名機の条件
- 2015/06/23
- 20:52
私らの少年時代の漫画といったら戦争物が多かったですな。太平洋戦争に題材をとったモノで、昭和30年代いっぱいは「ストーリー漫画」の主流でした。
昭和35年くらいから販売されて、一躍オモチャの一番人気になったのがプラモデルですが、ここでも戦闘機、軍艦、戦車などが人気の中心、と言うより兵器以外はあまり出ていませんでした。当時の漫画雑誌も少年に人気のものは毎回特集記事のかたちで扱いますから、私達の世代の少年は全員が兵器オタクです。12戦艦、信濃を入れた7大空母の装備、排水量、運命などは皆が熟知していましたし、主力戦闘機は絵を見ただけで誰もが名前を当てられました。
人気の無かったのは日本の戦車で、性能的にオチタカラですね、ここではアメリカやドイツ戦車に人気が集中しました。
オトナ達には思い出したくも無い辛い思い出でも、私達にはかつての栄光。今は落ちぶれているが昔の日本は凄かったんだぞ、そういう心境も相当に有ったんですわ。
昭和40年代になって、もう日本も過去の栄光を懐かしまなくても良くなると戦争物は急速にスタレましたなあ。
中でも戦闘機の人気が一番高かったですかしら、昭和40年代に入っても「ゼロ戦太郎」とか「ゼロ戦隼人」とか出ていたくらいですからね。
緒戦における海軍のゼロ戦の戦闘力は圧倒的だったと言います。陸軍にも名機・隼が有り、加藤隼戦闘隊は当時の日本人男性五千万人のうち五千万1名が知っていました。
ゼロ、オスカー(隼)、トニー(飛燕)などアメリカ人からも高評価された戦闘機も、やがて次々と新機種を投入してくるアメリカ機の前に劣勢にたたされていきますが、戦争後期になると日本も新型機をデビューさせます。
その中でもアメリカ人が「フランクは最強」と讃えた一撃離脱型の陸軍機・疾風と「格闘戦ならジョージにかなうものは無いだろう」とまで評価された海軍の紫電改は双璧でしょう。
昭和38年から少年マガジンで連載された「紫電改の鷹」(ちばてつや)は大いに紫電改の名を高めましたが、この前にも「太平洋の翼」という映画がヒットしていましたし、紫電改を題材にとったものとしては、オトナ向きにも城山三郎に「零からの栄光」という小説が有りますし、自主製作映画で「六機いまだ還らず」というのも見たことがあります。
紫電改がこうまで人気が有るのは、それまで最強と言われていた米軍機ムスタングを相手にした格闘戦で無類の強さを発揮したことの印象が強いからでしょう。
紫電改の陰に隠れている形ですが、アメリカ軍が「日本最優秀戦闘機」と絶賛する疾風は、戦後になって、品質の良いアメリカ産の燃料を使って実験したところ、当時の一撃離脱戦闘機としてトップクラスの性能を示しました。
ただ優秀なパイロットの不足と燃料、基礎材質、部品、様々な点で満足に性能を発揮できませんでした。
それより何より思考法の差ですわ。アメリカの一撃離脱の代表的な戦闘機ムスタングは同条件で疾風を大幅に上回る性能ですが、それよりも防御における配慮が人命軽視の日本軍とは大違いです。
また、アメリカは思考法にいたるまで徹底的に相手を研究しましたが、日本はせっかく得たムスタングも、戦意喪失を恐れて性能公表を控えたと言います。
そこで尺八。楽器として日進月歩の進歩を見せといるとしても尺八である以上は越えられないハードルが有ります。たとえば内吹きと外吹きによる音程差、たとえば甲乙の音程差、こういう点を重大視すれば、そもそも尺八は楽器として尺八ではいられない。
長所と欠点は、ある進化の段階を越えると表裏一体となります。長所は短所、短所は長所。
だって一撃離脱では世界最強だったムスタングですら格闘戦にもちこまれると紫電改の後塵を拝したんですぜ。尺八も得意分野で勝負しましょうや。
だが、それ以前に尺八も「職人仕事」ばかりの科学性無しでは、これ以上の進化が難しい段階に来ています。
