謝礼
- 2015/06/22
- 22:28
前に三塚泉州さんが面白いことを言っていました。学生時代に「出演料は幾らいくらだけど出るか?」と言われたので「お願いします」と返事して演奏会に出たところ、逆に舞台料を求められたという話です。
「エッ、お金を払って出るのですか?」 答え「当たり前だ、お金を貰える芸じゃない」
三塚さんは、自分の芸に対して謝礼を払って貰えるとは思っていなかった、ただ学生とは言え大のオトナである自分をマル一日拘束した代価としての謝礼だと思った、そういう事です。
私も大学時代から演奏会には何度も出ていました。勿論ノーギャラのボランティアですが、時に他のサークルからの依頼だった場合は酒一升とかの謝礼を貰えました。大学4年の後半からはギャラの貰える仕事としての尺八演奏を何本かやりましたが、ナルホドこっちが払ってというのは有りませんでしたわ。
尺八を仕事にして、それが当たり前のことで、普通は舞台料を払って出演するものだと分かりました。
邦楽には独立した「聴衆」というものが存在していないことは大学の時にすでに分かっていましたから、チケットが売れるとまでは思いませんが、演奏会の仕組みはピンと来ませんでした。
結局のところ、舞台料を払って出ている箏の御弟子さん達から集めた金が師匠やゲストの人達に分配さている。たまの尺八の側の演奏会も同じこと。言ってみれば畑は同じで、そこから収穫されたモノがアッチ行ったりコッチ行ったりで、狭い世界をぐるぐる回っているにすぎません。源泉はいずれにしろ弟子です。
この芸事の仕組みは江戸時代に遡るシステムであり、それ自体は何ら不当なことではありません。でも今日では通用しなくなっています。
いち早くガタが来たのは社会経験が豊富な成人男子を主な構成分子とする尺八界です。自分と子供のこと以外はケチなくせに、権威に従順な女性が中心である箏は、もう少し問題を先延ばし出来ますが、尺八はすでに限界に来ています。現在の尺八の約半数を占める70才以上の人が減ってくると、まず間違いなく、この仕組みはガタガタになります。
「もう今でガタガタだ」ですと、まだまだこんなモノじゃすまない、「社中崩壊」という事態はようやくココにきて現実感をもって語られ始めましたが、もう20年前から分かっていた私からすると、よく今までホッタラカシに出来ましたねえ、そういう気持ちです。
それでは、これからどうすれば良いのか? 分かりません。では、どうなるのか?こりゃあ誰でも分かる。
小さくなっても箏の「おさらい会」は残る、けど上手で謝礼のいらないアマチュア尺八吹きに相当喰われますな。
月謝収入は有名プロ以外は絶望。
当然尺八の「おさらい会」も無くなる。結果として親しい先生同士の「呼び呼ばれ」も無くなる。
教授の中心はすでに「カルチャー」に移っているが、ここでの尺八の稽古はボランティア。
演奏活動の主体は「合奏団形式」になり、ソフトの自由化が進む。この部分でのみ謝礼が発生する可能性が有る。
こういう事態を惨状と思うのか、それとも新しい時代を生み出す為の「陣痛」ととるか、いずれにしろ避けられない教授産業から実演産業への転換です。
CDもチケットも今後は「ガチ売り」のみ。お弟子や師匠の人間関係だけで売る方法はすでに通用していません。
尺八の世界で明治維新や敗戦のような体制の大転換が来たんですよ、通り抜けられる人は通り抜けられる、それだけの事ですわ。私はワクワクしていますよ。
オレが通り抜けられなかったら隠居しますわ。
「エッ、お金を払って出るのですか?」 答え「当たり前だ、お金を貰える芸じゃない」
三塚さんは、自分の芸に対して謝礼を払って貰えるとは思っていなかった、ただ学生とは言え大のオトナである自分をマル一日拘束した代価としての謝礼だと思った、そういう事です。
私も大学時代から演奏会には何度も出ていました。勿論ノーギャラのボランティアですが、時に他のサークルからの依頼だった場合は酒一升とかの謝礼を貰えました。大学4年の後半からはギャラの貰える仕事としての尺八演奏を何本かやりましたが、ナルホドこっちが払ってというのは有りませんでしたわ。
尺八を仕事にして、それが当たり前のことで、普通は舞台料を払って出演するものだと分かりました。
邦楽には独立した「聴衆」というものが存在していないことは大学の時にすでに分かっていましたから、チケットが売れるとまでは思いませんが、演奏会の仕組みはピンと来ませんでした。
結局のところ、舞台料を払って出ている箏の御弟子さん達から集めた金が師匠やゲストの人達に分配さている。たまの尺八の側の演奏会も同じこと。言ってみれば畑は同じで、そこから収穫されたモノがアッチ行ったりコッチ行ったりで、狭い世界をぐるぐる回っているにすぎません。源泉はいずれにしろ弟子です。
この芸事の仕組みは江戸時代に遡るシステムであり、それ自体は何ら不当なことではありません。でも今日では通用しなくなっています。
いち早くガタが来たのは社会経験が豊富な成人男子を主な構成分子とする尺八界です。自分と子供のこと以外はケチなくせに、権威に従順な女性が中心である箏は、もう少し問題を先延ばし出来ますが、尺八はすでに限界に来ています。現在の尺八の約半数を占める70才以上の人が減ってくると、まず間違いなく、この仕組みはガタガタになります。
「もう今でガタガタだ」ですと、まだまだこんなモノじゃすまない、「社中崩壊」という事態はようやくココにきて現実感をもって語られ始めましたが、もう20年前から分かっていた私からすると、よく今までホッタラカシに出来ましたねえ、そういう気持ちです。
それでは、これからどうすれば良いのか? 分かりません。では、どうなるのか?こりゃあ誰でも分かる。
小さくなっても箏の「おさらい会」は残る、けど上手で謝礼のいらないアマチュア尺八吹きに相当喰われますな。
月謝収入は有名プロ以外は絶望。
当然尺八の「おさらい会」も無くなる。結果として親しい先生同士の「呼び呼ばれ」も無くなる。
教授の中心はすでに「カルチャー」に移っているが、ここでの尺八の稽古はボランティア。
演奏活動の主体は「合奏団形式」になり、ソフトの自由化が進む。この部分でのみ謝礼が発生する可能性が有る。
こういう事態を惨状と思うのか、それとも新しい時代を生み出す為の「陣痛」ととるか、いずれにしろ避けられない教授産業から実演産業への転換です。
CDもチケットも今後は「ガチ売り」のみ。お弟子や師匠の人間関係だけで売る方法はすでに通用していません。
尺八の世界で明治維新や敗戦のような体制の大転換が来たんですよ、通り抜けられる人は通り抜けられる、それだけの事ですわ。私はワクワクしていますよ。
オレが通り抜けられなかったら隠居しますわ。
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