることも知っています。その上で重ねて言います、「ダメ、ムリ」。
では現代曲は? 彼らは自分達のソフトで尺八を吹いています。勝手に解釈すると日本人の作った「邦楽器を使った現代曲」なら自分達の曲のほうがピンと来ると思っているんではないですかね。同じ様な土俵に立った「邦楽器アンサンブル」はヨーロッパの「室内楽」と比べられてしまうのではと思うのですが、この辺りは断言を避けます。
古典本曲は独自のシンタックス‘(統語法)のもとに成立していることと、尺八というハードの能力・可能性を今の時点では最大使用しているソフトですから、最も普遍性と競争力を持っています。
でも現代曲の作曲や演奏が不要だと言っているのじゃないですよ、そういう事を本気で主張する人は今はほとんどいないのではないですかね。でも今の段階での状況を軽視しては、私達のようにハードで生活している人間は生きられません。
他人がどう判断するかは自由ですし、もしプロなら結果は自己責任です。
尺八の世界普及は、あくまで尺八という面白い楽器の広がりであり、それに付随した既存ソフトが同時に広まるということでは決してないと思います。尺八がshakuhachiとしてでも世界中で吹かれるようになれば、必然的に古典本曲だけは広まると思いますが、それ以外のソフトが世界の人に吹かれるわけがない、これが私の見解です。
私は尺八の製造販売が仕事ですから「楽器としての尺八」の世界進出が当面の目標であり、それを使って、どういう音楽をやろうと自由ですし、別に誰も他人の許可がいるとは思っていないでしょう。
まして、外国の尺八を吹く人達を社中化しようとする人もいますが、そういうのは無駄な努力で終わります。気持ちは分かりますが、それはハードやソフトより困難な社会体制あるいは価値観(もう日本においてすら通用しない)の輸出ですからね。
三曲がすでに鑑賞ソフトとしては日本人相手にすら通用しないという事は私達業者の間では常識ですが、客との悶着がイヤで、私以外に表立って言う人は三塚泉州さんくらいですかね。
繰り返しますよ、良いとか悪いを言っているのではないです。もう通用しない。だいいち糸方のいない外国でどうやってやるんですか? 私は中国でもヨーロッパでも箏の師匠の存在を知っていますし、現に三曲がやられていることも知っています。その上で重ねて言います、「ダメ、ムリ」。
では現代曲は? 彼らは自分達のソフトで尺八を吹いています。勝手に解釈すると日本人の作った「邦楽器を使った現代曲」なら自分達の曲のほうがピンと来ると思っているんではないですかね。同じ様な土俵に立った「邦楽器アンサンブル」はヨーロッパの「室内楽」と比べられてしまうのではと思うのですが、この辺りは断言を避けます。
古典本曲は独自のシンタックス‘(統語法)のもとに成立していることと、尺八というハードの能力・可能性を今の時点では最大使用しているソフトですから、最も普遍性と競争力を持っています。
でも現代曲の作曲や演奏が不要だと言っているのじゃないですよ、そういう事を本気で主張する人は今はほとんどいないのではないですかね。でも今の段階での状況を軽視しては、私達のようにハードで生活している人間は生きられません。
他人がどう判断するかは自由ですし、もしプロなら結果は自己責任です。
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