昭和35年くらいから販売されて、一躍オモチャの一番人気になったのがプラモデルですが、ここでも戦闘機、軍艦、戦車などが人気の中心、と言うより兵器以外はあまり出ていませんでした。当時の漫画雑誌も少年に人気のものは毎回特集記事のかたちで扱いますから、私達の世代の少年は全員が兵器オタクです。12戦艦、信濃を入れた7大空母の装備、排水量、運命などは皆が熟知していましたし、主力戦闘機は絵を見ただけで誰もが名前を当てられました。
人気の無かったのは日本の戦車で、性能的にオチタカラですね、ここではアメリカやドイツ戦車に人気が集中しました。
オトナ達には思い出したくも無い辛い思い出でも、私達にはかつての栄光。今は落ちぶれているが昔の日本は凄かったんだぞ、そういう心境も相当に有ったんですわ。
昭和40年代になって、もう日本も過去の栄光を懐かしまなくても良くなると戦争物は急速にスタレましたなあ。
中でも戦闘機の人気が一番高かったですかしら、昭和40年代に入っても「ゼロ戦太郎」とか「ゼロ戦隼人」とか出ていたくらいですからね。
緒戦における海軍のゼロ戦の戦闘力は圧倒的だったと言います。陸軍にも名機・隼が有り、加藤隼戦闘隊は当時の日本人男性五千万人のうち五千万1名が知っていました。
ゼロ、オスカー(隼)、トニー(飛燕)などアメリカ人からも高評価された戦闘機も、やがて次々と新機種を投入してくるアメリカ機の前に劣勢にたたされていきますが、戦争後期になると日本も新型機をデビューさせます。
その中でもアメリカ人が「フランクは最強」と讃えた一撃離脱型の陸軍機・疾風と「格闘戦ならジョージにかなうものは無いだろう」とまで評価された海軍の紫電改は双璧でしょう。
昭和38年から少年マガジンで連載された「紫電改の鷹」(ちばてつや)は大いに紫電改の名を高めましたが、この前にも「太平洋の翼」という映画がヒットしていましたし、紫電改を題材にとったものとしては、オトナ向きにも城山三郎に「零からの栄光」という小説が有りますし、自主製作映画で「六機いまだ還らず」というのも見たことがあります。
紫電改がこうまで人気が有るのは、それまで最強と言われていた米軍機ムスタングを相手にした格闘戦で無類の強さを発揮したことの印象が強いからでしょう。
紫電改の陰に隠れている形ですが、アメリカ軍が「日本最優秀戦闘機」と絶賛する疾風は、戦後になって、品質の良いアメリカ産の燃料を使って実験したところ、当時の一撃離脱戦闘機としてトップクラスの性能を示しました。
ただ優秀なパイロットの不足と燃料、基礎材質、部品、様々な点で満足に性能を発揮できませんでした。
それより何より思考法の差ですわ。アメリカの一撃離脱の代表的な戦闘機ムスタングは同条件で疾風を大幅に上回る性能ですが、それよりも防御における配慮が人命軽視の日本軍とは大違いです。
また、アメリカは思考法にいたるまで徹底的に相手を研究しましたが、日本はせっかく得たムスタングも、戦意喪失を恐れて性能公表を控えたと言います。
そこで尺八。楽器として日進月歩の進歩を見せといるとしても尺八である以上は越えられないハードルが有ります。たとえば内吹きと外吹きによる音程差、たとえば甲乙の音程差、こういう点を重大視すれば、そもそも尺八は楽器として尺八ではいられない。
長所と欠点は、ある進化の段階を越えると表裏一体となります。長所は短所、短所は長所。
だって一撃離脱では世界最強だったムスタングですら格闘戦にもちこまれると紫電改の後塵を拝したんですぜ。尺八も得意分野で勝負しましょうや。
だが、それ以前に尺八も「職人仕事」ばかりの科学性無しでは、これ以上の進化が難しい段階に来ています。
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